第2話 辺境の城砦で

バタバタ。

足音が早朝の城砦に響く。


帝国の辺境伯が治める土地の、特に辺境にこの城砦はあった。


城砦は高台から北方に続く内海を見下ろせる場所にある。

かつては北方民族との海峡の戦いの要だった。

でも、今は人のあまり住まない寂しい場所。


海と反対の荒野の荒々しい岩肌の隙間から登る朝日と共に静かな朝が訪れる。

今日は、朝だと言うのに激しい雨で、外は夜明け前の暗さが続いている。


城砦の使用人は珍しく朝から騒がしく動いていた。


城砦の奥にある女主人である私の部屋にも、人々の喧騒が響いてくる。


「何かあったんでしょうか?」

着替えを手伝ってくれている侍女のミアが言う。


なんだかイタズラっぽく期待に瞳が輝いているように見えた。


「面白い事が起こったりしてないかな?」

などと言ったりもする。


「ミア」

と私がたしなめる。


「分かってます。すみません、クレア様」

あまり悪いと思っていない様子でミアが言う。


ミアは結婚前から私の世話をしてくれていて、実家から付いて来てくれた。

いつも一緒の何でも話せる関係だった。


ミアをたしなめたものの、私だって気になる。


ただでさえここは何も無い辺境の城砦だ。

辺境は、精霊の魔力が多く天候が荒れやすい土地。

連日続く雨と悩みで暗く気持ちが塞ぐような日々が続いている。


この騒ぎの非日常感に少しだけワクワクする。


でも、ちょっと考えれば、この雨の中で起こる騒ぎと言えば、土砂崩れなどの自然災害や、誰かが倒れたとか怪我したとかワクワクできるような出来事であることはまずない。


「もしかしたらアイゼルに何かあったかもしれない!」


私はそう叫んでいた。


雨とは別に連日私を悩ませる主である夫のアイゼル。

何かあったのかもと思うと、サーっと血の気が引いていく。


「どうしよう……!」

不謹慎な気持ちは途端に不安に変わった。


「いいじゃないですか。旦那様に何かあればこの城砦はクレア様の物になるんですから」

ミアが言う。

その冗談は笑えなかった。


「ミア、止めてよ! 嘘でもそんな事は言わないで!」

アイゼルに何かあったかもと考えると、不謹慎にも少しでもワクワクしていた自分を呪いたくなった。


「クレア様、落ち着いてください。ごめんなさい。旦那様は大丈夫ですよ。万が一があると思ったらこんな軽口叩かないわ」


ミアが座っていた私を優しく片腕で抱き寄せてくれる。

背の低いミアが大きく見える瞬間だ。

ミアは姉のように優しい。


アイゼルは大丈夫。きっとそうだわ。

私は少し落ち着いた。


「ちょっと様子を見て来ますから、おとなしく待っていてください、奥様」

ミアは片目をつぶって言うと部屋を出て行った。


ミアが行くと取り乱してしまった自分が恥ずかしくなる。

本当にアイゼルに何かあったと思ったわけじゃないの。


アイゼルを失うなんて私には一瞬だって考えられない。

ずっとそう思っている。


ただ、この所は事情が変わってしまった。

もしアイゼルに万が一の事があれば、永遠に私のモノに出来るのに━━、なんて考えが頭を過ぎるくらいに。


アイゼルはこの地を治める辺境伯の次男だ。

年老いた辺境伯と病弱な長男の代わりに実質的な領主としての実務をこなしている。


領主の館からは遠く離れたこの城砦は周囲に大きな街もなく、精霊の魔力にせいでたまに嵐に見舞われる。

不便そのものの場所なのだけど、領主ではない次男が領地を管理するには都合が良いらしく、妻である私もここでずっと暮らしている。


退屈な場所だけど夫といられるのが一番嬉しい私には悪くない所だった。


なのに、アイゼルは殆ど城砦にはいないし、居たとしても私と顔を合わせる事はなく、夫婦の仲は冷え切っていた。


結婚して6年間、ずっと夫婦らしい事は何もなく、結婚した当日にはもうこの結婚が間違いであった事に気づいた。


『酷い! どうして! 旦那様はクレア様との結婚が嫌だったんですか!?』

側で見ていたミアはひどく怒っていた。


『離婚しましょう! クレア様! ご実家も辛いかもしれませんが、きっともっと良い縁談がありますよ!』


ミアが私のためにアイゼルに怒ってくれる気持ちは嬉しかったし、自分がとても酷い扱いを受けている事も分かってる。

ミアの言う通り、こんなに嫌われているのなら離婚しようかと考えた事もあった。


それでも、どうしてもアイゼルを嫌いになれないし、離れたくないと思った。



むしろ、ここまで嫌われているのに結婚できた事が嬉しかった。

アイゼルは、小さな頃の約束を覚えていてくれたのかしら?


あの日の私と大人になった私は、すっかり変わってしまったでしょう。

だから、アイゼルが覚えていたなら、がっかりしたのかもしれない。


いつか、離婚を言い渡される時が来るかも知れないけれど、今の幸運に感謝してる。

私が、自分から離婚したいと言う事は絶対にないと思った。


『クレア様がそれでいいなら、もう何も言いませんけど、これ以上ここにいたらもう再婚なんて出来ませんよ』


ミアにはすっかり呆れられて、結婚して6年、私は24歳になっていた。


再婚するなら、もういい縁談は無いだろう。


後悔は無いけれど、ミアも一緒に6年分の歳をとらせてしまった事が申し訳なかった。


『私は一生クレア様にお仕えするって決めてるからいいんです。慣れればここの暮らしも悪くないです。ただ、クレア様の赤ちゃんのお世話はしたいなぁ』


それは叶わない夢だった。


ミアだけでなく、周囲の期待があった。

6年間、子供のいない事がじわじわと私を追い詰めて来ていた。


私たち夫婦が不仲である事は城砦の使用人なら誰でも分かる事だ。

でも、対外的には仲のいい夫婦を装い、外には知られないようにして来た。

それはアイゼルも同じだったと思う。


と言っても、私は殆どこの城から外には出ないので、手紙の中や、滅多に尋ねてこない来客に対してだけで良かった。


それでも、何処かからは噂がもれるものだ。

6年間も子供の出来ない夫婦。

私たちの話題の前には、いつもその言葉が付いていた。


周囲からのプレッシャーにより、その時が迫っているような感覚があった。


離れて行ってしまうアイゼルをどうすれば、永遠に私のものに出来るだろう。


動かないアイゼルを抱きしめる。

その彫刻のような美しい顔をうっとりと見つめる私。


それが、幸せのイメージになっていた。


私は、ずっとアイゼルのそばにいたいのに━━。


時間がそれを許してはくれない。


━━そして、つい先日、政務から城に戻って来たアイゼルに離婚を提案された。

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