第35話 抽象的な話
たぶん。
これはたぶんの話。
もし石油を掘り当てたらだとか、宝くじが当たったらみたいな、暇つぶしにもならないくだらない妄想の範疇の例え話。
その前提を前置きに……あーもう、相変わらずまどろっこしい性格をしているよ僕は。
で、たぶんなのだが、もし巡凪先輩と出会ってなかったら、僕はたぶん、おそらく、確率的には低いけど、もしかしたら、たぶん、ピユシラを好きになっていたのかもしれない。
寡黙で、頑張り屋で、普通の人間とは違う感性を持った女の子。
湯白としてでも、ピユシラとしてでも、彼女への気持ちは変わらない。
それくらい、僕にとってピユシラは。
だから、彼女がピンチなら、僕はーー。
でもね、でもだ。
残念ながら僕の人生にもう一人、特別な女がいるんだよ。
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SOBAだとか異世界だとか結界だとか。
小難しい設定は僕にはわからない。
だからこれは『たぶん』で、『もしかしたら』の憶測でしかなかった。
なんで霧乃は僕を結界に入れたのだろう。
僕以外にも一般人を入れたりしたのだろうか。
ふたつの疑問が僕を突き動かした。
決して濡れない雨が降る、世界の裏側。それが結界。
建物や道路はあっても、選ばれた人間以外は存在しない寂しい世界。
結界というより、特殊フィールドだ。
僕は再度先輩に電話をかけて、質問した。
先輩の家を。
SOBAの関係者が使う社宅のアパートを。
そこの8階にある。
僕が通う高校の英語の教師にして、実はSOBAの研究員だった赤城先生の家が。
玄関扉の前に、彼女がいた。
「霧乃」
ドアノブに手をかけたまま固まっていた霧乃が、こっちを向いた。
少し、瞳に熱が宿った気がした。
「末永さん。どうしてここに? ピユシラさんがピンチなんですよ?」
「わかってる。だから僕なんかよりもずっと強くて頼りになる、我らがキャッチボール部の部長に救出をお願いした」
「いやピユシラさん的にはあなたに来て欲しかったはずですが」
「お前だって、本当は僕に来て欲しかったんじゃないのか?」
「……そんなこと言うんですね」
「一世一代の、最初で最後の自惚れだよ」
霧乃が微笑んだ気がした。
ドアノブに力を込めて、扉を開けた。
中に入る。霧乃も、僕も。
「わたしは巡凪さんの影武者として、かなり頑張ってきたんですよ」
「みたいだね」
「神の娘を演じつつ、SOBAの人造生命体として組織に尽くしてきた」
綺麗に片付けられた部屋。
観葉植物や小物、ゲーム機等々、物は多いけどきちんと配置・整頓されている。
生活感溢れる、一般的な家庭の家。
普通の人間の家。
家の主は、いない。
「おかげで様々な権限を手にしましてね。末永さんのような部外者を結界に入れたり、こっそり外の世界のポインターになれたりしたわけです」
「結果的にそうなったの? それとも、そうなるために努力したの?」
「ふふふ、どうでしょうね」
何かの部屋の扉を開けた。
おもちゃや漫画が散らばった、やや汚い部屋。
ベッドですやすやと眠っている少年のことを、僕は知っていた。
赤城先生の息子さんだ。
霧乃を生み出した男の、本当の子供。
「もし何かが違えば、ここで眠っていたのはわたしだったのでしょうか」
「さあね」
「わたしにも、あの人の遺伝子が入っているのに」
霧乃が学習机の引き出しを漁り始めた。
そして手にする。なんの変哲もないカッターナイフ。
やっぱりだ。
やっぱりそういうことだったんだ。
だから霧乃は僕を結界に入れたんだ。
止めてくれる人が欲しくて。
「霧乃に戦闘能力はないんだろ」
「えぇ。でも末永さんくらいなら倒せる気がします」
「たぶん倒せるだろうからやめてくれ。霧乃は賢いんだからわかってるはずだ。やったところで替わりにはなれないってこと」
「じゃあわたしの人生って何なんですか? 頑張っても、考えても、誰も見返りなんてくれない。報われない。わたしはあの人の女になりたかった。愛されたかった。クラスのカスどもからじゃない、あの人に」
霧乃はカッターナイフを強く握りしめると、刃を自分の方へ向けて、胸を突き刺した。
「こんなんじゃ死なないんですよ。だって人間じゃないから。化け物だから。だから人間としての幸せを享受できないってわけです。ならせめて、他人の幸せをぶっ壊すくらい許してくれてもいいじゃない!!」
「きーー」
「どうせ末永さんだってわたしを選ばないくせに」
ナイフの刃が少年に向けられる。
こんなに騒いでも眠っているのは、結界の効果なのだろうか。
霧乃の手が震えている。
「すまん、正直霧乃を慰める手段を僕は知らない」
失恋した女の子への恋愛相談なんぞ、僕には荷が重すぎる。
「だから素直な感想しか思い浮かばない」
「…………」
「ハッキリ言って、僕は霧乃の恋が報われなくてラッキーだと思ってる」
「……は?」
「これから本格的にキャッチボール部の活動を始めようって段階で、マネージャーが教師と関係を持ってましたは、シャレにならない」
「なに言ってるんですか?」
「青春しようぜ、なんてキッショいセリフをはくつもりはないけれど、恋愛と承認欲求しか頭にない陽キャが将来絶対羨むような部活動をしてやりたいと思い始めてる。巡凪先輩やピユシラを大谷を超える最高のピッチャーへと育て上げて、『実はあのふたりを育てたの僕なんだよね』ってデカい顔してやりたい」
「……ふふ」
「それも恋愛とは違うけど、努力というか熱意というか青春が報われる瞬間だと思う」
「さっきから『思う』が多いですね。自信のなさがよく現れています」
こいつの他人の言葉尻を捕まえて人格否定するところ、嫌いじゃない。
「そのためにはやっぱり、優秀で頭が良くて可愛いマネージャーが必須」
「結局は末永さん自身のためですか」
「でも、こういう理由が欲しかったから、僕に賭けたんだろ?」
霧乃の手からナイフが落ちた。
恨めしそうに少年を見つめたまま、動かない。
迷っていたんだ。躊躇っていたんだ。
本能と理性の狭間で、揺らいでいたんだ。
「末永さん」
「なんだよ」
「後ろからでもいいです。わたしを抱きしめてください」
「…………」
「それ以上は望みませんから、独りじゃないよって、わたしにーー」
僕には恋愛相談しかできない。
戦うことも責任を取ることもできない。
けれど、傷ついた女の子の些細な願いを聞いて、次に進む手助けをしてやるくらいなら、できる。
僕の周りで異能バトルが展開しているらしいが、モブなので恋愛相談しかできない いくかいおう @ikuiku-kaiou
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