第17話 質屋
白い息が庭に溶けていく。
木刀を握る掌にはまだ違和感があった。怪我そのものは治っている。だが筋力は落ち、頭の中のイメージと実際の動きの間に微妙なズレが生じていた。
魔力、闘力、神力に至っては――全く練り上げることができない。
どころか、そんなものが本当に自分の中にあるのかと疑うくらい、何も感じられなかった。
だからこそ、今は素の肉体だけで型を繰り返す。
――振り下ろす、踏み込む、受け流す。
単調で、けれど奥深い動作。ずれを修正するために、何度も何度も同じ型をなぞる。あせらず体を少しずつ自分のものに戻していく。
「腰が浮いてる。重心を落とせ」
背後から声が飛んだ。振り返らずともわかる、焔姉さんだ。
「はい……!」
額を汗が伝う。言われた通り膝を沈め、木刀を構え直す。
「今は力を取り戻すんじゃない。基礎を積み直すんだよ。焦ればまた同じことになる」
「……はい」
あのとき、神気功を無理やり纏と身体強化に重ねようとした。力を合わせられると直感したから。けれど結果は、体を壊すだけだった。
今はただ、弱った筋肉を鍛え直すこと。それだけだ。
庭で木刀を振る俺を、焔姉さんは黙って見守っていた。
そんな静かな時間を破ったのは、垣根の上から顔をのぞかせた小枝稔の声だった。
「やあやあ、修行熱心だね。……一週間前に病院のベッドで寝てた人と同じ人とは思えないよ」
彼は庭を見渡しながら、やや呆れたように笑った。
「そんなに動いて大丈夫なの?」
「筋力が落ちてるから、むしろ動かないとダメなんだよ」俺は木刀を下ろして、額の汗をぬぐった。
小枝は腕を組んで、しみじみと頷いた。
「全身から血を流して倒れたときはどうなるかと思ったけど、元気になって安心したよ」
その言葉に、横で黙っていた焔姉さんの眉がぴくりと動いた。
「……その原因の一つは、あなたが焚きつけた言葉でもあるんでしょう?」
「うっ」小枝は気まずそうに肩をすくめた。「それは、まあ……否定できない」
この話を続ければまた焔に詰められる、と察したのか、小枝は慌てて手を叩いた。
「――ああ、そうだ。約束していた子を連れてきたんだ」
あからさまな話題転換だった。
横で腕を組んでいた焔姉さんは、じろりと睨むような視線を向ける。
「……話を逸らしたわね」
ムッとした声音に小枝は苦笑しつつも、止まらなかった。
「ま、まあまあ! とにかく会ってみてよ。君にとって損にはならないはずだから」
焔は深くため息をついたが、それ以上は追及せずに黙った。
小枝が大げさに手を振ると、通路の先からちょこちょこと歩いてくる小柄な影が現れた。
茶色の三つ編みを揺らし、分厚い丸メガネの奥で目を細めている少女。顔には目立つソバカス。腰のポーチからは、じゃらじゃらと小銭の音が絶えず響いていた。
「どもどもー! 初めましてやな。銭谷金子いうもんや。よろしゅう頼むで」
開口一番、テンポの速い大阪弁。
庭の土に靴の先をちょんと立て、にやりと笑う姿は、どこか商人めいた気配すら漂わせている。
「……質屋のジョブを持っとるんや。人のスキルを“質”に入れて、一時的に借りることができるんやで。まあ、借りるにはそれ相応の“お金”が必要やけどな」
小枝が横から補足する。
「彼女のスキルは珍しいんだ。スキルマニアの僕でも、初めて見たくらいでね」
金子は胸を張り、ポーチを叩いて笑った。
「ほな、さっそくアンタのスキル、質に入れさせてもらおか? レベル0のやつやったら、きっと安上がりで済むやろしな」
金子がにやりと笑って言い切った、その瞬間だった。
「――帰りなさい」
焔姉さんの声音は冷え切っていた。
その一言に、庭の空気がぴんと張り詰める。
振り向けば、腕を組んだまま一歩前へ出て、俺と二人の間にすっと割って入っていた。
「小枝、あなたが“力を貸してほしい”って言うから来させたけど……その言い方は何? 客としての礼儀くらい持ちなさい。図々しい子は、お帰り願うわ」
「ま、待って! 焔副長、悪かった!」
小枝さんが青ざめて両手をぶんぶん振る。
「今までジョブのせいでパーティーを組めず落ち込んでいた彼女に、金子さんの特殊なスキルには必ず可能性があるって説いたんだ。もっと自信を持ってって……でも、それが空回って、こんな態度になってしまったんだ」
「ほ、ほんま、ごめんなさい!」
小枝と金子が腰を九十度に折って、べこべこと頭を下げる。
「うちは、今まで弱気すぎて何も上手くいかへんかったんや。せやから今日は、思い切って……ほ、ほんま、すんません」
焔姉さんはしばし二人を睨みつけていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……理由は分かったわ。けれど、弟を巻き込むなら、納得できる説明が必要よ。適当な言葉で済ませるなら、この場で終わりにする」
「助かる!」
小枝さんは胸を撫でおろし、早口で説明を始めた。
「まず彼女のジョブ“質屋”――正確には、スキルを一時的に“質(あず)かる”固有技能だ。貸し手からスキルを預かり、期間を区切って彼女が使えるようにする。その間、貸し手はそのスキルを使えない」
「……買い戻し拒否は?」と焔姉さん。
「いつどこでも買い戻しの金を準備すれば買い戻せる。悪用しにくい仕組みになってる。ただし――問題が三つある」
小枝さんは人差し指を立てた。
「一つ、費用。スキルの“格”(レベルや希少性)に応じて必要金額が跳ね上がる。彼女は貧乏……いや、純粋に資金が無い。レベル1以上を借りるのは現実的じゃない。
二つ、信用。『スキルを盗む女』って心ない噂が立って、協力者がなかなか見つからない。ちゃんと返せることを、公的に証明したい。
三つ、検証不足。実戦での“質の出し入れ”や同時保持数、切替え時のラグなど、運用上の課題を詰めたい。だが高レベル相手にやるとコストがかさむ」
そこで俺を見る。
「器用貧乏神――君の“レベル0スキルの幅の広さ”は、検証にはうってつけなんだ。費用的にも、負担が少なくて済むはず。もちろん危険なことは何もしない。立会人の前で、短時間・低負荷・明文化契約で、ね」
「つまり……弟を実験台にしたいってことかしら」
焔姉さんの視線が細められる。
小枝は慌てて首を横に振った。
「いえ! 危険を冒すようなことは絶対にさせません。ただ、彼女のスキルを試す機会がどうしても必要なんです。もし力を貸していただければ、その成果を示して彼女は一歩先に進める」
頭を下げる小枝。
金子も深々と腰を折る。
「うちは、強うなりたい。けど自分の力だけやと、足らへん。“質屋”の力で戦えるようになりたいんや。せやけど、まずは安全に運用できるって、証明せなあかん。どうか、力貸してもらえへんやろか」
焔姉さんはしばし沈黙し、俺と金子を順に見比べた。
その横顔はまだ厳しいが、怒りの熱は少し引いている。
「……条件を出すわ」
低く、はっきりと。
「一、私の目の前でのみ行うこと。
二、扱うのはレベル0の補助系・知覚系のスキルに限る。戦闘系は不可。
三、契約内容は全員で確認。痛み・異常が出た瞬間、即時中止。
四、期間は“数分”。長時間の運用テストは当面しない。」
「もちろん! 異存なし!」
小枝さんは食い気味に頷き、金子も慌てて手を上げる。
「異存ありまへん! お願いします!」
焔姉さんは最後に、俺を見る。
焔姉さんの視線を正面から受け止めながら、俺は口を開いた。
「……俺、協力したい」
焔姉さんの眉がわずかに動く。小枝と金子も驚いたように顔を上げた。
「俺も、器用貧乏神なんてジョブをもらって、周りからは期待されなかった。誰ともパーティーを組めず、ただ足手まといになるんじゃないかって……ずっと不安で仕方なかった」
言葉を選ぶように、一つひとつ吐き出す。
金子のうつむいた姿が、かつての自分と重なって見えた。
「でも、少しずつでもやれることを増やしてきて……気がついたら、こうして今も前を向けてる。だから――同じように苦しんでるなら、手を貸したい。俺もまだ半人前だけど……それでも役に立てるなら」
庭にまた静けさが戻る。
「俺なんかと違ってちゃんと“助けてほしい”って言うんだs。なら、俺もちゃんと応えたい。」
姉さんは目を細め、短く「いいわ」とだけ言った。
「ただし――実施は、このあと私が呼んだ『指導者』が到着してから。基礎を叩き込む予定を崩すつもりはない。彼の立会いも加える。いいわね?」
そう言って、焔姉さんは金子へと鋭い視線を向ける。
「――そして、あなたも覚悟しなさい。巧に頼るだけじゃなく、自分の力をきちんと磨くこと。でなきゃ、私が許さない」
金子は唇を噛み、深く頭を下げた。
「……はい! うち、絶対に頑張ります!」
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