Leap-北国の少女-

松葉あずれん

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「皆様、着陸態勢に入りました。シートベルトをお確かめください。」

窓の外へ目をやると、雪が積もった根釧台地を防風林がどこまでも格子状に区切っていた。白取悠馬しらとりゆうまは無意識に、飛行機の窓越しに防風林の区切りを指でなぞっていた。中標津空港のターミナルを出ると、-5度の冷気が体中を這いずり回った。10分程歩き、レンタカー屋に入り鍵を受け取る。期限は翌日の三月一日までにしてある。今日は実家には帰らず、ずっと行きたかった温泉旅館を予約していた。元々は三月の中頃に帰る予定だったが、家の都合で三月の頭になった。レンタカーに乗ると、滝口先輩から送られた住所を入力した。同じ学部の滝口先輩に三月頃に帰省するつもりである事を伝えると、連絡が取れなくなった友人の様子を見てきてほしいと頼まれたのだ。住所は標津町。釧路の実家とは逆方向だったが、断る理由はなかった。スマホから『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』を再生した。悠馬はフォークを聞くと北海道での記憶がなんとなく蘇ってくるのだった。窓を開けて換気すると懐かしい匂いがした。雪が降った後の澄んだ空気は足元の暖房と合わさって、実家のこたつに入っている時に、母が換気のために窓を開ける瞬間そのものだった。アルバムの二曲目がかかると、聞き覚えのあるイントロが流れる。しばらく考えて、スマホに映る曲名を見ても思い当たらない。歌が入り、僕はようやく思い出した。『北国の少女』。父がよくアコギで弾き語りをしていた曲だった。そうしてアルバムのラストトラックが終わるとほぼ同時に、目的地に着いた。車を止めて彼女の家のインターホンを押す。10秒程待っても反応が無く、車に戻ろうと扉に背を向けたその時、ガチャという音と共に悠馬と同年代の女性が出てきた。白い長袖のセーターに、良く櫛が通りそうなまっすぐな黒髪のロングヘアをしていて、何よりも目が美しかった。

「…どちら様ですか?」

「あ、花巻海帆はなまきみほさんですか?」

「はい、そうですけど。何か用ですか?」

視線を斜め下に落として眉を細める。彼女は明らかに不機嫌だった。

「白取悠馬と言います。滝口さんという方からあなたを探して欲しいと言われて。」

「滝口先輩…。とりあえず、上がってください。」

彼女の家は二階建ての一軒家で、一人暮らしにしては明らかに広すぎた。一階と二階が吹き抜けになっているリビングに通され、端のテーブルに座り、悠馬はお茶を勧められた。

「それで、滝口先輩と連絡をとれなくなった理由というのは…」

「ごめんなさい、色々事情があって。」

彼女は作ったような笑みを浮かべた。滝口先輩と彼女の関係を知らない悠馬には、仲を取り持つ義理もなかった。

「要件はあなたが無事である事を確認することだけなので、これで失礼させて…」

悠馬がこう言いかけたその時、

「ちょっと待ってください!」

と彼女が悠馬を制した。

「…もう少し、ここに居てもらえませんか?」

語尾にかけて少しずつ自信を失う彼女に、悠馬はこの家に留まらざるを得なかった。

「…わかりました。」

彼女はクッキーを焼きにキッチンへ席を立った。このリビングはテーブルのすぐ横にキッチンがあり、その反対側にはソファが置いてある広い空間があった。ソファの正面には蔵書数が千を優に超えそうな巨大な本棚がある。

「すごい量の本ですね。」

「私はあまり読まないんです。」

やはり一人暮らしではないのか。

「昔姉と一緒にこの家に住んでいて、その時からこの本棚は姉が良く使っていたんです。」

「今は一人暮らしなんですか?」

「はい。」

「大変ですよね。自炊とか…。」

すぐに会話が途絶えてしまう。ソファの左側にはレコードプレイヤーがあり、その隣に本棚と直角になるようにレコードラックが設置されていて、フォークのレコードが多くあった。

「フォークがお好きなんですか?」

「あ、はい。そうなんです。」

明らかに会話のトーンが一段上がった。

「何かレコードをかけましょうか?」

「お願いします。」

彼女はキッチンを離れてレコードラックの引き出しを開けた。

「何がいいですか?」

「じゃあ…サイモン&ガーファンクルを。」

サイモン&ガーファンクルは悠馬にとって、フォークの原体験だった。元々父は大のフォーク好きだったが、小さい頃にはその良さがわからなかったし、むしろ音数が少なくて退屈だった。

「えーっと、『Sound Of Silence』でいい?」

「勿論です。」

そして彼女はレコードを再生した。クッキーが焼きあがると、彼女はオーブンから角皿ごとテーブルに運ぶ。クッキー一つ一つが全く同じ円形をしていた。

「どうぞ。」

「じゃあいただきます。」

クッキーはその形状を見てわかるように、何一つ無駄のない普遍的な味だった。

「美味しいです。」

「そう?良かった。」

三曲目が終わり、『Kathy’s song』がかかり始めた。

「あ、私この曲好き。」

「初期のポール・サイモンにしては珍しいですよね。私的な曲。」

「あなた、かなりオタクね。」

「サイモン&ガーファンクルはフォークの原体験なんです。高校の英文法の授業で、倒置表現について習う事があって、その時に先生が『April Come She Will』を流したんです。」

「素敵な先生。」

と言って彼女は微笑んだ。

「海帆さんはフォークにはまったきっかけとかあるんですか?」

「うーん、やっぱりジョニミッチェルかな。」

そんな会話をしているうちに、『四月になれば彼女は』のイントロが流れた。

「あなたギターが弾けるの?」

「え?」

悠馬は自分の右手を見ると、無意識に机の端を親指と人差し指で摘まんで、弾いていた。

「まあ少しだけですけど。」

「じゃあ教えてよ。」

彼女はリビングを出て、すぐにアコースティックギターを持ってきた。

「この曲でいいんですか?」

「うん。」

「じゃあまずカポを1フレットにつけて…」

悠馬はその後左手の運指を教えてから、右手のスリーフィンガーピッキングを教えた。

「難しい…。」

「慣れれば、そうでもないですよ。」

「私今までコード弾きしかやってこなかったの。」

「もう一回最初からやってみましょう。」

彼女が時計の針を進めているように思えてしまうほど、すぐに時が流れた。ふと窓の外を見てみると外は薄暗くなり、さらさらと粉雪が降っていた。

「じゃあそろそろ失礼します。」

「滝口先輩には私が連絡しておくから、何も言わなくて大丈夫。」

「そうですか、わかりました。」

彼女は玄関まで送ってくれた。

「きっとすぐ、弾けるようになりますよ。」

「四月になればね。」

悠馬は彼女の家を出るとレンタカーで旅館の部屋まで戻った。旅館の露天風呂に浸かりながら悠馬は彼女の事を考えていた。

(彼女はまだ練習をしているかもしれない。彼女は冗談交じりに言っていたけど、四月になれば彼女は弾けるようになるだろうか。)

ギターは急に出来るようになることが一切無い。だけど、全ての事が少しずつ出来るようになると悠馬は経験から知っていた。風呂を上がり部屋のベッドに腰をかけると、疲れから強烈な眠気に襲われて、横になり眠りについた。

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