目の前で、自分を助けようとしてくれたリゼッタが、何の躊躇（ちゅうちょ）もなく唐突に貫かれ、壁に叩きつけられた。

　その光景が、響夜（きょうや）の穏やかだった表情を、一瞬にして凍（い）てつかせた。

　普段は滅多に怒ることのない響夜が、自らの『仲間』を傷つけられたことへの激しい怒りに、我を忘れる。

　その瞳には、まるで深淵（しんえん）を覗（のぞ）き込むかのような、尋常（じんじょう）ではない光が宿っていた。

　響夜から放たれる圧倒的な殺気と、大地を揺るがすほどの魔力の奔流（ほんりゅう）。

　周囲にいる魔族がざわつく。

「ガーネス様」

「魔力。闇の力」

「ガーネス様、危険」

　低級魔族の戯言が響く中、ガーネスは、その不穏（ふおん）な気迫に眉（まゆ）を顰（ひそ）めた。

　その場にいた他の魔族たちは、恐怖に身を竦（すく）ませ、一歩も動けない。

「生意気な…。生贄の分際で私に敵意を向けるとはな……」

　ガーネスの嘲（あざけ）るような声が響くが、響夜（きょうや）の耳には届いていない。

　その視線の先には、血を流し、ぐったりと倒れるリゼッタの姿だけがある。

　響夜は無言のまま、一歩、また一歩とガーネスに歩み寄る。

　その足音が、薄暗い洞窟に重く響き渡った。

　戦闘が始まる。

　響夜は、片手をぶん…！と振り、衝撃波と共に黒刃（こくじん）の『魔法剣』を顕現（けんげん）させる。

　周囲にいた魔族は一瞬で、その魔力の衝撃波で消滅する。

「！」

　ガーネスは、予想外の事態に一瞬怯（ひる）むが、自らの立場に恥じぬ『力』を見せつけた。

「小賢しい…！人間風情が！」

　闇の刃を幾重（いくえ）にも放ち、空間をねじ曲げるような攻撃で響夜を牽制（けんせい）する。

　響夜は、その全てを避け、いなし、時に漆黒（しっこく）の刀身で弾き飛ばす。

　だが、ガーネスの魔力が凝縮（ぎょうしゅく）された一撃が、響夜の肩や脇腹を深く抉（えぐ）る。

　血が滲（にじ）み、流れ出る。

　しかし、響夜の表情は全く微動（びどう）だにしない。

　その瞳に宿る憎悪（ぞうお）は、痛みが増す毎（ごと）にますます鋭く、更なる狂気を帯びていく。

　まるで、その傷さえもが、彼の怒りを燃え上がらせる薪（まき）であるかのように。

「……ッ、なんだ？！　コイツ…！！」

　焦燥（しょうそう）の色が浮かぶガーネスに対し、響夜（きょうや）は全く感情のない瞳で、ただ一直線に突き進む。

　その足取りには一切の迷いがなく、多少の傷などまるで気にしていない。

　全身から溢れ出す黒刃（こくじん）の魔力が、周囲の空気を震わせ、洞窟全体を軋（きし）ませる。

　その連撃が、ガーネスの防御（ガード）をまるで紙切れのように打ち破っていく。

　一太刀、また一太刀と。

　その剣閃（けんせん）は、更なる闇を斬り裂き、一切の容赦無く、ガーネスの体に深く喰らい尽くしていく。

　

(ば…っ、馬鹿な？！)

「お前は…！！……一体…？！！」

　予想外の圧倒的な力によって、ガーネスはなす術もなく打ちのめされ、ついにその身体が地面に強く叩きつけられた。

　響夜（きょうや）の猛攻（もうこう）は止まることを知らず、最後のとどめとばかりに、全身の魔力を込めた一撃を振り下ろす。

　洞窟全体が轟音と共に揺れ動き、赤黒い閃光が迸（ほとばし）った。

　塵と化すガーネス。

　響夜（きょうや）はその様子に全く目もくれず、踵（きびす）を返し、満身創痍（まんしんそうい）の体で瀕死（ひんし）のリゼッタの元へと駆け寄ろうとした。

「ッ…？！」

　だが、体が鉛のように重く、言うことをきかない。

　脳裏を、以前リアーナが語っていた『精神力』を使いすぎることへの警告が過（よぎ）る。

　そして、今まで怒りにまかせて無視していた体中のあらゆる激痛が、津波のように一気に押し寄せた。

「ッ…がはっ！」

　体内のダメージも相まって、血を吐き、膝を付いてしまう響夜。

　それでも、彼はリゼッタのもとへ息を切らしながら必死に、這（は）うように向かった。

　彼女の命が今にも尽きようとしているのを見た響夜は、迷うことなく自身の腕を傷付け、そこから流れ出る血を、リゼッタの口元へと運ぶ。

（吸血鬼なら…これで……！）

　これは賭けだった。

　注がれる大量の血液。

　それを無意識ながら、ゆっくり吸い出すリゼッタ。

　そして、傷口は、みるみるうちに塞がり、その顔色も急速に回復していく。

「…は…ッ…はぁ……よかっ…」

　その様子を確認した響夜は、安堵（あんど）と共に、プツンと糸が切れたように意識を失い、その場に倒れ込んだ。

　＊　＊　＊

　そのすぐ後、リゼッタはゆっくりと目を開けた。

　自身の状況を確認しようとするが、体内に渦巻く、力強く暖かい感覚に驚く。

　明らかに今までとは違う、熱い力の息吹を感じた。

　そして、ふ…と目をやると、すぐ隣で響夜（きょうや）が倒れていた。

　リゼッタは思わず「ちょっと！…ッ、しっかりして！」と、必死に呼びかけ、その体を揺らした。

「う……揺らさないで。……気持ち悪…ッ…」

　響夜（きょうや）の弱々しいその言葉に、リゼッタは心底安堵（あんど）の溜め息を吐いた。

　そして、自分の状態と、響夜が倒れている状況を見て、すぐに察する。

　己の命を投げ出し、自分を助けてくれたのだと。

　リゼッタは深く頭を下げ、響夜の前で跪（ひざまず）いた。

　そして、畏（かしこ）まった口調で、震える声でこう告げた。

「私の総ては貴方のもの。貴方に変わらぬ忠誠（ちゅうせい）を誓いましょう。マイマスター」

「え…？」

　響夜（きょうや）は、状況が飲み込めず混乱する。

「ちょ…、なに言って…」

　響夜が口を開いたちょうどその時、彼を探していたティアとリアーナが、洞窟の奥から駆けつけてきた。

「キョウヤ！！」

　叫ぶティア。

　しかし、安堵（あんど）と同時に、険しい表情に変わる。

　血塗れで横たわっている響夜。

　そして、その傍（かたわ）らに立つ魔族。

　それを見て、警戒の色を顕（あら）わにする。

　ティアは咄嗟（とっさ）に弓を構え、リゼッタに攻撃しようとするが、響夜は無理に体を起こしてリゼッタの前に立ち、掠（かす）れた声でそれを制止した。

「まっ…待て…！…ティア……ッ…」

「な…ッ？！」

　明らかに疲弊（ひへい）しきっている響夜を見て、リゼッタが彼に危害を加えたと、勘違いしているティアには、響夜が制止する意図が判らない。

　しかしリアーナは、先ほどまで感じていたガーネスの気配と、リゼッタの体の変化を瞬時に察し、冷静にその場を仕切った。

「ティア、弓を納めて。先にキョウヤを安全な場所へ。話はそれからよ」

　ふらりと、また気を失う響夜。

　リアーナは風魔法で補助し、即座に響夜を受け止める。

　そして、警戒しながらもリゼッタに視線を向けた。

「あなたも来なさい」

　唯一現場を知る者として、状況を説明させるため、リゼッタも連行する。