第12話 甘く重く深く


最近の悠真は、ほんの少しのことで表情を曇らせるようになった。

友達と楽しそうに話しているだけで、横から静かな視線を感じる。


「……そんなに笑うんだ」

ぽつりとこぼした声は拗ねた響きを含んでいて、私は慌てて笑った。

「違うよ。ただの雑談だよ」

そう言って腕をつかむと、彼はようやく安心したように目を細めた。


――それでも。

気づけば、そんな場面が増えていた。

少しでも遅く帰ろうものなら、彼の冷たい視線が背中を刺すように感じる。


大学最後の夏、課題に時間がかかり、連絡を入れたけれど少し遅れてしまった。

部屋に入るなり、悠真は低い声で尋ねる。


「……誰といたの?」


「友達と一緒に。課題終わらせなきゃいけなくて」

そう答えると、彼は何も言わず、ただ私を抱き寄せた。


その腕は、まるで二度と放さないと誓うように強く。

私は苦しいほどに胸を締めつけられながらも、抵抗できなかった。


「お疲れ様。無理はしないでね」

耳元に落とされた言葉は甘く、重い。


「悠真……」

思わず声が震む。彼の気持ちが強すぎることには気がついていた。

でも同時に、それに応えたいという気持ちも胸にあった。


わかってる。悠真は私を心から愛してくれている。

こんなに真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれる人なんて、彼しかいない。

だから、応えなきゃいけない。

不安にさせるのは私のせい。

大好きな人が離れていく不安を、私は誰より知っているから。


「……うん。いつもありがとう」

そう言葉にすると、彼はようやく表情を緩め、深く長いキスを落とした。


そのあとも、悠真は離れずに腕を絡め、私の手を握ったまま言う。


「誰にも触れさせないで。俺だけ……ずっと、ひなを見てたい」


胸の奥で小さな痛みが広がる。

息苦しいはずなのに、どうして私はこんな悠真を――愛しいと思ってしまうんだろう。


ひなはそっと目を閉じ、心の奥でつぶやいた。

『悠真……どうしてこんなに、私だけを欲しがるの?』


その愛は重く、鎖のように私を縛った。

その度に、彼の心のすべてが見える気がした。

何度でも、強く抱きしめたいと思った。


――これは幸せなことなのだと、胸に刻み込んでいた。


______________________



青空の下、悠真と手をつないで街を歩く。

少し前に話していたカフェに向かう途中、同じ学科の男の子とばったり出会った。


「ひな!もしかしてデート?」

そんな問いかけに、自然と笑顔で答えていた。

「そうだよ。こんなところで会うなんてね!」

「ほんと、びっくりした。また明日大学でな!」

「うん。また明日ね」


その瞬間、悠真の表情が曇った。

「……誰?」

声は低く、少し強張っている。


「同じ学科の人だよ。ちょっと話しただけ」


悠真は黙ったままひなの手を強く握り、自分の腕に引き寄せた。

「他の男に優しくするな」

柔らかい言葉の端に潜む、鋭い嫉妬。


「‥‥‥わかった。ごめんね」


ひなは少し困惑しながらも、彼の心が不安でいっぱいなのを感じた。


その日の帰り道、悠真はほとんど口をきかなかった。

ただ、強く握られた手の温度だけが伝わってくる。


(……怒らせちゃったのかな)

胸の奥に小さな不安が広がっていく。


部屋に戻ると、悠真は無言でグラスに水を注ぎ、ひなの前に置いた。

「ありがとう」と言って受け取ると、彼はようやく微笑んだ。


――でもその笑顔は、どこか脆くて危うい。


「ひなは、俺だけ見ててくれればいいよ」

小さな声でそう告げられ、ひなはただ頷いた。


そのときはまだ気づいていなかった。

積み重なった嫉妬が、2人の関係を壊していくことを。



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