第22話

「そんな奴じゃない……か。あまりにもそれは楽観的じゃない?」


 姉貴の言葉になにも言えない。反論も出てこない。愛宮の過去を知っているからこその納得。精神が脆いのも合宿の時点でうなずいていた。だから俺は今、なにも言えないのだろう。


 合宿で色々なことに気付くことができたと思っていた。だが、それは違ったのかもしれない。全ては姉貴の言う依存に導出された、決まっている結論だった。俺はなにを張り切っていたのだろう。愛宮を支えるなど、意識しているなど、全て間違っていた。


「本当は信也だって分かってるんじゃないの? 信也たちの関係は恋なんかじゃないって。恋心なんてそこにはないんだって」


「黙れ」


 ありきたりな暴言しか吐き出せない。姉貴の言葉に打ち勝つ言葉は、今のところ俺にはない。全て腑に落ちてしまっているのが現状である。本当に、その通りだ。姉貴の言っていることは全て正しい。


「というかね、信也も信也だよ。愛宮奏ちゃんの過去を知ってヒーローになれると思ったのかもしれないけど、それはある意味、依存だよ。自分自身への依存」


 頭に強い衝撃が走ったように感じた。殴られたわけではない。姉貴の真なる言葉が、俺を貫いたのだ。頭が痛い。真実の痛みだった。


 姉貴の言う通りだ。俺は多分、愛宮の救世主にでもなった気でいたのだ。愛宮の過去を受け止めて、そこに手を差し伸べられる存在でいようとでも思ったのだ。違った。現実は理想と乖離かいりしている。


 愛宮を助けられる自分。そういった自分の存在に依存していたのだ。愛宮にとっての自分の存在意義。それが俺の正体だ。


「ずっと一緒にいられるなんてのは理想論だよ。結局ね、恋はどちらかが壊れるんだよ。そうなるようにできてるんだよ」


 分かっている。分かっているのだ。俺と愛宮の関係は所詮、理想論だ。疑似交際も、芽生えた恋の意識も、全ては意味がない。愛宮も本当はそう思っているのかもしれない。俺との関係は既に破綻しかけているのだろう。


「黙れ!」


 気付けば、大きな声をあげていた。我ながら珍しい怒声だった。姉貴に怒ったところで、なにも解決しない。解消もしない。なにも変わらない。それでも怒ったのは、自分にはなにも言うことがないからなのだろう。俺はもはや、まともになにかを言える精神状態ではなかった。


 ふと姉貴のほうを見た。怒声をあげた俺に対し、驚くことなく笑っている。嘲笑であった。俺を揶揄して笑みを浮かべているのだ。それに対しても苛立ったが、もはや、なにかを言えばまた自分に傷がつくだけのような気がした。


 反論する言葉はない。姉貴の全ての言葉に納得してしまった。俺はひどく無力だった。こんな身近な人間の言葉に折れてしまうほど、俺の精神は弱い。こんなメンタルでよく愛宮を支えるなど意識できたものである。


 俺は黙ってリビングを出た。静かにドアを閉め、自室へとあがった。怒りや苛立ちは押し殺した。決して今、表に出してはならない感情だと思った。


 自室のベッドに寝転んだ。窓から光が入るほど、外はまだ明るい。スマートフォンで時刻を見ると、まだ午後三時半だった。部屋の明かりはつけず、窓から入る光で部屋の中を明るくした。微かに暗い。


 ベッドに寝転んでいると愛宮の顔が浮かんだ。愛宮は無事に家に着いただろうか。電車を乗り間違えたりしていないだろうか。そんな余計な心配が頭をよぎる。合宿中に愛宮へ向けた、俺の純粋な感情は、無駄で邪魔なものだったろうか。


 俺はどこから間違えていたのだろう。どこかで正解を踏めていただろうか。姉貴の意見はなにも間違っていない。姉貴はいつでも正解を踏んでいる。俺だけが間違えている。


 それならば俺はもう、愛宮のそばにいないほうがいいのではないか。そんなことを考えた。愛宮の近くにいるのは、俺じゃないほうがいい。愛宮を純粋に大切にできる人間と一緒にいたほうがいいのだろう。


 俺はスマートフォンの画面に指を滑らせた。愛宮とのメッセージ画面に文章を打ち込んだ。送信ボタンを押そうとしたが、こんなメッセージを送ること自体も、もはや自分勝手である気がしてしまった。


 短いメッセージをもう一度見た。誤字も脱字もない。一行しかないメッセージなのだから当たり前だった。


 疲労のせいか、体が重い。そのまま目を閉じて眠った。眠りにつく寸前、また愛宮の顔が浮かんだような気がした。気のせいかもしれなかった。


 *


 私はまだあの感覚を覚えていた。夏川先輩に抱き着いたあの感覚。いい匂いがした。体は細身で、少し心配になった。あの瞬間は、夏川先輩のなにもかもが愛おしくて、自分はやっぱり、この人が好きなんだなと分かった。


 合宿での出来事が頭の中で何度も繰り返される。それほど私は、あの合宿で、幸福を味わったのだろう。


 けれど、涙も流した。悲しくて泣いたわけではない。なんで泣いてしまったのだろう。理由は自分でもよく分からない。


 部活の時間になり、部室へ向かう。部室にはまだ誰もいない。いつもなら夏川先輩が一番乗りで来ているのだけど。


 夏川先輩のいつもの定位置に座ってみた。その場で机に突っ伏す。深呼吸をした。夏川先輩の香りはしない。けれど、夏川先輩を感じることはできていた。私、すっごくキモいな。


 机に突っ伏していると、部室のドアが勢いよく開かれた。そこには愛宮先輩が立っていた。どこか慌てた表情だった。


「早瀬さん! 夏川からなんか連絡きてる!?」


「愛宮先輩? どうしたんですか、そんなにあわてて」


「夏川からなんかすっごく意味深なメッセージが来てて……心配になって夏川のクラスに行ってみたら学校に来てないらしくて……」


 こんなにも慌てている愛宮先輩を見たのは初めてだった。


「夏川先輩が……? メッセージはなんてきてたんですか?」


「これ……」


 愛宮先輩が私にスマートフォンの画面を見せた。


『俺はお前の近くにいないほうがいい』


 見せられたメッセージにはそうあった。


「なんですか……これ」


「分からない。昨日の夜に連絡が来てたっぽいんだけど、私、今日の朝まで気づかなくて……」


 愛宮先輩の顔がどんどんと青ざめていく。


「なんかこれ、夏川先輩、大丈夫ですかね?」


 私は最悪の事態を考えてしまっていた。夏川先輩がそれほど心配だった。


「え……?」


「このまま部活にも学校にも来ない気じゃ?」


「そんな……なんで急にこんなことに? 賞に出す小説だって、合宿の最後らへんは順調だったのに」


「なにかあったんですかね……?」


 部室のドアが再び開かれた。立っていたのは天野先生だった。


「やぁ諸君。暇ができたから様子を見に来たぞ」


「天野先生! 夏川が!」


「ん? なんだ?」


 愛宮先輩が天野先生に事情を説明した。天野先生は頭をかきながあら一つ溜息を吐いた。


「あいつ、深く考えすぎたか」


 先生がなんのことを言っているのかは分からなかったけれど、なにか事情があるのはたしかなようだった。


「え?」


 愛宮先輩が聞き返すと、


「いや、なんでもない。とりあえずあとで夏川の家に行ってみる」


「私、今すぐに夏川の家に行きます」


 先生の言葉を無視して、愛宮先輩はそう口にした。鞄を持って、部室を飛び出していった。私はそのあとを追った。


「おいおい」

 

 愛宮先輩と一緒に部室を飛び出した瞬間、先生がなにかを言っていた気がしたが、聞こえなかった。今はそれどころではなかった。


 私は走っているうちにすぐ息が切れ始めた。必死に走りながら、愛宮先輩に一つ尋ねた。


「愛宮先輩、夏川先輩の家の場所、知ってるんですか?」


 愛宮先輩は余裕そうな表情で走っている。私よりはるかに体力がある。


「一回だけ夏川の家に行ったことがあるの。道が簡単だから多分、たどり着ける」


 駅に到着し、私たちは電車に乗った。愛宮先輩はスマートフォンで降りる駅を確認していた。


 私はふと、夏川先輩のことについて思い出した。


「夏川先輩、合宿では愛宮先輩のこと——」


「ん? 私のこと?」


 言う前に気付いた。合宿で夏川先輩が言っていたことは、多分、愛宮先輩には言わないほうがいいのかもしれない。ここで言ってしまうと、夏川先輩が困る可能性がある。確信はないけれど。


「愛宮先輩のこと、尊敬してる感じでした」


「そっか」


 なんとかごまかした。


「それにしても、なんで急にこんなことになったんでしょう?」


「分からない。でも、なにかあったんだよきっと」


 電車が、夏川先輩宅の最寄り駅に到着したらしい。愛宮先輩が「降りるよ!」と私に言った。さっき走って消費した体力がまだ回復していない。改札を出て、愛宮先輩は小走りをした。


「たしかこの道をまっすぐのはず!」


「愛宮先輩……ちょっと速いです……!」


 私はもう足が限界だった。呼吸も苦しい。それでも愛宮先輩は走っている。べつに歩いて行くでもいい気がするのだけれど。愛宮先輩は、夏川先輩のことが本当に心配らしい。


「早瀬さん、頑張って!」


「はいぃ……!」


 愛宮先輩の背は、想いにあふれていた。夏川先輩への想いだった。やっぱり、二人は……。考えるのをやめた。今は夏川先輩のことが第一だ。


「あ、ここ!」


「はぁ、はぁ……立派なお家ですね」


「インターホン押すよ?」


 愛宮先輩がインターホンを押した。玄関からは女性が出てきた。少しだらしない格好。目元が夏川先輩に似ている。おそらく先輩のお姉さんだろう。


「ああ、えっと、あなたはたしか……」


 愛宮先輩を見て、お姉さんらしき女性は自身の頭をポンポンと叩いていた。なにかを思い出そうとしているらしい。


「愛宮奏です。信也くんと同じ文芸部の……」


「ああ! そうだそうだ! 愛宮奏ちゃんだ。隣の方は? お友達?」


「初めまして。後輩の早瀬香織です」


 私は丁寧にあいさつをした。


「ああ、そうなんだ。私、信也の姉の透子です。女の子が二人もお見舞いに来るなんて。信也は幸せ者だねぇ」


「お見舞い……? 夏川は体調を崩してるんですか?」


「ん? 信也が体調を崩してるって聞いて来たんじゃないんの?」


「いえ、私たちは、その……」


 愛宮先輩が、言葉を詰まらせた。


「まあいいや。信也、なんか熱があるみたい。ちょっとあがって様子見てあげてよ」


 お姉さんにうながされるまま、夏川先輩の家にあがった。そのまま二階に案内され、お姉さんが右に曲がってすぐにある部屋のドアをノックする。ここが夏川先輩の部屋らしい。少し、心臓が速い。


「信也、愛宮奏ちゃんたちがお見舞いに来たよ」


 開かれたドアの先には、少し暗い空間があった。明かりがついていない。ベッドに横たわっている夏川先輩がいた。


「愛宮……早瀬も……」


 声が少し枯れている。お姉さんは「ごゆっくり」と階段をおりていった。夏川先輩の部屋へ入った。先輩は、なんだか少し気まずそうな顔をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天才ヒロインの彼氏は俺になりました ナオキ @naoki529

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画