第15話 <過去編:中学時代>受験生直樹

北大進学ゼミナール 旭川校舎

中学3年 土曜進学  特設コース


1990年11月下旬

18時45分


暖房の効きすぎた教室で、カリカリと響いていたシャーペンの音がふっと途切れた。


机の上には角が少し丸くなった参考書と、折れ跡のついたプリント。

窓の外は真っ暗で、見えない雪の匂いが漂っている。


「いいか、君らもいずれわかると思うけど――」


英語の辰野先生が、休憩時間に入った途端に腕を組んだまま話し始めた。

低めの声が、暖房で乾いた空気にしみ込んでいく。


「高校入試と大学入試じゃ、難しさが全然違う。まずは来年3月の公立高校入試だ。けど、高校入ってからの3年間は……必死でやらないと、本当に置いていかれるぞ」


椅子の軋む音がした。

暖房の唸りと外の静けさが、不思議に混じり合う。


「北大みたいな帝大を目指すなら、高校に入ってからが本番だ。

首都圏や関西の中高一貫校の生徒は、高1の内容なんかとっくに終わらせてる。

大学受験では、そういう連中と戦わなきゃならない」


先生の視線が教室を一巡する。

自分に止まったような気がして、背筋が自然に伸びた。


「医学部なんて特にそうだ。正直言って、道外勢が強い。

だから、高校でも上位をキープしろよ。

とにかく市内のトップスリー、樟陽・神楽東・青陵の合格が絶対だ。

まあ、みんな樟陽高が第1志望だろうけど」


少し間を置いて、先生は口元を緩めた。


「この土曜コースは、郡部の中学生だけが来てる。

よそ者ばかりを集めた海賊みたいなもんだ。悪くないだろ?」


一瞬、教室の空気がゆるんだ。

誰かが笑い、俺も少しだけ笑った。


「ライバルの市内組は、週3回夜遅くまで塾に通える。

でも、君らは週末の1日だけ。なんせ家が遠いから。

それでも、こうして続けてるのは立派だ。久保、樋口、清水、相葉……山本に中村、鎌田も、それぞれの中学の代表だ」


辰野先生は右手で黒板消しを動かしながら、英文を消しつつ続けた。


「あいつら市内組と違って、君らには入学定員5%枠の制限がある。学区外だから。まあ、手足に重りをつけたままで野球の試合をしてるのと一緒だよ。

文句を言ったって仕方ないが、今のお前らの力なら、絶対に全員受かる。

入試では海賊の実力を見せつけて、市内組を追い抜けよ」


先生の手元では、2本のチョークがくるくる回っている。


「それと……浪人なんて考えるな。俺みたいになるな。大学には現役で行けよ」


誰ひとり、動こうとしなかった。


「あれ? 休憩なくなっちまったな。はは、すまんすまん。

トイレ行くやつ急げ。あと1時間、ラストスパートだ」


久保が、「先生、僕らの海賊船の船長は?」と、聞いてきた。


「そうだなあ……、理社科の安立先生がいいんじゃないか?進路担当だし。

見た目といい、ギョロっとした感じが船長っぽいだろ。

全員で合格に向けてかかれ~、って言いそうだよな」


みんなが笑い、場の緊張が溶けた。


……本当に、その通りだと思った。

育った場所や、通える塾があるかどうかだけで、もう差がついている。

それでも、ここでなら追いつける気がした。


指先で回していたシャーペンが、少し滑った。

暖房のせいか、それとも――わからない。


高校入試まで、あと3か月ちょっと。

この机でペンを動かすことが、正しいと信じていた。

信じることで、自分を支えていた。


航路に変更はない。

迷いはない――そう思っていた。


黒い窓の向こうに、

静かに雪が降っているような気がして視線がそちらに吸い寄せられた。


ほんの一瞬、別の岸を見てしまったような気がした。

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