19. 未来を分かつ一手


「こちらは現存する『ソーサリー・スピリッツ』のテストカード、最後の一枚。開発では『プリミティブ』というコードネームで呼ばれていました。製品版とは加工もフォントも異なる点が多く、世に出回るべきではないと社長室に飾られていたそうです。その意向に沿って存在は長らく秘匿にされていましたが、初めて開かれた世界大会の実況席で開発責任者がうっかり漏らしてしまったんですよ。その時の状況がインターネットの掲示板に書き込まれ、根も葉もない噂がまとわりついて都市伝説化してしまった、というのが真相なんです。このカードは今後のイベントでも公開される予定となっております——えぇ、ではお待たせしました。これより今後の商品展開をお知らせいたします」


 司会の手によってプリミティブは台座ごとステージ奥に運ばれる。どうやらこのまま発表会にも同席するみたいだけど……え、どういうこと? すかさず隣に目を配る。だがアキハは最初に会った時のような無機質な表情のまま腕を組み、瞬きもせずプリミティブを凝視している。久しぶりに目にした天使の本領に、わたしは緩みかけた気分を引き締めた。


 新商品の発表会にはもう一人、若手の駿河とは異なり頭髪がややすっきりとした恰幅のいい男性、開発部長の島田が加わった。手元で輝く金色の腕時計からその手腕が窺える。外見から得られる手がかりを侮ってはならないと散々教わったおかげで、彼がカード畑出身ではないこともすぐに看過できた。


 元々沼津店長は知り合いが多い。新会社を立ち上げる時も持ち前の人脈を行使して優秀な人材を引き入れたとかなんとか。その中には『もんもん』の常連も何人かいたりする。


 島田はスクリーンに映し出されたロードマップを抑揚ある聞き取りやすい声で読み上げていく。

 来月のスターターデッキを皮切りに、新世代第一弾となるブースターパックが七月、第二弾が九月、十二月には往年の名カードを再録したプレミアムパックが発売される。さらに今夏、全国各地で新世代記念イベントが開催されるそうだ。その後もサプライ商品にショップ大会の詳細。新世代と銘打っただけあって情報のボリュームはそれなりだった。一つ一つの発表に会場が沸いた。


 新商品に不満はなかった。これまでどおりコミュニティに対する手厚いサポートがあればプレイヤーはついてきてくれる。けれどこの発表会を聞く限り「これまでどおりのサポート」が続くとは思えなかった。

 そう思った原因の一つが島田。熟練の腕からか、彼の発表自体は非常に聞き取りやすかった。けれど広く認知されているカードゲームの用語になった途端、急に辿々しい口調になって何度も言葉を詰まらせていた。大観衆を前にすれば経験を積もうが緊張するのかもしれない。

 でもどうだろう。デッキを紙束、スリーブをビニール袋、ソーサリー・スピリッツをトランプと云い違えるのは。

 すかさず駿河が訂正するも島田は耳を傾けず、間違えるたびに観客席はどよめいていた。


「——えぇ、新商品の発表は以上です。島田部長、ありがとうございました」


 最後の方になると舞台袖が慌ただしくなり、原稿を読み進めようとする島田を駿河が無理やり制して終わった。誰がどう見たって「予期せぬ出来事」が起きたと捉えるだろう。観客も異常を察したが、駿河が再び進行を始めると収まった。


「では最後に、新世代の『ソーサリー・スピリッツ』について重要な発表をお伝えします」


 会場は駿河に傾聴している。見渡す限り惨劇の火種はどこにもない。

 やった、終わった。なんだ、わたしがなにもしなくたってよかったじゃないか。


「我々は『新世代』をテーマに、スリリングでエキサイティングな商品を日々開発しております。新しい時代の区切りといたしまして——」


 今となっては無数に存在するトレーディング・カードゲーム。毎年のように新しいゲームが誕生しても「ソーサリー・スピリッツ」には「ソーサリー・スピリッツ」にしかない強みがあった。


 わたしは世界大会の前日に選別として『もんもん』から第一弾のブースターパックをもらった。そこで『戴冠式の前日』を引き当て、そのカードが決勝戦での決め手となった。第一弾のパックは米国でしか売られてない。存在するのは英語版のみ。わたしは世界大会で英語版の『戴冠式の前日』を使用した。

 これまで公式のルールではカードの言語に制約はなかった。舶来のカードも四半世紀前の骨董品も全部、一つのデッキにまとめて投入できた。


 後発のカードゲームの大多数はゲーム中のトラブルを避けるため、多言語のカードを使用できないとルールで定められている。さらに対戦環境を流動的にするために古いカードは使えないといった構築ルールもある。

 ゲームプレイヤーの間では賛否両論。だが「ソーサリー・スピリッツ」において縛りがないのは間違いなく長所として働いていた。なのに沼津店長率いる新しい開発はバッサリと切り捨てたのだ。


「新たにフォーマット制度を導入します。つきましてはこちらのスライドをご覧ください」


 失念していた。あれだけ「新世代」を強調していたにもかかわらず、本来なら真っ先に公開されるであろうカードサンプルを見ていなかった。


 スクリーンにわたしが知っているカードと新世代のカードが映し出される。

 外枠のデザイン、テキスト欄のフォント、カードの効果を表すシンボルマークが一新され、現代らしくスタイリッシュなデザインに洗練されていた。カードのレアリティも左隅にあるアルファベットで簡単に判別できるようになり、その隣には「A-1」と見慣れない文字もある。他のカードゲームに触れたことがある人間ならその意味に気づくはずだ。それが収録されたパックを表す記号であり、これからの「ソーサリー・スピリッツ」に必要不可欠であるものだと。


 駿河の説明の前からぽつぽつと戸惑いの声が沸いた。わたしと同じ結論に至った人が少なくない証左。そして駿河の口から語られると戸惑いはあっという間に伝播した。おそらく開発の中で最も早く異常を感じ取ったのは駿河だろう。だが開発の一員としての意地なのか、狼狽しつつも説明を続ける。


「ふぉーまっと、って?」


 アキハはいつものアキハに戻っていた。さすがの天使でもフォーマットは知らなかったようである。他のゲームを引き合いに簡潔に説明した。


「ほへぇ、人間の考えることって複雑だ。でも良いことなんだよね? 要は新しいカードだけで遊戯できるんだから」

「それも長所の一つ。だけど昔から集めている人はどう思うかな? わたしなんて三十年以上の歴史からすると半人前の初心者。世界には長い年月をかけて蒐集している人が星の数いるんだ。大会に出るためにまた一からカードを集めなきゃいけないのは大変でしょう? そもそも参加できる大会の数が減るかもしれないのに」

「大会のことはあまり関係ないと思うけど」

「そんなことないさ。フォーマットの導入は大会を開く店の負担にもなるの。そうだね……わかりやすく週に三回、大会を開く店があるとしよう。そこに新しいルールと昔からのルールの二つの大会ができる、どうなると思う?」

「うん? 六回にならないの?」

「今っていろんなカードゲームの大会があるから枠を増やすのも楽じゃない。同時開催って手もあるけど店側にも座席に限りがある。仮に定員十六人の店で同時開催にしたら各大会八人ずつ。もちろん毎回満員なんて稀だから臨機応変に振り分ければいいんだけど、仕切るのは全部大会を開く店の負担。商品を売るのが本業なのに大会運営に人手を割くなんて本末転倒じゃない? よほどの老舗や大型店舗でもなければ片方だけ、アキハが云うように人が集まりやすい、新規カードだけの大会を採用するはず。だんだんと昔のカードを使える機会が減っていくだろうね」

「葵って頭いいね。そこまで考えなかったよ」

「……昔の店長はフォーマット制に猛反対してたのに。導線が複雑になると新規層が来なくなるって」


 まだまだ語れる。アキハが嫌がるくらい語ろうとしたのに、突然の物音で説明どころではなくなった。

 待ち望んだ発表も不適切な発言の連発で水を差され、挙句に誇れる長所も壊された。これまで大人しくしていた紳士的な参加者もとうとう限界に達した。


「集めたカードが紙切れになっちまった! どうしてくれる」


 不満が怒号へと至るのにそう時間はかからなかった。荒れ狂う怒号は次第にヒートアップし矛先は周囲に及んだ。観客席では身体を押した、押されたなどと喧嘩が起き、どこからか悲鳴も聞こえてくる。トラブルが次の段階に進むのも時間の問題だろう。


 文句を云ったってなんの解決にもならないだろうに。そんな冷静な心を持ち合わせる人間は会場のどこにも見当たらない。ひたすら感情を露わにする観客を目の当たりにすれば中断するべきなのに、なにを血迷ったのか駿河はステージに立ち続ける。でも舞台袖からひょっこり現れた男性に耳打ちされるとみるみると青ざめ、振り絞った声で「詳細は後日、公式サイトでお知らせします」と云い残してようやく裏に下がった。

 英断だけどもう遅い。進行役不在のステージへの怒号は止まることを知らず、会場の狂気は増していく。


「おい! 責任者出てこい!」

「いたいよ、押さないで」

「イッテェな、この野郎!」


 振り返れば今日は入場前から対戦ブースの手際の悪さ、情報発信を中心に杜撰な運営が目立っている。アレキシサイミアでも居心地が悪いと思ったのだ。感情を携えた普通の人間なら不満を溜めに溜め込んでいても不思議ではない。いずれどこかで爆発したって不思議ではないけれど、今の会場は異様だ。いくら不手際が目立ったお粗末なステージとはいえ理性ある人間がここまで騒ぐものなのか。

 ——考えるまでもない。ここには狂気を誘発させるアレがある。混乱はあらかじめ予期していた。つい二時間ほど前までは他人の手を借りてなんとかしようと、ハチミツたっぷりのホットケーキくらい甘く見積もっていた。

 感情の伝播は一瞬だった。異変に気づいた時には手遅れ。暴れ狂う群衆を力で制圧しようだなんて端から無謀だったのだ。


 事前に用意した作戦が崩壊した。

 こうなれば選択肢は二つ。ここで事がすぎるのを待つか。今すぐアキハを連れ出して逃げるか。

 後者が妥当だろう。だけど残された観客とステージはどうなる?


 なにも知らない彼らは自分の感情が狂ったと気づかぬまま暴動の一端になる。仮に騒動を鎮圧できたとしても前代未聞の大騒動にマスコミが食いつかないわけがない。バッシングの的になれば「ソーサリー・スピリッツ」の印象が地に落ちる。


 恩師である沼津店長にはこれからも頑張ってもらいたい。かつての仲間たちが汗水流して頑張っている様を思い出が詰まった混沌を彷徨いながら、のほほんと眺めていたい。

 ただそれだけ。それだけなのに……感情とかいう意味わからないやつに夢を潰されるなんて理不尽だ。


 ——おい、なに見てるんだ。愉悦に浸っているつもりか? 人が絶望の淵に立っている様を、大混乱寸前の危機を特等席で独り占めしようってのか?


 わたしも一応は人間だ。だからたまには雰囲気に当てられることもある。


 無我夢中だった。

 勝手に動いた手は素早く鞄の中を弄り、飲みかけのペットボトルを掴んでロックオン。

 腕を思い切って振り下ろし、ただ力任せに——投げつけた。


 バリン……ガシャン


 おっ、当たった。ひょっとしてわたし、ピッチャーの才能があったりする? サイ・ヤング賞取れるかな。


 投げたペットボトルは100マイルさながらの縦回転を描いて諸悪の根源に一直線。見事にクリティカルヒット。直撃したプリミティブは力無く台座から落下した。落下の衝撃で重厚なアクリルケースは真っ二つに割れている。スイカ割りでもあんなに綺麗に割れやしないだろう。投げたペットボトルはころころと転がって、転がり……あれ? もしかしてわたし。とんでもないことしちゃった?


 ——はわっ、はわわわわっ! ど、どうしよう、どうしよう!


 自分の罪に苛まれる。だが幸いなことにプリミティブの狙撃で会場は沈黙した。

 割れたケース、無防備になったプリミティブ、衝撃的な光景に誰もが言葉を失っている。


「わぁあぁあ、どうしようアキハ」


 万策尽きたわたしはアキハに泣きつく。純潔を捧げてもいいから助けてくれと懇願しようとしたのに、天使はニヤリと笑ってこう云った。「もう大丈夫」


 どこも大丈夫じゃない! というか会場のスタッフは緊急事態になにをしてるんだ。プリミティブを片付けようとしなければ進行するわけでもない。観客も少しずつ動揺し始めてる。

 きっと舞台裏で責任者が集まって話し合っているに違いないが、時間をかければ事態は悪化するだけ。今更仕様変更なんてできやしないだろうに。


 あぁ、どうか、神様。今回はわたしの負けですから勘弁してください。

 わたしなんかでよければ、あなたが満足するまでゲームに付き合います。ですからどうか、この場を丸く収めてください、柄にもなく天に縋ってしまった。


 目を閉じ、手を組み、心の中で祈りを捧げる。


 祈りの場には讃美歌が相応しいだろう。どうやらわたしは音楽家の才能も秘めていたようで、集中していると鈴を転がすような歌声が聴こえてくる。

 幻聴にしてはやけに鮮明だ。現実を直視したくないあまりに、とうとう気が触れたのかと思った。

 ふと目を開く。それでもまだ歌声は聴こえる。

 なにもないとわかっていても本能のまま頭上を見上げる。


 幻聴、ではなかった。見間違いでもない。はるか遠く離れた天井に光る輪っかと白い翼を携えた天使がいる。しかもわらわらと集団で。


 こんな神秘的な状況でも誰一人と目を向けない。ただ姿を捉えずとも天上の歌声だけは聴こえるようで、また観客たちは我をも忘れて硬直している。


 感情を手放している隙を逃すわけにはいかない。すぐさま足を動かし、周りの目を盗んで舞台裏に侵入する。案の定そこには狼狽える駿河と島田、そして顎に手を当てて考え込む沼津店長の姿があった。ここだと天使の歌声が聴こえづらいのだろう。けれど会場の異変にはそれとなく気づいていたようだ。


「今のうちにみんなを説得してください! 今なら大人しく聞いてくれます」


 闖入者の声に面識のない二人は面食らう。初めこそ戸惑いがあれど、沼津店長が二人の背中をぽんと叩くと意を決してステージに上がっていった。今日のイベントはお世辞にも成功とはいえないお粗末な出来。イベント運営も開発方針もプレイヤーを蔑ろにしていたと酷評せざるえない。

 だけど沼津店長が選んだ人たちなら名誉挽回できるはず。わたしなんかよりずっとずっと優秀なのだから。


 さて、あとはもう任せよう。それに部外者はすぐ離れないと。なんせわたしは勝手に忍び込み、あまつさえプリミティブを狙撃したヤバいやつ。警備員に見つかれば面倒待ったなし。早く逃げなければいけないのに、なぜか一瞬後ろを振り返ってしまった。


 そこに言葉はなかった。気づいたわたしも言葉を返さなかった。

 だってわたしたちはゲーマーだ。常に盤面を把握して相手の思考を読むことに長けている。



 厄介なことにならずに無事席に戻れた。無事に済んだことを報告しようと思ったのに、隣の席はがらんどう。

 ったく、どこに行った?

 もしかしてわたしを追って迷子になったのかも。勝手に外を歩いていると思うと背筋がゾッとした。


 天使の歌声が響く中、ステージに目を向ける観客の横を通り抜け、天真爛漫なあの子を探した。

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