第4話 クレアと冒険

外の静寂を破るように、並び立つアパートの隙間から朝日の光が差し込んでいた。


新しい一日の始まりを告げるように。


「……は!」


クレアが突然、目を見開いた。体にかかっていた薄いタオルを投げ捨て、ベッドの上に立ち上がる。


「今日は冒険に行かなきゃ!」


そう宣言すると、クレアは横で寝ているトールの腹へ思い切りダイブした。



☆★☆



「天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来……」


トールが家の壁に向かって正座をしながら、何やら祈りを捧げていた。


その様子をクレアも後ろで正座をして、じっと見つめている。起きてからだいぶ経ったので、すでに身支度を終えていた。


……とは言っても、後ろ髪を赤い紐で束ねただけだ。着ているのは起きた時のままの白いワンピース一枚。


「なぁ〜とーちゃん、いつから冒険行くんだ〜?」


クレアがしびれを切らして、トールのもとに近づいた。かれこれ5分ほど、トールは祈りを続けている。


「……地にも行われんことを。われらの日用の糧を、ヴゥ!今日われ……」


「なあ〜」


クレアがトールの背中に飛びついた。トールは突然の衝撃に面食らったが、なんとか耐えたようだ。


トールが信仰している宗教のお堂はこの町にはない。そのため、トールは一人で祈りを捧げなければならない。


また、きちんと創始者がいる方向に向かって、誠心誠意を持ってきちんと読まなければ意味がないため、トールは必死だった。


「な〜とーちゃん、まだ〜?」


クレアがトールのほっぺたをつねる。トールは痛みを堪えながら、汗をダラダラと垂らして祈りを続けている。


一度でも言葉を詰まらせれば、もう一度最初からやり直しだ。


「とーちゃんー」


クレアが首の横から身を乗り出した。


「よいしょっと」


そのまま肩を超えて、トールの前に転がり込む。


「……」


「……われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、ヴ!ヴグ!われらを悪より救い給え……」


クレアはしばらくトールを見つめた後、突然トールの鼻の穴に指を突っ込んだ。


「ヴ!ヴヴヴゥ!ヴゥ……願わくは、聖父と聖子と聖霊とに……」


クレアは指をどんどんと奥深くまで侵入させていく。


トールの口が止まり、顔が引きつった。


「ハ、ハ……ハークション!」


凄まじい勢いでクレアの顔に粘液がぶちまけられた。


クレアは依然として、笑顔のままである。


「……」


「……」


しばらくの間、二人は見つめ合った。


「とーちゃん終わったか!?よし!これで冒険イケルな!」


「……クレア、手と顔、洗ってこい」


「……そうだな!」



☆★☆



トールとクレアがアパートを出発して10分後。二人は、ギルドの先にある繁華街まで来ていた。この先には行ったことがないので、とりあえず目指してきた場所だ。


二人は今、十字路に差し掛かっている。


「なーとーちゃん!前と右と左、どっちに行く?」


クレアが振り返って尋ねた。トールは、さっき店で買ってきた地図を広げている。


「あー、そうだな。えーっとなー……とりあえず右には行くな」


「どうして?」


「あー、それはだな……」


トールの地図には、右を曲がった先が「チョメチョメエリア」と書かれている。


「……大人の事情だ」


「そうか……大人の事情か……それじゃあしょうがないな」


「それでいいのかよ」


「……ていうかとーちゃん!その地図貸して!」


クレアが手を差し伸べた。


「え?あぁ……」


「冒険するのに、こんなのいらない!」


そう言うと、クレアは地図をビリビリに破き始めた。


「あ!おい!」


トールが声を上げた時には、すでに地図はくしゃくしゃに丸められていた。もはや原型をとどめていない。


「あ……それ高かったのに……」


クレアは、紙屑となった地図を差し出した。トールは、脱力したような表情で、そのボールを受け取る。


「さ!行くぞ!クーレア探検隊!」


そう宣言して、クレアは前に向かって歩き出した。


「まあいいか。後で繋ぎ合わせて光魔法でもう一回写そう」


そう言って、トールは地図の残骸を懐にしまった。


クレアはトールを置いて、スキップをしながら先へと進んでいく。白いワンピースがひらひらと風になびいている。


「おはよう!」


クレアがすれ違ったおばさんに挨拶をした。


「あら、おはよう。どこ行くの?」


おばさんがクレアの後ろで声をかけた。


「冒険!」


クレアは振り向いて元気よく答えた。


「行ってらっしゃい」


おばさんが笑顔で見送った。そして、トールと会釈を交わす。トールは先に進むクレアに向かって駆け出した。


しばらく歩いていると、道を行き交う人々の装いが変わってきた。鎧や剣を身にまとった姿が増えていく。立ち並ぶ店も、武器屋や防具店などに変わってきた。


どうやら、もう少しで魔物が出る領域に近づいているようだ。冒険者がたくさんいる中で、幼い少女と普通の市民のような格好をした男は、かなり場違いな存在だった。


周囲の視線が二人に集まる。


「おー!その剣カッコいいな!」


「え?あぁ。サンキュー」


クレアが剣を腰に差している男性に詰め寄った。クレアは周りの人などお構いなしで、気に入った防具や武器を身につけている冒険者たちに次々と話しかけまくっている。一方のトールも、まったく気にしていない様子で武器を立ち見したりしていた。


クレアは武器屋を見物しているトールを置いて、先へと進んでいった。


クエストに向かう冒険者たちで道が混雑してきたが、クレアは小さな体を活かして、人の間をまるで遊んでいるかのようにすり抜けていく。


気がつくと、クレアは狭い道から大きな広場に出ていた。そこで、クレアの足が止まる。目に映ったのは、巨大な門。そして、そこに並ぶ冒険者たちの長蛇の列。その光景は圧巻だった。


「おー!」


クレアは駆け出した。広場の中央にある噴水に登り、もう一度門を見上げる。クレアの瞳がキラキラと輝いた。


クレアは噴水から飛び降りると、大きな門の前にずらりと等間隔で立つ衛兵の一人に駆け寄った。衛兵もクレアに気づいて視線を向ける。


「なぁ、この先には何があるんだ?」


それを聞くと、衛兵はクレアと同じ高さになるまで腰を下ろした。


「……」


「……なぁ、何があるの?」


「お嬢ちゃん、この先に何があるかは、自分自身の目で見るものだ。人に教えられたからといって、それが真実とは限らない。そうだろ?」


「……うん」


「よし。ところでお嬢ちゃん、どこから来たんだい?ここはお嬢ちゃんのような子供が来るところじゃないよ」


「クレアは……あっちから来た!」


そう言ってクレアは、来た道の方を指差した。


「……お父さんかお母さんは?」


「……迷子になった」


「……困ったな」


衛兵が頭をかく。


「ほんとにな。まったくもー、あんだけ離れないようにって言ったのにー」


クレアが腕を組んで言った。


「いや、お嬢ちゃんが迷子なんでしょ」


衛兵がツッコミを入れた。


「アハハハハハハハ!」


クレアはそれを聞くと、突然笑い声を上げて走り出した。


「おい、お嬢ちゃん!」


クレアの姿は、人ごみの中にあっという間に消えていった

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