かつての支配者

夕玻露

かつての支配者

 かつて、この世界は魔族によって支配されていた。そんな世界で人類に残された地域は、一つの大国といくつかの小さな村のみ。そんな世界に人々は絶望し、いつか訪れるであろう滅亡日を待っていた。

 しかし、人類はそんな日を待つ必要がなくなった。


 ある日、国中に衝撃の知らせが届いた。長らく消息が絶っていた勇者が魔王を討ち、ついに国に帰還したのだ。主人を無くした魔物たちは力を失い始め、次第に制圧されていった。世界には魔物に襲われることのない平和な日々が訪れ、花々は咲き乱れ、鳥は囀り、人々は歓喜の声を上げた。

 人類史は長きに渡る暗黒期に別れを告げ、新たな時代の扉を開いた。


 けれど、こんな平和な世界がいつまでも続くことはなかった。しばらくすると、また新たな魔物が姿を現した。最初は数も強さも微々たるものだったが、時が経つにつれて勢力は増していき、いつしか世界中に蔓延るようになった。

 それ以降、魔物の中には更なる進化を遂げる者もおり、知性を持つ個体も現れ始めた。その中でも特に優れていた個体は、魔物どもを統率する存在——として君臨した。


 魔王が誕生してから瞬く間に、世界のほぼ全域を魔物に支配された。我々の抵抗も虚しく、残っている地域は一つ王国といくつかの小さな村しかなくなってしまった。

 そんな王国で僕は生まれた。王国は中央の大きな城を中心に広がっている城下町であり、僕らの最後の砦でもある。ここが崩された暁には、きっと僕らは滅亡に向かうのだろう。しかし、国民には抗う術がなく、ただ黙ってその日をただ受け入れるしかない。

 だが、僕だけは違った。まだ諦めてはいなかった。僕は魔王から世界を奪還するため、幼い頃から修行を積み重ね、死力を尽くした。その努力の果てに、今では国一番の魔剣士となり、その実力は王や姫にも認められている。

 そして、今日は僕が成人を迎える日である。この世界は、成人するとそれぞれが独立し、自らの道を歩むことが認められる。

 だから、僕は今日から魔王討伐の旅に出る。そんな僕のことを、国民は勇敢な者として、と呼んだ。


 国を出るとそこは、もう僕の知る世界ではなかった。そこら中に魔物たちが闊歩しており、木々は枯れ果て、我々が住めるような土地ではない。僕は、枯れ木に隠れながら慎重に歩みを進める。

 最初に遭遇した魔物は、スライムであった。だが、スライム程度では、僕の足止めにすらならなかった。僕は難なくそれを倒して、歩みを進める。

 それでも、僕はそのスライムを見た瞬間、わずかな嫌悪感を抱いてしまった。決して、殺すことに負い目を感じたわけではない。

 ただ、そのスライムの姿がはるか昔の資料に記されたものとは微妙に異なっていたのだ。資料に載っていた姿は、ゼリー状の体に目と口がついている可愛らしい生き物だった。

 けれど、僕が相対したスライムは、皮膚が焼きただれているかのようなブニョブニョな体に目と口がバラバラについている個体で、お世辞にも可愛らしいとは言えない姿だった。

 おそらく、年々、魔力の濃度が濃くなっていることが原因だと思われるが、これから先、このような魔物を相手にすると思うと気が引ける。

 ————————————

 長い時が経った。今では、旅立ちの日ですら懐かしく感じる。あの日から何年の時が経ったのかは、もうわからない。けれど、この旅ももうすぐ終わりを迎える。

 すでに僕は魔王城の最深部まで訪れていた。ここに来るまでに、僕は多くの魔物と戦闘を繰り広げた。ゴブリンやオーク、ドラゴン、その誰もがかつての資料とは、異なった姿をしていた。しかし、僕にはそんなことを気にする猶予などなかった。僕は一刻も早く魔王を討伐する必要があった。

 そして現在、僕の目の前に立っているのが、魔物の頂点であり、我々の生活を脅かす元凶である魔王だ。その姿もかつての資料のものとは、似ても似つかない姿をしていたが、その堂々たる立ち振る舞いから圧倒的な力を感じさせた。

 しかし、僕にはここで恐れている暇などない。僕はここで魔王を倒し、この腐った世界を変え、かつての姿を取り戻させる。


 僕ら”魔族”の先祖が”人類”に破れた日から魔族の生活は大きく変わった。あの日以降、人類相手に武力ではどうなることもできないことを悟った魔族は、知能に頼ることにした。その結果、魔族にはかつての人類のような頭脳と知性を手に入れたが、代償として体は徐々にか弱くなっていき、戦闘意欲に燃えるものはごく少数となった。そして、気づけば、効率よく生活していくために、ほとんどの魔族は二足歩行へと進化を遂げた。

 一方、人類は酒を飲み、薬に手を出し、次第に世界は荒れ始めた。その結果、人類は彼らの誇りであったはずの知性を捨て去り、物事を武力で決めるようになった。こうして、人類は各々の身体を鍛えるようになり、徐々に力をつけていった。そして、いつしか彼らの体は人類の体ではなくなり、異形の姿へと変貌していった。しかし、その分、強者と弱者の差は激しくなった。強者はより魔王城に近い地域に住み着くようになり、弱者を辺境の地へと追いやった。

 僕はこんな不条理で混沌に満ちている世界を変えるため、そして、かつてのような魔族を中心とする世界を作るため勇者になったのだ。

 僕は静かに剣を抜いた。直後、魔王も手を突き出し、空気を震わせながら魔力を凝縮し始める。その魔力を解き放たれた瞬間、僕は地を蹴り、爆風の中へと突き進んだ。

 結末はあっけなかった。戦闘は久しかったのか、魔王はたった一撃で膝をついた。僕は容赦なく、その巨体に剣を突き刺した。次第に魔王の体は塵のように崩れ落ち、残された魔力は霧のように空は溶けていった。奴の最期の顔は、微笑みを浮かべているように見えた。だが、それはきっと気のせいだ。今の人類にそんな穏やかな表情を浮かべるほどの感情など持ち合わせているはずがない。僕はただ、魔王を討伐したことだけを報告すればいい。


 勇者が魔王を打ち滅ぼしたことで、世界に再び平和が訪れた。花々は咲き乱れ、鳥は囀り、人々は歓喜の声を上げた。舞い踊り、酒を飲み、薬にまで手をつける者も現れた。だが、それも今だけは許される。なぜなら、これからは魔族の時代なのだから。

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