第16話 転生者

アイゼルの執務室を出るとギリアムが私の部屋まで送ってくれた。


「ふふ、良かったですね」

ギリアムと何か言葉を交わしたのかも知れないけれど、私はアイゼルとのキスにボーッとしていて覚えていない。


部屋ではミアも何か言っていたような気がする。

「ニヤニヤしちゃって、何があったんですか? クレア様」


そんな夢見心地でベッドに入り、最高の気分で眠った。


6年間の私の想いが報われて、アイゼルと本当の夫婦になれたんだ!


明日、目覚めて、夢だったなんて事になりませんように━━。


◆◇◆


朝、起きた時の気分は最悪だった。


夢の中で、自分が本の世界への転生者であり、この世界の邪魔者だと知ってしまった。


病弱だった私が大好きで何度も読み返した本のヒーローがアイゼルだった。

だだ、同じ空気を吸えるだけでいいと思っていたアイゼルと、何故か結婚して、ヒロインとの恋を邪魔している。


『安心していい。この子は妻と私が育てる』

ヒーローのアイゼルが言い。

『ありがとうございます』

ヒロインのマーシャルが答える。


いやいや、あなたたちが一緒に赤ちゃんを育てないと、この物語始まりませんから!



「どうしたんですか? 昨日はあんなに幸せそうだったのに?」

朝の支度を手伝ってくれていたミアが私の顔を見て言う。


私は朝食を食べながら、心ここに在らずで、答える事が出来なかった。

ポロポロとフォークが口に入っていかず食べ物がこぼれ、あげくミルク入ったグラスを倒した。


「赤ちゃんじゃないんですから……!」

ミアは最初は怒っていたけど、後は心配そうに見つめるだけだった。


ボーッとする私に呆れながらミアが赤ちゃんの所へ誘う。

「育てる事にしたんですから、お母さんが会いに行かないなんてダメですよ!」

確かにそうだった。


貴族が自分の子を直接育てる事はほとんどない。

私は産んでいないのだし、母乳も出ないしやる事がなかった。

侍女たちが、ミルクをあげてオムツを変えて寝かしつけて、全部やってくれる。


赤ちゃんは昨日あれだけ寝て疲れが取れたのか、ベビーベッドの中で起きていた。


あー、うー、と声をあげながら空中に手を伸ばして何かを掴もうとしていた。

ミアは赤ちゃんに夢中で、侍女たちに聞いて抱かせて貰っていた。

私はやっぱり心ここに在らずでボーッと眺めていた。


邪魔者の私があの中に入ってはいけないと思えた。

赤ちゃんをベビーベッドから抱き上げた侍女が、そっとミアに赤ちゃんを渡す。

赤ちゃんを気遣いながらそっと動く細やかな動きに、ミアには本の住人ではない現実感があった。


異端者の私が入ってしまったら、このリアルな世界が壊れてしまう気がした。

現に、私がいる事でヒーローとヒロインの出会いを決定的にズレたものにして、この物語を壊してしまっている━━!


「クレア様も抱っこしてくださいね」

そう言ってミアから赤ちゃんを押し付けられる。

私は赤ちゃんをとっさに手に抱いたものの、朝の朝食の光景を思い出して青ざめる。

ポロポロと落ちる食べ物、こぼれたミルク。


私は一瞬で思考に世界から引きずり出された。


「ちょっとっ! 危ないでしょう!? 今の私はボーッとして赤ちゃんを落としちゃうかも知れないのに!」

落とさないようにしっかり赤ちゃんを抱いて、ミアに抗議する。

「ああ、良かった。やっと話してくれて」

とミアが笑う。


荒療治はいいけど、赤ちゃんを使っちゃダメ!?


ただ、ミアは完全に私が赤ちゃんを落とすかもという前提で身構えていた。


「どうしたんですか? 昨日はあんなに幸せそうだったのに、今日は不幸のどん底って顔をしてますよ」

ミアが私の肩に手を置く。


「私は何があってもクレア様の味方ですから、なんでも話して下さい」

ミアの体温の温もりに、私の心も温かくなる。


なんでミアが遠い存在のような気がしたんだろう?

ミアは私の友達でお姉さんで、私にリアルに感じさせてくれる存在だった。


今、私自身をこの世界にしっかりと繋ぎ止めていてくれる━━。


私を思い気遣って行動してくれる人がいる。

私はもうこの世界の住人だった。


でも、

「ちょっと幸せすぎて不安になっただけ」

そう言って誤魔化した。


私が転生者である事は、ミアにも話せない。


オギャーと赤ちゃんが泣き出す。

私が大声を出したからビックリしたんだろう。

どうしたらいい?

困って、侍女に預けると直ぐに泣き止んでいた。


やっぱり、私が母親になるのはまだ早い。


また、少し離れて考える。


私はこの世界が本の中にある事を知っている。

でも、もうすでに私はここの住人なのだから、このままこの世界で生きて行くだけだ。

そう、自分の中で納得した。


考えてみればそこは全然悩む必要のないことじゃないだろうか?

子供の頃の記憶と経験、連続した人間関係があるのだから、私はクレア・ハリエットで間違いがないのだ。


問題があるとすればヒーローとヒロイン、アイゼルとマーシャルの恋路を邪魔していることだった。


━━この世界は危機に瀕している。


本の内容は詳しく思い出せていないけれど、ヒーローとヒロインによって世界の危機が救われる、そんなお話だった。


ヒーローとヒロインの出会いのきっかけになった赤ちゃんと皇帝陛下を狙う者が、その危機の原因なのだ。


二人が恋して一緒に赤ちゃんのために動くことが危機を回避する肝!

ここで私がアイゼルとマーシャルの邪魔をしていたら、この世界はどうなってしまうの!?


その時、マーシャルとルークが部屋に入って来た。


「クレア様、おはようございます」

二人が私に挨拶する。

「赤ちゃんがスッカリ馴染んでいて安心しました」

ちょっと寂しいけど、とマーシャルが言う。


「アイゼル様にお会いして、私はこちらでオートマタの技師として働かせていただく事になりました。オートマタの他にも魔石で動く物なら直せるので、クレア様も直す物があればいつでも言ってください」

マーシャルが言う。


「今も赤ちゃんの世話をしている、あの子はオートマタなんですよ。アイゼル様には念入りに整備して欲しいと言われました。私が赤ちゃんを気にしてるから、赤ちゃんにいつでも会えるように配慮していただいて、アイゼル様はとっても優しい方ですね」


マーシャルはアイゼルに好感を持ったようだ。


本の中でも、マーシャルはオートマタの技師として雇われ、その気遣いよ優しさに、悪い噂の絶えないアイゼルの本当の姿を見て恋をするのだった。


これは、良いことなのではないかしら?


物語が本来の姿を取り戻すかも知れない。


でも、私は?


嫉妬心が抑えられない。

私が去った後の城で、アイゼルとマーシャルが仲睦まじく暮らす姿は想像したくなかった。


━━末長く幸せに暮らしました。


物語が進んで、世界の危機を救った二人がエンディングを迎える時に、私は何をしているんだろう?


今、ここで私が身を引かないと、世界は崩壊してしまう。


でも、アイゼルの甘いキスを知ってしまった私は、見つめるだじゃもう満足できない!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る