『風がくれた出会いと、台風みたいな親友と』

志乃原七海

第1話(千早エンジン全開バージョン)

「千早エンジン全開バージョン」で第一話をリスタートします。




じりじりと肌を焼くアスファルトの照り返し。うんざりするほど長いバス停の列で、わたしはただ、まだ見えぬバスを待っていた。深く被った麦わら帽子だけが、わたしの味方だ。


「ねえ、この暑さ、マジで生命の危機じゃない? ていうかさ、この先のカフェに新しく入った店員、めっちゃイケメンらしいよ。このバス、その店の前通るかな?」


隣でスマホをいじりながら、親友の千早が太陽より眩しい笑顔で話しかけてくる。この暑さの中、なんでそんなに元気なの。


「そんなことより、バスまだかな…」

「あんたはいつもそればっかり! 人生、バスを待つだけじゃないのよ!」


千早がそう言って、大げさに天を仰いだ、その時だった。


ビルとビルの間から、今までとは比べ物にならない突風が吹き抜けた。


「あっ!」


声と同時に、わたしの麦わら帽子がふわりと宙を舞う。手を伸ばす間もなく、帽子は人の列を飛び越え、車道近くまでコロコロと転がっていく。


どうしよう、と立ち尽くすわたしの隣で、影が弾丸のように飛び出した。


「ちょっ、あんたの大事な帽子! 待ってなさい!」


千早だ。

彼女は「すみませーん、通ります!」と人波をかき分け、車道に向かって一直線に走っていく。

危ない、と思った時にはもう遅い。千早が帽子に手を伸ばした瞬間、角から曲がってきた車が、鋭いクラクションを鳴らした。


「千早!」


わたしの悲鳴が、夏の空気に吸い込まれる。

世界がスローモーションに見えた。その時、列の中から、もう一つの影がさっと飛び出した。


「危ない!」


落ち着いた低い声。その男性は、信じられないほどの速さで千早の腕をぐっと掴み、歩道側へと力強く引き寄せた。車は、二人がいた場所をすれすれに通り過ぎていく。


呆然とするわたしと、何が起きたかわからず固まっている千早。

男性は、何事もなかったかのように、アスファルトに落ちていたわたしの帽子をひょいと拾い上げた。


「大丈夫でしたか? かなり危なかったですよ」


土を払いながら、彼はまず、助けた千早に声をかけた。

千早は一瞬ぽかんとしていたが、次の瞬間には、その瞳にキラキラとした光を宿していた。


「あ、ありがとうございます! 命の恩人です! ていうか、あなた、めちゃくちゃイケメンですね!? もしかして運命ですか!? お名前は!?」


初対面の人に、なんてことを言うの、この子は!

あまりの展開にわたしの思考が停止する中、突然グイグイこられた男性は、さすがに戸惑ったように苦笑いを浮かべた。


「はは…、名前なんて。それより、持ち主はあなたのお友達?」


彼の優しくて、少し困ったような視線が、おろおろと立ち尽くすわたしに向けられる。

彼はわたしの方へ歩み寄ると、「はい、どうぞ。気をつけてくださいね」と、麦わら帽子を差し出してくれた。


「あ、ありがとう、ございます…」


その笑顔が眩しくて、わたしは真っ赤になりながらそれを受け取るのが精一杯だった。


気づけば、わたしたち三人は、すっかり元の列から離れてしまっている。

「一度出ちゃったから、後ろに並び直さないとね」

男性が笑うと、千早は待ってましたとばかりに腕を組んだ。


「いやー、結果オーライ! この帽子のおかげで、素敵な命の恩人さんとお近づきになれたじゃない!」

「千早が危ない目に遭ったのに…」

「細かいことはいいの! それで、お名前は?」

「高槻、です」

「高槻さんね! 了解!」


千早は高槻さんとわたしを交互に見ると、悪戯っぽく笑って、とんでもないことを宣言した。


「よし、決めた! 高槻さんが降りるバス停まで、わたしたちもついて行きます! 命の恩人への恩返しと、この後の運命を見届けるために!」


「ええーっ!?」


わたしの悲鳴と、高槻さんの困ったような笑い声が、うるさいくらいの蝉時雨に混じって響き渡った。


わたしの、平穏だったはずの夏が、親友という名の台風と、突然現れた優しい人によって、とんでもない方向に転がり始めた瞬間だった。

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