長元坊
をはち
第1話 管弦の響き
長者の屋敷の門前に、管弦の音が響き渡った。
鳥はさえずりを止め、虫さえ息を潜めた。
夕暮れに始まった宴は、夜を越え昼に至るまで続いた。
村に囁かれる噂はこうだ。「長者屋敷から管弦の音が響けば、薬売りがやって来る。だが、真の薬売りか、馬糞鷹のような偽物か、見極めねばならぬ。」
馬糞鷹は、村外れの道祖神に棲む鳥の異名である。
馬糞に群がる姿は卑しくとも、青空を舞うその声は清らかだ。
村人たちはこの鳥を「長元坊」とも呼び、汚れを背負いながら高みを目指す存在として愛でた。
長者には病弱な孫娘がいた。
彼女の母、すなわち長者の娘も同じ病に倒れ、
偽医者に「仏像の木くずを煎じよ」と騙され、高価な偽薬を飲んだ末に命を落とした。
孫娘も同じ病に冒され、長者は名医を招いたが、
皆一様に「人参を飲ませなさい」と言うばかり。
長者はため息をつき、絶望に沈んだ。
そんな折、柳行李を背負った薬師が門を叩いた。
過去の偽医者を思い出した長者は追い返そうとしたが、漢方薬を扱う者なら無知ではあるまいと屋敷に招き入れた。
薬師は品格を備え、医者とも僧ともつかぬ佇まいだった。
長者は孫娘の部屋に彼を通し、「命を救ってください」と膝をついた。
薬師は脈を取り、顔色を窺い、か細く呻く彼女に穏やかに語りかけた。
「この病は一朝一夕で癒えるものではない。辛抱強く時を待たねばならぬ。
だが、絶望することはない。庭の桜が三度花を咲かせる頃には、元気になろうぞ。その日を思い、一日一日を生きなさい。」
孫娘は潤んだ目で頷いた。
長者は半信半疑ながら、薬師の清らかな顔に希望を見た。
だが、過去の「仏像の木くず」の言葉が蘇り、落胆が胸をよぎる。
「どのようにこの子を救うおつもりか?」と詰め寄ると、薬師は柳行李から針管を取り出した。
「血流が滞り、心の臓に負担をかけておる。馬糞鷹が穢れを食らい清めるように、針管で悪血を取り、鍼で気脈を整え、調薬を施す。
人参は病を癒さず、活力を与えるにすぎぬ。今は不要だ。」
長者は目を丸くし、「木くずや人参と言わなかった!」と声を上げ、頭を下げた。
薬師は薬草を煎じ、湯呑に移して孫娘に渡した。
「これを飲み、私を信じるのがお前の役目だ。」孫娘は飲み干し、静かに目を閉じた。
村外れの道祖神の前で、馬糞鷹がキィと鳴いた。
長者はその声を聞き、呟いた。「長元坊よ、真の薬売りを導きたまえ。」
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