第22.5話 ラジェール回顧――咎人の想い

卒業式の朝、俺とエミリオは、例によって同じ部屋にいた。


狭く、よく陽の差し込む窓際で、あいつはいつもと変わらない顔をしていた。

昨夜のことなんか、最初からなかったみたいに、変わらぬ調子で笑っていた。


……無理してんだろうな、とは思ったが、それを口にするのは野暮ってもんだ。

この空気のままでいたい――そんな気持ちが、言葉を喉で止めた。


「今日で見納めだからな。しっかり見とけよ」


いつものように、エミリオがふざけた調子で笑う。

その笑みは、昨日と同じ、そして訓練校で幾度も見た、あの笑いだった。


俺は応えず、窓の外を見たまま、小さく呟いた。


――最後まで、わかんねぇさ。


あいつに聞こえないくらい、小さな声で。

外では、式典の準備を知らせる鐘の音が、遠く低く響いていた。


* * *


叙勲式が始まった。


例年どおり、厳粛な空気と格式張った進行。

王宮の広間。天井のシャンデリアには魔力灯が灯り、光が床の御影石にきらめいている。

どれも、変わりない……はずだった。


エミリオも、その場にいた。

叙勲されないのに。だが、式への参加は全員に義務付けられていた――それもまた、俺の計画の一部だった。


今年は異例だった。卒業生全員が叙勲されるという、かつてない前例。

「今年は豊作だ」などと、浮かれた声が広間に溶け込む。

その中に、エミリオの名はなかった。


……だが、そんなことは周囲にとって、どうでもよかったのだろう。

それが、俺とエミリオにとっての“いつもの現実”だった。


式が進み、名が呼ばれる。

最初に呼ばれたのは、俺――ラジェールだった。


王の前に進み出て、定められた動作で跪く。

周囲の目が集まる。膝の下の石の冷たさが、やけに鮮明に感じられた。


剣が肩に触れようとした――その瞬間。

俺は、計画を実行した。


風のように動き、目の前から姿を消す。

王の目が驚愕に見開かれるより早く、俺はその背後に立っていた。


「平和ボケしてるな。ガラ空きだぜ」


背後から首筋に、静かに剣をあてがう。

冷たい刃の感触に、王は言葉を失った。


広間に緊張が走る。だが、誰も動けない。

あまりにも突然すぎた。場の誰一人として、思考が追いつかない。


沈黙を切り裂いたのは、ただ一つの声だった。


「ラジェール! 何をしている! 陛下を解放しろ!」


エミリオの声だった。

焦りと怒りと、それ以上の何かが滲む、鋭い声。


だが俺は、ただ王に囁いた。


「見たか、陛下。誰も動かないだろ?

忠義の臣と、強いだけの俺。どっちが騎士に相応しいか……聡明な陛下なら、お分かりだと思いますが」


刃をそっと下ろし、王から離れる。


「エミリオ。お前の手柄だ。早く俺を捕まえろ」


言葉の意味を察したかのように、エミリオが無言で歩み寄ってくる。

その目に怒りはなかった。ただ、静かな決意だけがあった。


そして――俺は、捕らえられた。


騒然とする会場。

空気はまだ、騒音と驚愕に包まれていた。

だが、俺の心は奇妙なほど静かだった。


くだらない式典なんかより、俺の計画が成ったことの方が大事だ。


これでいい。


俺は誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。


「じゃあな、エミリヤ」


* * *


牢獄の中。錆びた匂いと、湿った空気だけが漂っていた。


石造りの壁は冷たく、まるで過去の罪を刻むかのように苔が這っている。

軋む鉄格子の音だけが、時間の流れをかすかに伝えていた。


昔を思い出す。だが、血の匂いがない分、ここの方が快適だった。

明日にでも処刑されるとしても、だ。


そんな場所に、ひとりの訪問者が現れた。


小柄な影。くるぶしまで届く長衣を揺らして、子供のような足取りで近づいてくる。

訓練の時に一度だけ見た顔だった――ヨル。元・宮廷魔道士。妙な女だと、記憶している。


見た目は子供、けれど、俺の目には絶世の美人に見えた。

最後を告げに来る使者がこんな顔なら、悪くない。……エミリヤには少しだけ、悪い気もしたが。


そんなことを冗談混じりに口にすると、ヨルは軽く肩を揺らした。

俺は、それに続くように、少しだけ昔話をした。

じいさんの話なんか、きっと最初で最後の披露だと思ったから。


そしたら、こいつ――腹抱えて笑いやがった。


「お主、わしの弟子になれ」


いきなりそんなことを言い出した。何を言ってんだと、思う間もなく続ける。


「何故あんな真似をしたか、なんとなく察しておる」


「同期全員に『何があっても動くな』って言ったそうじゃな?」


「お主を罰したら、全員叙勲辞退しかねん勢いで助命嘆願しておるぞ。教官まで巻き込んでの大騒ぎじゃ」


「お主は馬鹿じゃ。馬鹿は馬鹿でも、大馬鹿じゃのう!」


笑いながら、鉄格子越しに、俺の頭を撫でた。


「馬鹿なら死んでよいと思ったが、大馬鹿なら生きろ。お前の才は、失うには惜しいしの」


そのままの笑顔で、彼女は静かに言葉を続けた。


「そして、ちょっとだけ楽に生きる方法を教えてやろう。悪い話しじゃなかろ。わしと一緒に住めるしの」


「それは悪い話しじゃないかもな。美人と同棲とは幸運だ」


ヨルの笑い声が牢に響く。


どうやら、俺の命は――少しだけ、伸びたらしい。


不本意ながら、それに従うことにした。

まだ未練が、少しだけあったから。


* * *


ヨルが去った後、鉄格子の向こうにもう一人の影が現れた。


それは――エミリオだった。


制服姿のまま、無言で立ち尽くす。

表情は硬く、目だけがまっすぐに俺を見ていた。


「……あんな真似して、私が喜ぶとでも思った?」


その問いは、まるで刃のように鋭かった。


俺は鉄格子に凭れたまま、目を伏せずに答える。


「お前のためじゃない。俺がやりたいことをしただけだ」


バカバカしい決まりをコケにしてやりたかった。

それだけの話だった。騎士としての価値観なんざ、知ったことか。


長い沈黙が落ちた。

重く、そしてやけに静かな時間だった。


やがて、エミリオが言った。


「私は騎士になる。私のために」


俺は、小さく笑った。


「何も変わらないな」


けれど、エミリオはゆっくりと首を振った。


「変わったさ」


「私は騎士になる。でも……あなたの前ではエミリヤでいさせて」


「あなたが後悔するくらいの、いい女になって、あなたのお墓に花を手向けてあげる。その時に後悔しなさい」


背筋を伸ばし、言い切ったその声は、真っ直ぐで、強かった。


そう言って背を向け、静かに歩き去っていく。


……これが、あいつの答えなんだろう。


* * *


翌日。

俺と師匠は、ふたりでエミリヤのもとを訪れた。


師匠は例によってにやにやと笑いながら、こう言った。


「ラジェールの処刑は一年後じゃ」


「王国の依頼を成功する度に、一年ずつ処刑は伸びる」


そして、締めくくった。


「成功したかどうかを決めるのが、お主エミリオの仕事じゃ」


エミリオは、ぽかんと口を開けたまま、呆然としていた。


その様子を見て、師匠は声をあげて笑った。


「わしが決めたんじゃ。中々、面白いじゃろ」


我が師匠ながら、実にいい性格してる。


俺は意地悪く訊いた。


「なぁ、依頼中のお前はどっちなんだ?」


エミリオは即座に怒鳴った。


「どっちとかあるか! 私はエミリオ! 騎士だ!」


師匠はまた笑い転げた。

俺も、つられて、つい笑った。


この世界も、捨てたもんじゃねぇかもしれない。


なら――あいつが笑えるように、生きてみるのも悪くない。


──ほんの少し、だけどな。

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