第2話 恋の潜在意識

 世界中に広く展開しているリッツ・モントンホテルは、ラウンジで供される午後のティー・セットが人気だ。春陽がワクワクとメニューを広げる。


 「やっぱり、基本のクラシック・ティー・セットかしら。シファ先生は何か、召し上がります?」


 春陽の向かいの席に腰かけているのは、褐色肌の美女だ。顔立ちはアラブ系のようだが、混血なのだろうか、金髪碧眼である。シファ・ダビ。洗脳や催眠を解く治療では有名な実力派らしい。U.B.セキュリティ・サーヴィス社の産業医が紹介してくれた。普段はパリでクリニックを開いているという。


 「私は、紅茶だけで結構ですわ。お昼にスシを戴きすぎてしまって」


 優雅に微笑む姿は、聖母のように人を安らがせる。


 「先生の日本語がお上手で、安心しました!私、フランス語は習っていないし、英語も細かい機微までは話せなくて」


 春陽が弾むように笑った。


 「私の手法では、言語よりもイマジネーションが重要なんですの。パリのクリニックにも様々な国から患者様がいらっしゃいますわ」


 そこへウェイターが、ティー・ポットと3段トレイを持ってきた。1番上の段にはホテル謹製スウィーツ。可愛らしいマカロンとパステル・トーンで揃えたケーキが乙女心をくすぐる。2段目には小さく切りそろえたサンドイッチ、3段目には掌に乗る程度の小さなスコーン。春陽が歓声を上げて迎え入れた。


 「治療の手順ですが、まず、どのような形で暗示が入っているのかを診察いたします。その後、1週間ごとに3回から10回程度のセラピーを受けていただきます。状況によって、向精神薬を用いることもあります。何か、アレルギーは?」


 「ないです!」


 春陽が元気に答えた。


 「では、セラピーに関して何か不安なことはありますか?」


 シファがゆったりと問いかけた。


 「いいえ!楽しみだわ」


 目を輝かせる春陽に、シファは少し面食らったようだったが、すぐににこやかな笑みを取り戻した。


 「ちょっと…」


 黒島が軽く手を挙げる。


 「ええ、何か?」


 「1週間、間を置くのはなぜですか」


 できれば早く治療してやってほしい。


 「精神の奥底をひっかき回すような施術になりますので。休息が必要ですわ」


 「なるほど。場所は」


 「今日の診察はホテルのお部屋で。日本に滞在中、ウィークリーマンションを借りますので、2回目以降は、そちらで行います」


 よかった。あらためて自宅を掃除する必要はなさそうだ。


 「では、ハルヒさんは、お部屋の方へ。90分ほどの診察です」


 シファが立ち上がる。ついて、春陽も立ち上った。90分の空き時間は、このままラウンジの席を陣取って読書するのもいいだろう。黒島が軽く手を挙げると、春陽が笑顔で手を振り返した。




 「…とても、ご主人と仲良しなんですのね」


 エレベーターでシファが春陽に語り掛ける。


 「ええ!とっても優しくて。それに、小柄に見えますけど強いんですよ!髪も瞳も綺麗だし」


 屈託なく笑う春陽に、シファもゆったりと微笑み返す。


 ――勘のよさそうな男。


 シファが春陽と話している間、黒島は鋭い眼光を発して観察していた。警戒心が強いのだろう。一瞬、シファは蒼い瞳を伏せたが、エレベーターの扉が開くと気を取り直したように目線を上げ、春陽の先に立った。


 ――条件反射みたいなものだわ。


 「さ、どうぞ。こちらへ」


 春陽を部屋に招き入れる。


 「ハーブ・ティーを淹れますわ。ご自宅だと思って、ゆったりなさってね」


 しばらく、ハーブやアロマテラピーの話題でくつろいだ後、春陽をソファに寝かせる。幸い、春陽は警戒心が薄く、子供のように好奇心いっぱいだ。すぐに誘導できるだろう。


 「目を閉じて…草原を思い浮かべてください。…そこへ、気球が下りてきます…。ハルヒさんの過去に飛んでいける気球です…」


 春陽は、素直に夢うつつの状態に入っていく。


 「さあ…1年前のハルヒさんが見えますよ…。何をしていますか…?」


 「…芭蕉さんと、私の実家へ行って…クリスマス・パーティーをしています。お部屋は、とっても暖かくて…芭蕉さんの作ったエッグ・ノックをママが褒めてくれて…」


 くすりと、シファが微笑む。


 「さらに、過去へ飛んでいきましょう…。3年前のハルヒさんが見えます…。何をしていますか…?」


 「…芭蕉さんと、温泉に…。紅葉がきれいで…。覗きに来た猿に、芭蕉さんが桶を投げて追い払っています…“畜生が春陽の肌を覗くなど、生意気だ”って…」


 よくよく警戒心の強い男だ。


 「さらに過去へ…5年前のハルヒさんが見えます…。何をしていますか…?」


 「ああ!芭蕉さんとバーへ行って…。勇気を出して想いを告げました。そしたら、“君に素敵な王子様が現れるまで、俺が君のお姉様になろう”って!そして、その年のクリスマス・イブに魔法が解けて王子様に…!」


 きゃーっと悶えてソファから転げ落ちそうになる春陽を慌てて支える。――何?「お姉様」?夫のことよね…?魔法…??そもそも、ハルヒの無意識領域には、夫しかいないのかしら…?


 これは、別の意味で手こずりそうだ。シファの蒼い瞳が底光りする。


 「お眠り、ハルヒ…。お眠り…」


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 90分後、春陽がほわほわとラウンジに戻ってきた。立ち上がった黒島の腕につかまる。


 「少し休めば、完全に覚醒しますわ。7回ぐらいの施術でハルヒさんに入った暗示は解除できるでしょう」


 シファがにこやかに微笑んで、黒島に告げた。


 「ありがとうございます。後は、また来週に…?」


 「ええ、ウィークリーマンションの場所などは、また改めてご連絡いたします」


 シファに見送られて、ホテルの駐車場へ出る。


 「…春陽。大丈夫か?」


 若干、掴まった腕に身を擦り寄せられているような。普段は、車を運転するのは春陽だが、この調子では、片眼は見えないながら黒島が運転する方がマシかもしれない。春陽を助手席に乗せ、黒島が運転席に着く。


 「“診察”は、何をしたんだ」


 助手席に乗った春陽は、まだふんわりとしている。


 「えっとね、芭蕉さんの話をしたわ」


 え、なんで俺の話?


 「いろいろ思い出してね。芭蕉さんとクリスマス・パーティーした話とか、温泉に行ったこととか、初めて告白したときの話とか…出会ったときからずーっと私の隣には芭蕉さんがいて、いつも見守ってくれて」


 まてまて、90分、恋バナしてたのか??


 「大好きだな、幸せだなぁ…って」


 信号待ちで、思わず春陽の顔を見ると、うっとりと大きな瞳を潤ませていた。春陽の手が黒島の膝に伸び、次の瞬間に口づけられる。春陽の熱い息が黒島の頬をくすぐった。


 「いや、あの、春陽…」


 何コレ抱いていいのっていうかあの女何をした!?


 「今は運転中だ。家に着くまで、待て」


 膝に置かれた春陽の手を、黒島の手が握り込んだ。


〈つづく〉


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