第42話 ただ聞いていて
「アイゼル……」
侍女とマーシャルと一緒にやって来たクレアが僕の名前を呼んだ。
侍女が大きなバスケットを持っている。
ピクニックにでも来たのでだろう。
ルークの事があって気になっていたマーシャルも笑顔でホッとした。
クレアが元気付けたのかもしれない。
3人のすぐ後ろには、ギリアムとコリン、ダリルがいて、僕の命令通りクレアの護衛をしていたようだが……。
皆、僕の存在に驚いている。
特にダリルは寡黙な印象とは別で、親しくなると表情がとても分かりやすい。
あからさまに、楽しい時間を僕に邪魔されたと言う顔をしている。
護衛と言っても、実行犯のルークは捕まっていて、操っていた者がこの城砦にいる可能性は低い。
ピクニックを楽しみたくなる気持ちも分かるが……。
ただ、この雰囲気はそれだけではない気がした。
「ミア、ギリアム。私はアイゼルと話しがあるから、ちょっと離れた所でピクニックを楽しんでいて」
クレアが言う。
「はい、クレア様。マーシャル、こっちですよ」
侍女がバスケットを持って先頭を進むと、皆が僕に挨拶をして続く。
「アイゼル様……」
最後のギリアムが僕に何か言いかける。
しかし、クレアがギリアムを止める。
「大丈夫よ、ギリアム」
一瞬見つめあった2人に強烈な違和感があった。
ニコッとギリアムに一瞬親しげに笑いかけたクレア顔は、僕を見つめるといつもの儚げなものに変わっていた。
ただ、この少し離れていた時間に確実にクレアを変えたものがあるらしかった。
カタッ
クレアは東屋の僕の向いに座ると庭園を見渡した。
僕を包む花の香りが一層強くなった。
「私、この庭園がとても好きだったわ」
クレアの言葉に僕の心臓が跳ね上がる。
好きだった━━。
彼女は過去形で話している!
「寂しくても、ここに来れば慰められた。アイゼルが私の為に用意してくれた庭なのよね。
私を遠ざけたのはあなただけど、あなたが6年間ずっと私を守っていてくれたの」
遠い目をして話した後に、僕を見つめて微笑む。
「クレア……」
名前を呼んだが、僕は何を言えば良いんだろう。
彼女は何を言おうとしている?
教会とホムンクルスの関係。
皇帝の弟だと言う僕の正体。
クレアが知っいてはおかしい事を知っている。
なぜ、君がそれを知っている?
クレアの継母は僕の敵かもしれない。
情報源が継母であったなら、僕は何から君を守ればいいんだ?
━━ただ、僕は君が欲しいだけだ。
立場上、許されなくても。
君が“僕の生命を狙う者”だっていい。
そのままの君を僕に見せて、信じさせてくれれば━━
「私はずっとアイゼルに守られて何も出来なかった。でも、あの頃は私に秘密なんてなかったのよ」
━━秘密。
クレアの口から直接その言葉が飛び出して驚いた。
悪びれる風でもなく自然に彼女の口からついて出て来た言葉だった。
僕は乾いた喉から搾り出す様に問う。
「今は、……今は秘密があるのか……?」
コクっ。
真っ直ぐに僕を見つめてクレアが頷く。
僕は一瞬目の前画真っ暗になる。
でも、クレアが秘密の存在を明かしたと言う事は、秘密の内容も明かすと言う事だ。
「どんな秘密なんだ?」
僕は期待のこもった優しい口調で尋ねた。
けれど、期待はすぐに打ち砕かれた。
クレアが小さく両手を握りあわせると、首を左右に振った。
僕の目を見ずに、搾り出す様に話す。
「それは、……絶対に言えないの!」
「誰かに脅されているのか? クレア」
あの継母が? 最近になって接触して来たのか!?
「違うわ。私がたった一人で抱えてる秘密なの。誰も関わってる人はいない」
「え?」
継母との関わりがないのなら安心だが、そんな事は可能か?
「どうやって一人で知ったんだ……?」
誰とも接触せずに、クレアがたった一人で国家機密をどうやって知れると言うんだ。
「……言っても信じてもらえない」
クレアは答えない。
「言ってみないと分からないだろう。判断するのは僕だ!」
どんな事だろうと、信じる! それだけだ!
僕の頭に血が昇る。
……また、クレアが僕に嘘を……。
目の前が暗くなる。
クレアは相変わらず僕を見ていない。
俯いたクレアが微かに身体を震わせている。
「何故、君はそんな嘘を付くんだ……」
自分で言葉を発したとは思わなかった。
僕の心の中の諦めが言葉と言う形になって漏れた。
クレアがやっと僕を見る。
「嘘じゃない、本当の事よ……」
彼女の瞳にも諦めがあった。
このまま話しても平行線だろう。
クレアは手を伸ばせば届く所にいるのに、まるで幽霊の様にすり抜けてしまう。
見つめ合っているのに、何処かお互いに違う場所を見つめている。
僕が見ているのは何なんだ?
この目の前の自分の妻を、美しいこの女性を僕が見ていないと言うのか?
「クレア、君の望みは何なんだ……」
まるでクレアは、僕から離れたがっている様じゃないか?
◆◇◆
私の望み……。
それは、アイゼルが私を必要としてくれる事。
アイゼルに必要とされないのに、この物語のヒロインとして居座るつもりはない……。
━━でも、
私は何を見ていたのだろう?
アイゼルが私を必要とする訳がないじゃない!
私を守る為だけに6年間も自分を押さえつける事が出来てしまう人に、私の運命をゆだねてはいけなかった。
アイゼルは、私にとって安全で最善の道を選んでしまう。
私を見つめているアイゼルの瞳は何処か遠くを見つめている。
彼が観ているのは今の私ではない。
『次は君の番!』
そう言って投げた本を拾って、手渡した幼い頃の私。
アイゼルと前世の自分を、運命の檻から解き放った私だ。
『クレア、君の望みは何なんだ……』
あ……。
操られたルークのナイフが、私の腹部を貫こうとした時、強く思った。
もっともっと、好きって言いたい!
この気持ち、アイゼルにもっと伝えたい━━!!
私は、ただ純粋にアイゼルが好きなだけ。
望みはこれだけ。
◆◇◆
「好き。私はただ、アイゼルにいつも好きって言いたいだけなの」
クレアが言う。
「え?」
僕はクレアの望みが直ぐには頭に入って来なかった。
「アイゼルは、陰謀とか皇族とか教会とか、私の事なんて、何も考えなくて良いの! ただ、私がアイゼルを好きって言い続けるから、ずっとずっと聞いていれば良いの!」
……。
やっぱり、何を言っているのか理解できなかった。
「アイゼルは、私の望みを叶えてくれるの?」
少し落ち着いた口調でクレアが言う。
「いや、だって、君が何故、秘密を知っているのか……」
「私の望みを聞いたのはアイゼルでしょ? 叶えてくれないの?」
「……でも……」
「もう黙って!」
クレアに怒られて僕は黙った。
「アイゼル、好き」
「アイゼル、大好き」
「アイゼル、世界一大好き」
「アイゼル、大好き大好き」
「アイゼル、えっと、大好き大好き……?」
「アイゼル、……」
「……何か言う事ないのアイゼル?」
心地よくクレアの声を聞いていた僕に、言う事を思いつかなくなったクレアが聞く。
「……聞いてればいいって……」
ムッとクレアが怒る。
「アイゼル、好き大好き大好き好き好き!」
大好きではない言い方で言い続けるクレア。
さっきまでの心地良い呼びかけが台無しだ。
「クレアちゃんは直ぐ怒る」
ボソッと僕がつぶやくと、
「怒らせるのはアイゼル!」
っとサッと反論して、怒りの大好きを続ける。
いつまで聞き続ければいいのか?
呆れながらクレアを見ていたら、さすがに口がもつれる回数が増えていく。
「らいすき大好きだいすくだいすく……」
ふふっと笑うと、クレアが僕を見る。
ちょっと怒ったクレアの顔が笑顔になり、2人で笑い合う。
クレアの腕が僕の肩に回され、僕はクレアの腰を抱いていた。
「大好き」
止まらないクレアの声を、僕は唇で塞ぐ。
僕はやっとクレアを手に入れた━━。
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