街ノ幽霊

須藤恐々太

第1話 遭遇

 薄暗い路地に、車が一台。スーツ姿の男がそれにもたれていた。胴回りはがっちりとして、背が高い。四十歳手前のように見えるが、髭を長く伸ばしている。煙草を吹かしながら、誰かを待っているようだった。

 アスファルトに物がぶつかる硬い音がして、大男、板川半太郎は振り向いた。来客の顔を見て、少し笑う。

「遅かったじゃないか」

 若い男が後頭部を掻く。板川とは目を合わせず、近づいてきた。

「あんたが、人食いの」

 男が携えたスーツケースをじっと睨んでいた板川はそれを聞き、眉をひそめる。

「中崎くんだろう、まあ乗れ」

 板川はけして怒ってはいなかったが、声は唸るように低い。後部座席のドアを開くと、奥の方に腰をおろした。中崎と呼ばれた男が続く。

 車は高級外車で、運転役が左前方にすでに乗っていた。ドアが閉まると同時に発進し、明るい大通りに出る。

「あの、中身の確認は」

 俯いていた中崎が、おずおずと訊ねる。不気味な笑みを浮かべたまま黙る板川に代わって、運転役の男が答えた。

「板川さんは、お前を信用してるんだ」

 中崎は今ひとつ要領を得ない。初対面の板川が、なぜ自分を信用できるのか。明るすぎなくらいの茶髪、姿勢、目つきが悪いところなど、自分は正直、不良そのものじゃないか、と彼は思っていた。

「沢田」板川は運転役の男を怒鳴りつける。「少し黙ってろ」

 沢田は小さく頭を下げる。中崎が板川の表情を伺っていると、仏頂面の男と目が合った。

「中崎くんは、どうして僕を頼ろうと思ったんだい」

 顔立ちからは考えられないほどに低姿勢、中崎は思わず身震いした。

「……もう、あなたしかいないんですよ」

 中崎は己が置かれた状況を一から説明し始めた。板川はそれを、静かに聴く。

 一年前、彼は両親に愛想を尽かされたという。家の合鍵を抜き取り、代わりに手切れ金を詰め込んだ私物のバッグだけ渡されると、実家を追い出された。初めは抵抗した彼もそのころになるとほとんど自棄になって、ただあてもなく街を歩いては休み、また歩くということを繰り返していた。

 救われたのは、彼の妹に見つかってからだ。

 二日目の夜、コンビニの前で呆然としていたところを、偶然通りかかった妹が保護してくれた。年下に保護される、というのは情けない話だが、中崎は心から感謝した。

 中崎はようやく、真っ当な社会人として就職活動を始めた。十年間、彼は一度も働いたことがなかった。

 しかし結局、雇ってくれるところは見つからなかった。仕方なく彼は、妹の家政夫になることを決めた。

「じゃ、今は安定してるんじゃないか」

 中崎が早くも語り終えたふうにため息をついたので、板川は不満を口にした。しかしそれ以上追及することもなく、会話は終わる。

 ちょうど、大きな音がした。メロディーは電話の呼び出し音のそれで、中崎は車内を見回す。板川が携帯電話を取り出し、音を止めた。

「はい、例の男捕まりました」

 話している内容を隠す素振りはない。聞かれて困る話ではないということなのか、不都合はあるが中崎ひとり口封じは容易いという自信からくる余裕なのか。彼にはよくわからず、あえて聞かないようにしていた。

 一分と経たず板川は電話を切り、その直後、大声で沢田を呼ばわった。

「次の角、曲がれ」

 沢田が言う通りにすると、板川はその後も何回か似たような指示を出した。中崎は、板川がこの街の地図をすべて頭に入れているのではないか、と思った。

 実際のところ、板川がそこを訪れたのは今回が初めてだ。それでも的確に案内ができたのは、彼の情報処理能力が人よりすこし高かったからと言っていいだろう。

 最後に車が曲がったとき、中崎は間近にあった電柱の貼り紙に「宮本之除霊社」という文字が並べてあったのを見た。

 それが、彼と「除霊社」との初対面だった。


 入射角の低い夕方の日差しを、その通りにあるすべての窓ガラスが反射している。

 ただ、一軒を除いて。

 建物は三階建て、上から黒く塗りつぶされているように外壁の色は暗く、また今にも崩れそうなほどボロボロだ。全体が帯びる無機質さはテナントが入っていないためかと思われるが、しかし板川らの車はその目の前に停まった

 板川がはじめに車を降りた。中崎が後に続くが、沢田は降りず、中崎が丁寧にドアを閉めると足早にその場から消えた。板川がそれを意に介さないように歩いていって、中崎は慌ててそれを追う。一度見失うと、周りにあるどのビルに入ったのかわからなくなりそうだった。

「沢田とはまた合流するよ」

 そう告げて、板川は何かぶつぶつと唱えると、裏にあった階段を下った。中崎も重いスーツケースを引きながら入る。何枚かドアがあり、板川は手前から二枚目を開き、通った。

「随分待たせるんだな」

「申し訳ありません、社長」

 遅れて来た中崎は、板川の言葉に一瞬たじろいだ。社長と呼ばれた男は、銀髪のオールバックに同系色のスーツという格好で、板川がさらに老けたような印象を与える。王様のような椅子に座り、虚勢を張っているように見えた。声はやや高く、立ち上がると意外と小男なのかもしれない、と中崎は思う。

「それの、中を見せろ」

 ハッ、と応じ、中崎の手からケースをふんだくる。

(もっと何かあるだろ)

 中崎は内心苛立ったが、声には出さず、老人と板川がケースを挟んで向かい合うのを見る。すぐに開けろ、と命令され、板川はケースの開け口に触れた。中崎はそれを、恐る恐る見守る。

 実のところ彼も、その中身は知らなかった。板川たちに持ってこいと要求され、仕方なく運んだ。元々は彼の住居の物置の中に隠すように置いておかれていたものだった。

「おお」

 驚きの声を上げたのは老人の方。どこか間が抜けていた。

「なんだったんですか」

 中崎が思わず口に出すと、板川が同意を示した。この人も分かってなかったのか、と中崎は意外そうにその顔を見る。が、すぐに視線はケースの中身の方に釘付けになった。

 それは、ビニールの袋に詰められた大量の黒い粉だった。

(まさか新種の麻薬!)

 中崎は青ざめる。困惑、同時に「だとすれば」の考えが浮かぶ。この場をすぐに逃げて、警察に届け出るか。いや、そもそもまだ麻薬と決まった訳ではないだろう。様々なことは頭に浮かんでは消える。そろそろと後退りをしたところで、背後からドアがきしむ音がした。

 沢田が入ってきたのだ。

 入れ違いで逃げられるか? 不思議とそう考えていた。逃げることを選んだなら、自分が麻薬を運んでいたことを認めることにもなる。しかし、とにかく逃げなくては。

 突然、誰かが中崎の肩を掴んだ。ぎょっとして振り返ると、そこには板川の日に焼けた肌があった。中崎は腰を抜かす。

「そう怯えるなよ。これはアレだ、その……」

「一種の、呪具と言えばいいか」

「そう、それです」

 改まって首肯した板川の手前、中崎にはその言葉の意味がすぐには理解できなかった。ジュグとは、呪いの道具と書くあの呪具だろうか。どちらにせよ、なんてものを運んできてしまったんだ……。

「沢田」

 老人が呼ばわる。駆け寄った男に何やら耳打ちすると、沢田はおもむろに中崎に近寄ってきて、彼の腕を掴んだ。後手に組ませ、警官が犯罪者を取り押さえるときのようにする。中崎にぼそ、とささやいた。

「お前をしばらく、監禁する」

 その言葉を、中崎は呆然と聞いていた。

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街ノ幽霊 須藤恐々太 @Midosuji-634

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