12. あ__め


「昔はすごく暗い子でしてね。お兄さんを亡くしたショックで家族はバラバラ。両親は地元で進学させるつもりだったんだけど伊織が東京に行きたいって無理やり上京してきたんです。だからずっと一人暮らし。すごいよね」


 わたしにとっても後輩と話す時間は貴重だった。でも突然、小日向のスマホのアラームが鳴ると「ごめんなさい、もう帰らないと」と申し訳なさそうに頭を下げた。どうやら家の近くのスーパーで特売があるとか。わたしよりよっぽど家庭的でしっかりものの後輩の後ろ姿に度肝を抜かれた。


「伊織ってあぁ見えて無茶な子なんですよ」

「お兄さんの話題は悪かったかな。日奈子……や、四谷さんに忠告されてたのに」

「日奈子のままでいい。私も葵って呼びますから」


 後輩の前だけの設定が引き継がれてしまった。意識して呼び方を変えている身としては少々ハードルが高い要求。でもここで断ってしまったら彼女に不審がられてしまうだろう。

 うん、リスクを背負わずして友達は名乗れない。日奈子の瞳を見据えながら深く頷くと、彼女に笑顔が咲いた。

 少々ご機嫌になった日奈子は引き続き口を動かした。

 

「今日の様子を見る限りだいぶ吹っ切れたみたい。なんでもお兄さんが亡くなってから東京に来るまでの記憶が曖昧になっているみたいで。なのでその、伊織の記憶は当てにならないと思ってください。無理に思い出させるとあの子も辛いと思うので」

「ん、わかった」


 ストレスは姿形に現れない分、厄介な存在。下手すれば生涯のトラウマになりかねない。


「……で、葵はなにかわかりそう?」

「とりあえず候補はいくつか。どうせ明日も暇だし、散歩がてら当たってみようかなと」

「なら私も行くよ! 伊織も誘ってみる」

「へっ」

「葵が頑張ってくれるなら大先輩の私も頑張らないと。頼りにしてるよ、葵様」

「葵様って、アイツみたいなこというね」

「そりゃ肇くんが崇め称えている方だもの。私も葵の勝負運に託そうかなと」

「わたしは盤上だけ。神頼みならもっと適任が——」


 っと、わたしとしたことが危うく、とんでもないことを云いかけてしまった。


 鳥越葵は世間一般では女子高生に属される。思春期の乙女とは他人にはいえない秘密をたくさん抱えているものであって、わたしだけが特別じゃないと思う。

 アレキシサイミア。とあるゲームの世界王者。アキバオタク。

 乙女の秘密は命より重い。けど今のわたしはこんな秘密より世界の命運を左右する爆弾を抱えている。

 数日前は平凡で退屈だった日常も、今ではボロが出ないかとスリルを味合っている。


 さて、明日のことはヒナヒナコンビの連絡待ち。昼食も済ませたことだし早く家に帰ってゴロゴロしよう。

 ……あれ、なんか忘れてるような? 



   ◇



 しまった。すっかりあの子のご機嫌取りを失念していた。というかそもそも明日はまともに外出できるのか、根本的な悩みにぶつかってしまった。

 ついてきたらまた例の写真の時のような面倒を持ってきそう。かといって半日以上アキハを留守番させるのも不安。休日ならうちの両親も家にいるし……留守番してねと云って素直に従ってくれるとも思わない。


 ひとまずはアキハのご機嫌取り。明日のことはどうとでもなれ。ついてきたければ来るといい。その代わりまた面倒なことになればアキハに喇叭を吹いてもらおう。


「ただいまぁ」

「おかえり!」


 部屋に入るや否や元気な出迎えに思わず戸惑う。一体この子の身になにが起きたというのか。

 とりあえず鞄を下ろしてベッドに腰かける。漫画にカード、あらゆる娯楽が部屋中に散らばっている辺り、アキハなりに時間を潰していたのだろう。これくらいの被害なら許容範囲だ。


「ちゃんと一人で留守番できた?」

「むぅ、子供扱いしないでほしい。ね、ね、それよりアレは?」

「……アレ?」

「今日のおやつ! 葵が何を買ってきてくれるのかボクの楽しみなんだ」


 ——しまった。まさかおやつを欲していたとは。


「……ん? どうしたの?」

「あ、あぁ、いや、ちょっと待っててね」


 まずい、今日は何も用意してないとは云えない空気だ。

 ひとまず逃げるように部屋を出る。とりあえず家になにかないかとキッチンを捜索してみた。

 ……おっと、ちょうどいいおやつがあった。これはまだアキハも食べたことがないんじゃないか?


「お待たせ。はい、これ」

「……なに、この茶色くて細いやつ」

「あたりめ」

「あた、りめ?」

「まぁまぁ食べてみて。噛めば噛むほど柔らかくなって美味しいから」


 とやかく云われる前に袋から一本取り出して無理やり口に入れる。得体のしれない食感に初めこそは固まっていたが、しばらくすると口をモキュモキュと動かしていた。


 アキハが静かなうちに、小日向の情報を探ろうと再び電脳の海に潜り込む。

『ゲームイベント 一覧』『中学生 大会 優勝』『東京 イベント会場』

 手当たり次第に検索。でもこれといって手がかりは得られない。

 

 日本武道館。ビッグサイト。国際フォーラム。東京ドーム。幕張メッセ。パシフィコ横浜……都内近郊でイベントがあるとすれば候補地はいくつもある。

 が、ショッピングモールに行った記憶が確かなら、とある場所が有力だ。


「やっぱり幕張メッセ、か」


 そんなことをボヤくと画面に通知が流れる。


『伊織はオッケーだって。海浜幕張集合でいい?』


 これが女子高生のフットワークの軽さか。寝る前に返事が来ればマシだと思っていた手前、とんとん拍子に進む流れに脱帽する。日奈子に時間とを連絡し、とりあえず問題を一つ片付けた。残るはわたしの問題位だ。


「ね。アキハ。明日はちょっと外せない用事があるんだけど……アキハはどうする?」

「んー、んんんー。んん、んんん、んん」

「はい?」

「んーんー」

「ちゃんと話して」

「ひぇんひぇん溶けヒャい」


 ……飴とでも思ったのだろうか。


「柔らかくなったら飲み込むの」

「ん……あー、このまま一生噛み続けるのかと思った」

「んな大袈裟な。で、明日なんだけど」

「いいよ、ボクは留守番してるから。この漫画の続きが気になるんだ」


 意外な答えが返ってきて安堵した。もしかすると天使は存外に手がかからない存在なのかもしれない。

 約束の日まであと三日。できればこの状態を維持してほしいのだけれど……そううまく進まないのが現実。おそらくまだまだ苦難はあるんだろうなぁ、と未来の自分の身を案じた。

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