幼女クレアと始める異世界スローライフ
大天使 翔
第1話 クレアと出会い
「はぁ……」
私は道の真ん中を、大きな溜息をつきながら歩いていた。心が鉛のように重いというのに、昼下がりの繁華街は人々の活気で満ちあふれている。その対比が、さらに私の気持ちを沈ませた。
「どうして誰も入れてくれないんだろう……」
ギルドでパーティに加わろうと、いくつもの冒険者グループに声をかけて回った。返ってくる答えは決まっていた。
「うーん……私たちのところはちょっと……人は足りてるかなぁ。ごめんね」
「防御魔法しか使えないの?それじゃあ役に立たないわね」
全員、私の魔法について知った途端、丁寧な言葉で包みながらも、結局は門前払いだった。
「おい、マジかよ!アハハハハハハ!」
「だろ?超ウケるよな!」
数人の男の高笑いが耳に届く。視線を向けると、まだ昼過ぎというのに、酒場の前でチャラついた男二人が杯を傾けている。きっと、何かチートスキルでも持っているのだろう。強力なモンスターを倒しまくって、余った金貨で酒を楽しむ生活。この町は規模が大きいから、ああいう派手な冒険者も少なくない。
ギルドにも似たような人たちがいたけれど、そういうグループに入るのは何をされるか分からなくて怖い。
「村の方が良かったなぁ……」
もう一度、重く息を吐き出した。
このまま故郷に帰ってしまおうか。
そう思った瞬間。
「アハハハハハハハ!」
今度は後ろの方から、子供のような甲高い笑い声が聞こえた。
振り返ると、こちらに向かって駆けてくる五歳ほどの少女の姿があった。
黒髪を赤いゴムで一つに束ね、白いワンピースを着た、愛らしい笑顔の少女。いかにも元気な子供という雰囲気だったが、彼女は信じられないものを持っていた。
右手に剣を、左手に盾を握り締め、無邪気な笑顔を浮かべながら剣を振り回していたのだ。
「え……えっ、ちょっと!嘘でしょ!?」
道行く人々が悲鳴を上げながらその少女を避けていく。
「これおもしろいなー!アハハ!」
少女はそう言いながら、剣を振り回し、道の真ん中に立ち尽くす私に向かって駆け寄ってくる。
やばい。殺される——。
「ひ、光よ、せ、聖なるヒヒ光よ、古より……って、あれ!?この後何だったけ?!」
慌てて詠唱を始めるが、焦りで単語が出てこない。
「集中していれば何度だって発動できるのに……」
私はこの防御魔法しか使えない。それが発動できないなら、死ぬかもしれない。
「古より……古より……あーもう、だめ!」
必死に思い出そうとするが、呪文の続きが思い浮かばない。少女はもう三メートルほどの距離まで迫っている。
あと少し近づけば、剣先が届いてしまう。
逃げようと後ずさりするが、恐怖で足が震えて動かない。
もう終わったわ。都会では小さい女の子が猟奇殺人するのね。早く田舎に帰るべきだった——。
十八年間の人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。私は涙目で目を閉じ、天を仰いだ。
短い人生だったな——。
……あれ?
痛みがない。
……………。
ゆっくりと目を開けて下を見ると、少女は振り回していた剣を地面に突き立て、じっと私を見つめていた。
「なあ……お姉ちゃん、なんで泣いてるんだ?」
「え!?そ、そうね……」
「なにか辛いことがあったのか?」
「え……いや、ちょっと怖いことがあったの」
「そうか……怖いのは怖いなー」
「そうね……怖いのは怖いわねー」
「……」
「……」
周囲の人々が好奇の目で私たちを見ている。頭が真っ白で、体も動かせない。
「お姉ちゃん、その服、冒険者か?」
「え……まあ一応そうね」
「じゃあ、お姉ちゃん魔王役な。クレア勇者やる!」
「うん……って、え!?どこに話が飛んだの?」
クレアと名乗る少女は、地面に突き立てた剣をあっさりと引き抜くと、腰を低くして構えた。
「いくぞー」
「え、ちょっ、待って……」
横から振られた一撃を、反射的に避けた。どうやら、少しずつ体が状況に追いついてきたようだ。
その後も、クレアは何度か剣を振り回した。
「ちょっと、落ち着いて!それ、危ないものだから……ね?置いてくれる?」
「これか?これ、あぶなくないぞ?」
「いやいや、危ないものなのよ。ね?だから……」
「ほら」
「ちょっ!やめて!……あれ?」
クレアが盾を置いて剣先に指を触れた。すると、驚いたことに、クレアの指先は剣の中に溶け込んでいった。手を離すと、剣先は元の形に戻り、彼女の指から血は流れていなかった。
クレアはもう一度構えた。
「まおうよ、くたばれー」
「きゃっ!」
危険ではないようだが、剣の形をしているため、やはり反射的に体が反応してしまう。
もしかしたらこの子だけが安全なのかもしれない。やはり止めて確かめなければ。
私は後ろを向いて、走り出した。
「な、まおうめ、にげだしたか。おのれ……まてー」
クレアが追いかけてくる。魔法の呪文を唱えながら、私は逃げ続けた。
「光よ、聖なる光よ、古より大地を照らす清浄なる光よ。災厄に立ち向かう勇ましき者に、全ての闇を滅却せしめる、光の加護を与えたまえ」
詠唱を終えると、立ち止まって振り返った。クレアが剣を振りかざしてやってくる。もはや動きは勇者というより、無邪気な子供のはしゃぎ方だ。
「シャイニング・アーサー!」
その言葉と共に、私の体は眩い輝きに包まれ、薄い光のベールが全身を覆った。
クレアが一瞬たじろぐ。その隙に、私は彼女に向かって駆け出した。
懐に潜り込むと、眩しさを手で遮っていたクレアがむやみやたらに攻撃してきた。しかし、光のベールがその攻撃を弾き返す。
「とったー!」
ベールに剣が弾かれてクレアのバランスが崩れた瞬間、私は彼女の手から剣を奪い取った。
「おぉー!」
野次馬から拍手が送られる。
「……」
クレアは、勝ち誇った表情の私の顔をじっと見つめていた。するとだんだんとその目が歪み始め——。
「あーーーーーーーーんうわーーーーーーーん えーーーーーーんん……ぐすん」
「ちょっ、ちょっと……泣かないでよー」
もう……どうすればいいのよ。
「その……あ、そうだ!この剣!」
さっきこの子は怪我をしていなかったけれど、本当に安全なのだろうか?
クレアが泣いているのを横目に、そっと指を剣先に近づけた。
「え!?あれ!?うそ!」
近づけた指は剣先に吸い込まれていった。深く沈めば沈むほど、剣の形が変化していく。まるで水に触れているかのような不思議な感触だった。
どうやらこの剣は水でできているようだ。魔法の一種なのだろうか。水を剣の形に固め、そこに金属の質感を映し出しているのかはわからないけれど。
安全なようだ。
「あの……クレアちゃん?」
「ぐすん、ぐすん」
「わー苦しいーイタイーやられたー」
私は剣を放り投げ、わざとらしい声を上げながら地面に倒れた。
クレアはその光景を見ると、涙を拭って地面に落ちた剣を拾い上げた。少し私を見つめ、近づいてくる。
「はっはっは!どうだ!思い知ったか、まおうめ!このゆーしゃさまにひれ伏すがいい!」
もうどちらが魔王だかわからないわね。
「ふ……まおう!トドメだ!」
え?
バシャッ!
クレアが剣を私の腹に突き刺すと、剣の形が勢いよく崩れ、水となって私の体にかかった。
「……」
「……」
「……さらばだ」
そう言うとクレアは、野次馬の間を縫うようにして走り去っていった。
青空を見上げると、白い雲がゆっくりと流れていた。
☆★☆
夜の小道。周りには隙間なく建ち並んだアパートの窓が並んでいる。街灯もほとんどなく、月明かりだけが歩くときの頼りだった。
「はぁ……」
再びの溜め息。今日でもう何度目だろう。
クレアという少女に散々振り回された後、私は親切な野次馬のおばあさんに助けられた。びしょ濡れの服を脱ぎ、新しい衣服をいただいた。
いい人に巡り会えたと思った。
だが、しかし……
貰ったのは「メイド服」と呼ばれる奇妙な衣装だった。見た瞬間、少し変わった服だとは思ったものの、これが都会の「流行」なのだと思い込み、無邪気な気持ちで着てしまった。
これが運の尽きだった。
道を普通に歩いているだけで変な目で見られ、ギルドの酒場ではチャラついた二人組に声をかけられた。何をされるか分からず、神経を尖らせたまま過ごした一日に疲れ果てていた。
しかも、今改めて見ると無駄に露出が多い。胸元や太ももが必要以上に見えていて……。
「はぁ。やっぱり私、都会に向いてないのかな。帰った方がいいのかも」
そんなことをつぶやきながら、私は自分の部屋があるアパートに入った。
階段を重く、ゆっくりと上っていく。
踊り場に差し掛かった瞬間。
「とーちゃん、おねがいー」
「だめだ。人に謝らずに勝手なことをするような子には、夕食はやらん」
「クレアちゃんと謝るからー」
見覚えのある声が聞こえた。
恐る恐る上っていくと——
「あ」
「あ」
クレアと目が合った。しばらく互いに見つめ合った後、クレアはすぐさま私に近寄り、胸にうずくまった。
「わーーーーーんごめんなさいーーーーーまおうーーー。ごめんなさいーーーーー」
「わ、わかったから!ね?だから、クレアちゃん落ち着いて!ね?それに、魔王じゃないよ」
ガチャッと音がして、右側のドアが開いた。中から中背で引き締まった体格の男性が姿を現した。シュッとした顔立ちに黒髪をボブカットのように左右に分けている。優しさの漂う、理想的な父親という雰囲気だった。
「クレア?」
「とーちゃん!」
クレアは男性を見ると、私から離れて彼に抱きついた。
「クレア、あやまったよ!あやまった!」
「もしかして、この人か?お前が魔王魔王って言うからもっとゴツい人かと思ったぞ」
男性がクレアを見て言った。
「でもな、スッゴくつよかったぞ?いきなりヒカッてな、剣でズバーンってやったら、キーンってはじかれて、いつのまにかクレアの手からなくなってた」
クレアが大きく身振り手振りをしながら男性に説明した。
「あはは……あれはただ物理攻撃を無効化する魔法だから。それに、魔王って呼び方、そろそろやめてくれない?お姉さんそんなに怖くないでしょ?」
近づいて言ってみるが、何か不安そうな目で見られている。嫌われているのかもしれない……。
「本当にすみません。うちのクレアがご迷惑をおかけしたみたいで……。ほら、お前も謝れ」
「……ごめんなさい」
クレアが、少しこちらを向いて、涙目で言った。
「あはは……いいよいいよ!気にしないで!」
「あの……もしかして、このアパートにお住まいですか?」
「え、ええ……この部屋です」
「お隣さんですか!」
男性が腰を低くして、頭をかきながら言った。
「改めまして。引っ越してきたトールです。こいつはクレア。初対面以前に迷惑かけちゃってすみません」
「いえ……いいですよ、これくらい。私はシフォンと言います」
全く良くないけれど……。
「シフォンっていうのか?」
さっきまでトールさんの胸にうずくまっていたクレアが、少しこちらを向いて尋ねた。
「ええ」
「まおうじゃない?」
「うん」
「そうか!」
いや、魔王って呼び始めたのは君だよね?
「ところで、こんな偶然あるものなんですね。これから、よろしくお願いします」
トールさんが手を差し伸べてきた。
「よ、よろしくお願いします」
私もそれに応えて握手を交わした。
それを見たクレアは、握手する二人の手の上に自分の小さな手を重ねた。
「よろしくな!」
クレアは明るく、大きな声で言った。
そして私の新しい都会での生活が、思いもよらぬ形で始まったのだった。
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