第33話 ずっと閉じ込めて
「何故っ!? クレア、君がそれを知っている……!」
アイゼルに問われても、私は何も答える事が出来なかった。
私は、あなたがヒーローのこの物語の原作を読んでいるから、知っているんですよ。
そんな事は言えない。
あなたが好きすぎて、この物語の原作にいない貴族令嬢として転生して来たんです。
言っても信じてはくれないだろう。
では、ただの貴族令嬢の私が、ホムンクルスに関わる国家レベルの機密を知っているのは何故なんだろう?
説明できない。
だって、絶対に知りようがないから。
アイゼルの疑いに沈黙する事しか出来ない私。
スローモーションのようにアイゼルの身体が息を呑む動きで上下する様子を見ている。
何も出来ないまま、心の焦りと時間が剥離して行く。
背後に灯りが近づいて来る。
ミアが別のランプに火を付けていた。
「アイゼル様。恐れながら申し上げます。クレア様は、故郷でホムンクルスの治療後に操られた人を見た事があるのです」
私が驚いて振り向くと、深く頭を下げたミアがアイゼルに向かって話をしていた。
「本当か?」
訝しげにミアに問うアイゼル。
「正確には分かりませんが、見かけたクレア様と私は、後からあれはホムンクルスに操られていたのだと話し合いました」
ミアの嘘に私は舌を巻いた。
なんて嘘が上手いの。
「もうずっと昔の事です。クレア様は忘れてしまって、ホムンクルスに操られると言う知識だけが残っていたのだと思います」
「そうか……」
アイゼルが言う。
「ギリアム。とにかく、ルークは一旦地下牢に入れる」
「はい」
ギリアムが答えると、ルークは他の従者達に引きづられて連れて行かれてしまう。
私はルークの後ろ姿を見送るしか出来なかった。
廊下への扉が開かれると、外は俄かに騒がしくなっていた。
真夜中のこの騒ぎに気付いた者達が起き出したのだろう。
部屋には別の従者がやって来てアイゼルと何か話している。
アイゼルはまだ私の肩を抱いていて、私はアイゼルの体温を感じながら、いまだに衝撃の中にいた。
操られたルークに襲われた事よりも、ルークを操っているのがホムンクルスを従属させている教会だと暴いた事で、アイゼルに疑われた事の方が私はには衝撃だった。
『何故っ!? クレア、君がそれを知っている……!』
驚愕に満ちたアイゼルの瞳。
私へ向ける視線が疑惑から確信に変わって行く様子を私は見ていた。
アイゼルのあの異質な化け物を見るような瞳がまだ私の目に焼き付いている。
原作にいない私は、アイゼルの瞳に映る通り嘘偽りなく異質な化け物なのだろう。
アイゼルはまだ私の傍で肩を抱いていてくれるが、ミアの嘘を信じたのではない事は分かる。
とにかく、その場を収めたのだろう。
ミアも、たぶん、アイゼルを騙せると思ってやった事ではない。
ただその場を取り繕えればいいと考えての事だ。
何も知らずに、私の話した内容から、主人を守る嘘を咄嗟に作り上げた。
「クレアは僕の部屋に連れて行く」
アイゼルがミアや他の集まって来た従者たちに言うと、私はアイゼルに抱き抱えられた。
そして、私はアイゼルの部屋に連れてこられた。
ミアや従者たちはここまで来ると細々した用を済ませて出て行った。
今はアイゼルの部屋で私とアイゼルが2人っきりだ。

アイゼルは一言も話さないまま、ソファに座ると、より強くわたしを抱きしめる。
生命を狙われた妻を心配する夫の行動として見れば自然なのかも知れない。
アイゼルの腕の中で私は、まるで途轍もなく愛されているように錯覚してしまう。
直前の私の失態から、それがない事はわかっていても。
辺境伯の次男で、この城砦の主人の妻を地下牢に入れる訳にはいいから、こうしてアイゼルが自ら捕らえて置くために私を抱いているのだろう。
でも、これは6年間の形だけだった結婚よりずっと良い。
今だけでも、アイゼルの熱と鼓動に包まれていたいと思い、わたしはいつの間にか幸せな眠りについた。
◆◇◆
「アイゼル! ルークはホムンクルスの治療を受けているの! だから、教会に操られたんだわ!」
何故!? 君がそれを知っているんだ!?
辺境と帝国領の境界に近い都市で、僕はルークがホムンクルスの治療を受けている事を知った。
だから、急いで君を守る為に城砦に戻って来たんだ。
予感が的中して、駆けつけた君の部屋でルークを取り押さえて、やっと君を抱いてホッと安心したところだったんだ。
なのに、何故だ。
「待って! ルークは操られてただけなの!」
それは分かる。
誰でも今のルークをみれば操られていると見抜くだろう。
だけど、
「ルークはホムンクルスの治療を受けているの! だから、教会に操られたんだわ!」
これを知る者はいない。
教会でもごく一部の者や、帝国上層部だけが知る機密だ。
ただの地方貴族の令嬢が知っているはずないんだ!
僕の顔にどれ程の驚愕が現れているのか?
鏡を映すように、クレアの顔にも驚きが広がる。
「あ」
誤魔化せないと言う諦めが、クレアの身体から正気を奪って行くようだった。
虚空を見つめて焦点の合わなくなって行く瞳が、また違った彼女の美しさを見せてくれる。
これだけ近くで君の表情を観察できるのに、どうしてこんなに悲しい表情なんだ。
6年間、僕がクレアを遠ざけたのは、彼女の継母の予言めいた“呪いの言葉”と白い影のせいだった。
継母の予言の年に皇帝の子を連れて現れたマーシャルとルーク。
しかも、皇帝の子は継母の娘、つまりクレアの異母妹の子でもあると言う。
ここに継母の作為を感じずにはいられない。
継母にどんな意図があるのかは分からないけど、クレアを虐げていた継母から、クレアを守りたい、それだけだった。
でも、クレア。
君も継母と結託していたのか?
何か狙いがあって僕の所に来たのか!?
クレアの侍女のミアが、クレアを庇うように咄嗟に嘘をついた。
その嘘を信じられたらどんなに良かったのか。
僕の腕の中のクレアの表情が、それが嘘だと物語っている。
侍女の嘘に驚いて、嘘が信じられる事に期待する瞳。
でも、結局は不安に揺れて、懇願するように僕を見つめている。
揺れる表情が愛おしい。
こんな素直な彼女が、僕を騙そうとしているのか?
僕はクレアを自室に連れて行った。
もうルークによる襲撃はないが、クレアを彼女の部屋に居させる気はなかった。
今は、ただ愛してるから腕の中でクレアを抱きしめる。
無事で良かった。
触れた場所から伝わる温もりに、涙が出そうになった。
後一瞬でも遅ければ、この温もりを永遠に失っていたのかも知れない。
ずっと安全だと思っていたこの城砦がとても危険な場所に思える。
それでも僕の部屋が一番安全だろう。
途中ターニアの部屋を通ると寝ているようだった。
心配した女中がいつにも増して増えている。
護衛も増やし、これなら安心だと思ったが、何かが引っかかった。
ルークは今夜はターニアの護衛をしていたはずだ。
一緒だった護衛を気絶させ、クレアの部屋に向かってクレアを襲った。
何故? ターニアではなく、クレアだったんだ?
恐らく、僕がいないこの城砦で一番狙われる可能性があるのは皇帝の子であるターニアだ。
襲われるとしたらターニアだったのではないか?
だが、ターニアはルークはこの城砦まで送り届けたのだ。
ここに着く前に狙うならいくらでも機会はあった。
もし、クレアとターニアが狙いなら、この城砦に入り込む必要がある。
だから、今まで待ったのかも知れない。
「……スー」
腕の中から寝息が聞こえて来る。
自室に戻ってから、クレアをずっと抱きしめて考え事をしていたらしい。
文句も言わずに抱かれていたクレアは寝てしまっていた。
また僕はクレアに勝手な事をしてしまった。
6年間も、何も言わずにこの城砦にクレアを閉じ込めて、今この腕に閉じ込めていた。
ずっと閉じ込めていても何も言わない。
君にどんな秘密があっても、それでも僕を包んでくれる。
これ以上に僕は君に何を求める事があるんだろう。
ただ僕も君を信じれば良いだけだ。
僕はクレアを抱き上げるとベッドへ運んで行った。
数日前に、お互いの気持ちを確かめた日の再現のようだった。
彼女が眠ってしまって、朝まで一緒だったがそれだけだった。
たぶん、城砦の者たちは僕らが、本物の夫婦になったと勘違いしているだろうけど……。
何かが頭を過ぎる。
手掛かりが掴めそうな何かが……。
「ん……」
ベッドに寝転んだクレアが伸びをする。
無邪気な寝顔に思わず笑みが漏れるが、両手を上げた寝相にさっきの光景が蘇った。
ルークに組み伏せられたクレアが腕を上で押さえつけられて、たくしあげられたスカートから腹部が顕になっていた。
思い出すだけで、怒りが込み上げて来る。
操られていたとは言えルークが僕のクレアに触れていたんだ。
生命が助かった事でホッとしていたが、この怒りは消えない。
僕はそっとクレアの腹部にドレス上から触れてみる。
ふと、さっき掴みかけた何かが戻ってきた。
ここはクレアの子宮だ。
狙われたのはクレアではなくなかった。
僕の子供を狙っていたんだ……っ。
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