第17話 <過去編:中学時代>3月の勝者

講師室


安立先生の持つ受話器が、やけに重たそうに見えた。

受話器を戻す音が、蛍光灯のブーンという音に重なる。


直樹が、地元高校か。

まさかだったな。

ずいぶん真逆に進んでしまったように思えるけど……

お前、本当に大丈夫かよ。


背後から、俺は声をかけた。

「受けていなかったんですね。樟陽高校は」


何年も塾で一緒に働いてきたが、今みたいな表情はあまり見たことがない。

「ええ、辰野先生。直樹のやつ、地元でやるそうです」


「甘くないんですけどね。大学受験って。はっきり言えば、無茶です」

自分でも驚くほど、ふっと言葉がこぼれた。


「市内の合格者数、1人減らさないといけませんね。あいつの分。

あの高校に“祝 合格者1名”……ちょっと載せられませんよね。来週のチラシには」

安立先生がつぶやく。


「そうなりますね。お隣の修練会さんでも、

直樹の高校名で合格者を載せているのは見たことがありません。

偏差値40あるかどうかの、郊外の普通科高校ですから」


灰皿の吸い殻に視線を落とし、俺は続けた。

「そもそも“祝”でもなんでもありませんしね。あの高校では逆効果です。

“どんな指導してるんですか?”って言われかねません」


「まあ、そうなりますよねぇ」

「親身に見えるか、見込み違いに見えるか……評価は割れます」


「ウチの記録には、土曜進学コースで“無名の高校に合格者1名”

ちょっと言いすぎかもですが……そういう扱いです。

土曜コースの生徒は全員合格しています。数字の上では下がらない。

ただ、『全員市内合格』とは書けませんね。『全員第1志望合格』か、直樹を除いて『市内受験者全員合格』ってとこでしょうか?」


俺の苦し紛れの提案に、

安立先生も黙ってうなずいていた。


「苫別高校って、大学進学者いるんですか?」


「就職メインの高校ですね、あそこは。

数年に1~2人程度が地方の短大に行く程度と思います。

ウチには進学データすらないんですよ。」


そのまま、安立先生は続ける。

「ずっと定員割れが続いていますので、『名前さえ書けばだれでも』ってとこです」


「もったいないんだよなぁ……」思わず本音が出た。


講師室の隣からは、

春期講習や新学期入塾の問い合わせの電話が途切れなく鳴っている。

それが、余計に講師室の静けさを際立たせていた。


「参りましたねぇ……」

腰を下ろした安立先生の椅子の軋む音が、ため息のように聞こえた。


俺は2本目のたばこに火をつける。

煙が音もなく天井へと溶けていく。

1本だけにしようとしてたのに……こういう夜は、やっぱり駄目だな。


叱るでもなく、否定するでもなく――

気持ちを押し込めたまま時間が過ぎていくのが、やるせなかった。


それでも願ってしまう。

あいつには負けないでいてほしい、と。


教えるということは、ただ伝えることじゃない。

信じることの手前で、いつも言葉が足りなくなる。


厳しい高校生活になる。

たぶん、樟陽高校よりも。


直樹……流されるなよ。

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