第5話 旅立ち
静かな祈り
求め続けて ただ手に入れようとして
それでもなお 懇願している
願いを 呼びかけを
与えたい 奪いたい
叫びを 呼びかけを
この「私欲」を 私は歌い上げる
×××
雨上がりの湿った空気は不快だった。外を歩くと、立ち上る蒸し暑い湯気が、まるで巨大な風呂場にいるかのように感じさせる。
それでも、僕は行かなければならない。
マネージュ氏はすでに馬車の手配を済ませ、今は最終確認をしているところだ。
「プラック、本当に行っちゃうの?」
「ああ。」
個人の意志からではないにせよ、数多の選択が導いた結果なのだ。
「……」
「……」
「エレノアさん?」
「今さら呼び方を変えても遅いわよ、プラック。」
「わかったよ、じゃあ、エレノア」
「そう、それでいいの」
「お宅には本当にお世話になりました。」
僕は庭に立ち、この家に向かって、彼女と、そして家の中にいる皆に感謝の言葉を述べた。
「そんなことないわよ、迷惑なんてかけてないし。」
彼女は少し照れくさそうに笑った。
草地の水たまりには、彼女の雪のように白い顔が映っている。
「それにプラックはお利口さんだったもの、家事もするし、好き嫌いもないし、布団もきちんと畳んでたもの。」
私なんかよりずっと大人しくて、と彼女は微笑んだ。
なんか、聞いちゃいけないことを聞いた気がする。
「でも、僕にはお返しできるものが何もないんだ。」
この家族に報いるものなど、何ひとつ見つからない。
資産もなく、友達もなく、仕事もない。まさに「三無」と言われるような人間が僕だ。
「じゃあ、約束を果たして!」まるで狙っていたかのように、彼女は「パン」と手を合わせた。
? 頭の中を検索し、必死に思い出そうとする。神経が躍動し、記憶の回廊が現れる。
歩き、走り、ついにたどり着いたのは触れたくない光景の前。
嘘から始まった約束。今も後悔している誓い。
漆黒の「」が蘇り、回廊の松明が消える。
暗闇の静寂の中に、白く清らかな風切る音が響いた。
光源の方へ目を向けると、いつの間にか右手に光り輝く神剣が握られていた。
「【ルール・ケンジョ】」。誰かの声が空虚な廊下に反響する。
己の心に従え 我を信じよ
己を知れ 我を生み出せ
闇を破れ 我を殺せ
俳句のような詩が、誰かが僕に伝えるメッセージだ。
お前は誰だ? 言いかけたその時、声が再び響く。
男の声、その口調、そして────
「我は『我』なり、汝に殺されんとする『我』なり」
誰かの言葉が刃のように脳を貫き、使命のように哀しみを感じさせる。
右手に持った剣を掲げる。白い粒子が次々と集まる。
光が膨れ上がり、回廊を飲み込む。
一撃で、目の前の闇は消えるだろう。
その前に、僕は叫んだ。
「お前を殺したりしない!」
誰の正体か、ぼんやりと察しはついていた。
「そんなことをしても、誰も幸せにならない!」
『彼』もわかっているはずだ。
なぜなら:
「自殺する奴はみんなバカだ!」
彼はかつての『僕』だった。
振り下ろす。
光が溢れ、輝き跳ねる。白光が踊る。
別れ際に『我』は言った。
我ながら愚かだ。
目の前の闇が消え、そこには「いたずら大成功!」と得意げな少女がいた。
「どんな約束だった?」
ガシャン。何かが砕ける音がした。
先ほどの誇らしげな表情は消え、代わりに『信じられない』という顔つきになっている。
潤んだサファイアのような瞳がぼんやりと僕を見つめ、やがて怒りを含んで睨みつける。事態の悪化を防ぐため、僕は謝るしかなかった。
「ごめん、今のは冗談だよ。」
ほら言ったでしょ、と彼女は安心したように胸をトントンと叩いた。服の下の膨らみが上下に揺れる。
思わず目をそらしてしまった。
「プラック、人と話す時は相手を見なきゃダメよ。」お転婆な少女が、今度はお姉さん風を装って説教してくる。
「そんなことわかってるよ。」考えずに口にした後、後悔した。
理由は────
視界の隅、石段の上で僕たちを眺めていたウィリアムが、こちらを睨んでいたのだ。いや、敵意を帯びた視線で、しかも僕だけに向けられている。
「こっち見てよ、見てってば」とわめくエレノアをよそに、僕は彼女に軽く合図を送ると家の前へと歩み出した。
彼は壁にもたれかかり、僕が来ても挨拶もしない。
正直言って、僕は彼の正体を結局知らない。『彼』がエレノアの兄だということだけ:ウィリアム?
僕ではなく、雨上がりの青空を見つめながら、彼は口を開いた。
「ウチのエレノアに近づくんじゃねえ。」
衝撃。
「は?」としか言えなかった。それだけこの言葉の衝撃は大きかった。
人々の間では僕が優位に立てると思っていたが、それは僕が彼を甘く見ていた証拠だ。
ウィリアムは、少なくとも兄としての立場では、筋を通している。
その直後、
「エレノアを気にかけてくれて、ありがとな」
衝撃(二重)
そうだ。いやいや、明らかにおかしい。血の気が引いて体が冷たくなり、脳が窒息しそうだった。
ただ、これで彼らが確かに家族だということがわかった。(感謝をわきまえているという点で)
それでも、僕には聞きたいことがあった。
「ウィリアム、お前は一体何者なんだ。」
「言っただろ、エレノアの兄貴だ。」
「それ以外は? 兄貴は兄貴だけじゃ済まないって、お前自身が言ったじゃないか。」それは彼自身の言葉だった。
「……」
彼は口を開きたがらない。
僕は詰め寄った。
熱い空気で呼吸が重くなる。彼の威勢のいい顔には変化が見えない。
仕掛けたのは僕だ。だから、
「お前…」
「そのうちわかるさ」
「なぜだ?」
「また会うことになるからな」
彼はそう言い残すと、家の中へと戻っていった。
彼の言葉を反芻し、その意味を必死に探ろうとした。
そして────
「おーい!」
「うわっ!?」背後から予期せぬ攻撃。
「プラック、なんで急に逃げるのよ。」
暗殺者、君だったのか?
「あのさ、ウィリアムに何か言いたいことがあるみたいでさ。」背中にまだ鈍い痛みが残っている。今服をめくれば、きっと真っ赤な掌跡が見えるはずだ。彼女は本気で力を込めて叩いたのだ。
「お兄ちゃん、何て言ってたの?」
多分、過保護な妹思いの兄としての常套句(シスコン発言)だろう。もしそれを口にしたら、彼は即座に家から飛び出してくるに違いない。想像しただけで冷や汗が噴き出る。
「まあ、感謝の類だったよ。それにしても、君たち二人って本当に似てるんだな。」
「エレノアはお姉さんが欲しいの!」
これは当の本人(ウィリアム)には絶対聞かせられない。しかも実現難易度が高すぎる。もはやインポッシブルレベルだ。
「でもさ、お兄ちゃんも悪くないよ。」
「お兄ちゃんは小さい頃からずっと面倒見てくれたし、守ってくれたし、遊んでくれたし。だから、私は…」
「好きなの?」
「うっ、別に嫌いじゃないけどね。」
恥じらいの思春期、やっぱり最高だ。
「プラックもなかなかお兄ちゃんっぽいじゃない、弟や妹いるの?」
わからないし、知りたくもない。
僕は他人からそう見えるのか?
「いない。」きっぱりと答える。
「じゃあ、お兄ちゃんの素質があるわね! 妹として認めてあげる!」彼女は口元を緩め、僕に親指を立てた。
「エレノアを気にかけてくれて、ありがとな」って、そういうことだったのか。
「そういえば、あの約束だけど、今はまだ果たしたくないんだ。」
「えー!どうしてよ!」彼女は泣きそうな顔になった。
「だから────次に会った時に、ちゃんと果たすよ。」僕は人差し指を一本立てて、彼女に約束した。
逃げでも嘘でもない。ただ純粋に、次に会うのを楽しみにしているだけだ。
「ううん…よし!わかった!じゃあ次は絶対にちゃんと果たしてよね!」さっきまでの不安を一掃したかのように、月のように清らかな顔に美しい笑顔が浮かんだ。
金色の髪が空中で舞い、真っ白なスカートの裾が軽くはためく。
少し、ほんの少しだけ、ある衝動が、ある不可能性が脳裏をかすめた。
しかし、僕もわかっている。それは結局叶わぬ道であり、そんな存在を僕は許せないのだと。
馬車に飛び乗る。手を振る少女の姿は、色とりどりの農作物と共に遠ざかり、やがて消えた。
さよなら。誰かの別れの言葉は、誰の耳にも届かなかった。
質問:普通の男子高校生が異世界美少女と出会えるか?
答え:可能である。
質問:その先の進展はあるか?
答え:不可能である。
かくして、僕は『勇者』の道を歩み出す。
女神の願いを断ったら、勇者にされた件 @xzjdsgxu
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