壺
深川我無
プロローグ
前書き
今から小説の体を借りてお話するわけですが、何からお話をすればよいか正直迷っています。というのも、一連の出来事はずいぶん昔から私の身の周りで起きていたことですし、それらが繋がったのはつい最近の事だからです。
ですから、必然的に私の幼少期についてお話をしなければならないのですが、それは私にとって非常に苦しいものです。ネット上のプラットホームで活動している私は、ある意味化けの皮を被って善人に成りすましているのですが、それがきっと嘘っぱちだということが露呈しうる程度に、私の幼少期は異常なものでした。
日常的に父に暴力を振るう母。精神を病んだ父。そして幽霊がいたるところに現れる古いマンション。それが私の住み家でした。追い打ちをかけたのが異常な宗教への家族そろっての入信で、そこでは世にも奇妙な人間関係が、ごく自然なものとして成立していました。教団の託児所では乱暴な年長者が弱い者いじめの限りを尽くしていましたし、それを見た大人達は仲が良いと笑っています。そうかと思えば、自らの信仰や教理を揺るがす質問には唾を飛ばしながらヒステリックに怒り狂うのです。
中でも異常だったのは悲しい思いをしたと自称する人への、過剰なまでの共感と慰めの嵐です。幼い私はそれが普通なのだと思っていましたが、大人になるに連れその異常さがはっきりとわかり、やっとの思いでそこから逃げ出し今に至ります。
そのような環境のせいか、あるいは父方の家系———つまり神仏にお仕えしていた血筋のなせる業か、私は幼少の頃より普通の人には見えないものが見える子どもでした。
よく耳にする、人間とそうでないものの区別が付かずに周囲を困惑させるという類の見え方ではなく、私が目にするのは明らかに人ではない異形の化け物ばかりでした。
それらは大抵酷い悪意を裡に秘めていて、にこにこと笑っていようが、無表情であろうが、蠱惑的な顔をしていようが、私を大変怯えさせました。
しかしそのようなことを周囲の大人に話したところで、誰も心配などはしてくれませんでした。それどころか、かえって酷い目にあうか、とても惨めな気持ちにさせられるのが関の山でした。たとえば次のような具合です。
それは深夜のことでした。私はまだ幼稚園の年少組くらいだったと思います。暗い部屋の中で目を覚ますと固定電話のランプが点滅しているのが見えました。仰向けに寝ていたので世界は反転しています。それをぼんやりと見つめているといつしかランプの色が緑からオレンジに、やがて赤い光に変わっていきました。心臓のどくどくという音が耳の中で響いていました。しかし幼いながらに私は気が付いたのです。心臓の音に混じって遠くから太鼓を打ち鳴らす響きが迫って来ていることに。とても恐怖を感じました。隣で寝ていた両親を起こそうとしたのですが、身体がぴくりとも動きませんでした。目を瞑ることも出来ませんでした。許されているのは赤いランプの点滅がこちらに近づいてくるのを見つめることだけで、私はそれをただじっと見ていました。赤い光は点滅しながら、太鼓の響きに合わせるようにしてこちらに近づいてきます。豆電球が照らす薄闇の中にまで赤い光が近づいてきたとき、それの正体が分かって私はパニックになりました。赤い光に見えていたものは赤く光る眼球だったのです。それがマバタキを繰り返すたびに、まるで点滅しているように見えていたのです。
濃い灰色をした皮膚は痛々しい瘡蓋でびっしりと覆われています。身体は小さく、それこそ電話機くらいの大きさでした。その化け物は仰向けで横たわる私の顔を覗き込んだまま、ただじぃっとこちらを見ていたのですが、その目から弾力のある半液状の何かが私に向かって滴ってきました。
私はそれを絶対に口に入れてはいけないと思いました。必死になって口を閉じようとしたのですが金縛りのせいか口を閉じることが出来ません。その間にも、ゼラチン質の何かはどんどん溢れて私の口を目指して降り注いできます。とうとうそれが唇に触れた時、私は大声で泣き叫びました。すると両脇で眠っていた両親が飛び起き、照明から垂れ下がった糸を引いて明かりを点けました。明るくなるのと同時に化け物は消えてしまったのですが、私は恐ろしさのあまりそのまま泣き続けていました。そんな私に母は面倒くさそうに「どうしたのか?」と問い続けます。その隣では父が「夜中に泣く子どもは子取りが攫いに来るぞ」と嬉しそうに言い続けていました。この時は意味が理解できませんでしたが、それからも父は何かにつけてこの言葉を口にしていたので、とても記憶に残っています。
そこからいつものように母の狂気じみた暴力が始まりました。父をなじり、平手で打ち、物を手当たり次第に投げつけます。一見すると母は余計なことを言う父に怒っているように見えます。私を庇っているようにさえ見えます。実際私も母は自分の味方なのだとこの頃は信じていました。しかし事実は違いました。母の怒りの矛先は最終的に必ず私に向かいます。不機嫌や忘れたふりを装っての育児放棄という形で、必ず仕返しをするのです。この時の騒動は親戚一同や信者の集会などで度々蒸し返されて、私に罪悪感を植え付ける装置として機能するようになりました。
「幽霊なんていない」「怖いテレビを見るからだ」「臆病者」そのようなことを言って私に劣等感や罪悪感を植え付けることも母は忘れませんでした。
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