境界線上のリベリオン
ゆうきちひろ
プロローグ
――7年前――
激しい雨音が研究室に響き渡っていた。
「これが……評議会の真実……」
青白いタブレットの光に照らされた彼の顔は、読み進めるにつれて硬直していった。理人の琥珀色の瞳が震え、資料の1行1行が彼の心に刻み込まれていく。
『境界結晶』
そう名付けられた結晶体が、優れた境界力を持つ学生たちから強制的に抽出されていた。評議会の長老たちは、その結晶を用いて自らの寿命と力を延長していたのだ。
「許されない……」
理人は呟いた。彼自身も評議会に属する研究者であり、境界力の研究に人生を捧げてきた。だが彼が信じていた「2つの世界の調和」という理念は、評議会の表向きの建前に過ぎなかった。
理人はタブレットを閉じて、窓外の雨音に耳を澄ませた。影学園の時計塔が、遠くから正子を告げる。午前0時――新たな1日の始まりであると同時に、彼の研究者としての人生の終わりを意味していた。
「どうするつもりだ、高城君」
背後から突然声がした。振り向くと、そこには長い白髪と髭を持つ老人の姿があった。
「あなたはご存知だったんですね。全てを」
理人の声は冷たく、それでいて悲しみに満ちていた。
「もちろんだ。私自身がこのシステムを構築した」
蒼月は穏やかに微笑んだ。
「境界結晶なくして、我々の使命は果たせない。少数の犠牲は必要なのだよ」
「使命?」
理人の拳が震えた。
「子供たちを実験台にして、自分たちの命を永らえる――それを使命とでも?」
「君は私の最も優秀な弟子だった」
蒼月は溜息をついた。
「だからこそ、この真実を受け入れて欲しかった。境界の安定は、一部の犠牲なしには成り立たない」
理人は黙って立ち上がり、研究室の隅にあった金属ケースを取り出した。中には彼が長年研究してきた境界理論の全データと、彼自身の「真偽操作」の能力に関する記録が収められていた。
「受け入れるわけにはいきません」
理人はケースの中身を確認しながら言った。
「私には、守るべき家族がいる」
蒼月の青い瞳が細められた。
「ああ、君には息子がいたな。
「息子を巻き込まないでください。平凡な普通の子なんだ」
理人の言葉は凍てついていた。彼の周囲の空気が歪み、研究室の光が揺らめいた。それは「真偽操作」——真実と虚偽の境界を操作する彼の境界力が発動した証だった。
蒼月は身構えたが、理人は攻撃する代わりに、古い懐中時計を取り出した。
「もう時間がありません。決別の時です」
彼はケースを抱え、蒼月に背を向けた。
「私の選択が正しいかどうかは、歴史が判断してくれるでしょう」
そう言い残して、理人は研究室から姿を消した。その背中には、決して戻らないという覚悟が滲んでいた。
研究室の床には、1枚の写真――理人と妻、そして幼い息子・陽の笑顔――が残された。
◇
翌朝、高城家の玄関に1通の封筒が届いていた。
陽の母・美咲が開封すると、中には理人の直筆の手紙があった。
『美咲へ
突然姿を消し、申し訳ない。説明すべきことは山ほどあるが、今は何も言えない。ただ、これだけは信じてほしい――私はお前と陽を守るために行動している。いつか必ず真実を明かす時が来る。
陽には「真実を見る力」が眠っている。彼が17歳になったら、この封筒の中のもう1通の手紙を渡してほしい。それまでは、決して開封してはならない。
愛している』
美咲は涙を流しながら、もう1通の封筒を握りしめた。
そこには『陽へ――17歳の誕生日に』と記されていた。
10歳の高城陽は母の泣き声で目を覚ました。
リビングから漏れる母の声に導かれ、陽は階段を降りた。美咲は手紙を握りしめ、肩を震わせていた。
「母さん……?」
陽の声に、美咲は慌てて涙を拭った。
「陽……起きたの」
「父さんは?」
美咲は息子を抱きしめた。その腕には、言葉にならない恐れと悲しみが込められていた。
「お父さんは……少し遠くに行ってしまったの」
「いつ帰ってくるの?」
美咲は答えられなかった。ただ陽をより強く抱きしめるだけだった。
高城理人の失踪から数日後、奇妙な噂が広まり始めた。
仮面の男「影帝」と呼ばれる謎の人物が現れ、評議会に対抗する「侵食者」という組織を率いているという。金と銀の装飾が施された仮面の下に隠された正体、そして彼の真の目的――それらは謎に包まれたままだった。
――現在――
月日は流れ、陽は父の形見である銀のブレスレットを左手首に身につけ、その記憶を胸に秘めて成長していった――時に父の姿を忘れかけ、時に鮮明に思い出しながら。
そして、17歳の誕生日を迎えた陽を父からの手紙と学園に潜む謎が待ち受けていた。
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