10. 楽園追放
「やっぱり地上は愉快だね。いつ来ても飽きない」
家に帰ったアキハは早速人間姿に変身して、部屋の所有者の断りも入れずにベッドにダイブ。枕に顔を埋めて……おい、匂いを嗅ぐのはやめろ。あたかも自分の部屋のように振る舞う天使に辟易する。
学校ではぐらかされた話を聞くためにわざわざカレー味のスナック菓子を買ってきたんだ。勿体ぶらず話してもらいたい。昨夜の二の舞にならないようにスウェットに着替えていると、その隙を狙ってちゃっかりとスナック菓子に手を伸ばす天使を叱る。
「食べる前にちゃんと話して」
「むぅ、意地悪」
意地悪なのはどっちだ。こちとら今日一日中散々な目に遭わされてへとへとなんだ。なんならゆっくり湯船に浸かって早く寝たい。
「葵はさっきの遊戯で特別な力を使った?」
大富豪のことだろうが質問の意図がさっぱりだ。もちろんわたしは相手の手札を覗けるとか思考を読み取れるとか、サイキックじみた異能は持ち合わせてない。というか人間が超能力なんて漫画の読みすぎ。地上の娯楽を異能力最強決定戦と勘違いしてないか?
「ならどうやって勝ったの」
「どう、と訊かれても……」
そんなの経験則だ。同年代の連中と比べたら時間を費やしている方だろうし、なにより強者が集う競合コミュニティに属していたからには高度な勝負は数知れずやってきた。たとえ大人だろうと盤上遊戯で負けるつもりはない。
ま、たいそうなことを云っても思考がものをいうチェスや囲碁将棋で勝てるとは思ってない。あくまでもトランプとかボードゲームとか運が絡む遊戯だけ。わたしは場の流れと相手の裏を読み取るのが得意なだけなんだ。
今日のゲームだって一ノ瀬が自分の強さに酔いしれて「革命」を考慮していなかっただけ。それだけのこと。
「……偶然、かな」
「違う!」
当然声を荒げて真っ向から否定するアキハ。こんな姿、初めて見た。
「きみは一ノ瀬から勝負に誘われた時点で勝利を確信していた。ボクには……未来が見えていたとしか思えない」
「んなバカな」
「だったらきみの感情を教えてよ。勝負を引き受けてから教室を出ていくまで、きみが纏っていた感情は『退屈』。葵がアレキシサイミアって症状なのは知ってるさ。けど感情がないわけじゃない。不器用な言葉でもいいからさ、だから——あの逆転劇にどうして『退屈』だったの?」
言葉が詰まる。そんなの突然訊かれてもわからない。
「知性ある生命なら奇跡ってやつが大好物だ。なのにきみは目の前の奇跡にも『退屈』だった。きみの状態を踏まえると、葵はあれを『大したことない』と思っただけ。一生に起こるかもわからない逆転劇をただの日常としか認識してなかったんだ」
アキハの言葉で気づかされた。そしてうちに眠る不可思議に気づいてしまった。
思えば世界大会の本番だろうと表彰式だろうとさほど緊張しなかった。感情を感じにくいからといわれればそれまでだけど、わたしはずっと本番に強いタイプなんだと勝手に納得していた。
けど感情に鈍いわたしはパックで引き当てた『戴冠式の前日』に運命を感じた。「このカードで世界を制する」と夢を見た。結果としてその夢は叶った。決勝戦の決め手となって。
二つの日常を繋ぎ合わせると奇妙な真実が浮かび上がる。
代わり映えしない現実は退屈なことばかり。対して盤上ではわたしの想像通りに進む。
思い通りに進む遊戯なんて誰だってツマラナイに決まっている。遊戯で感情を手に入れようなんて端から無謀だったんだ。
「あれにはさすがのボクもビックリした。あれほどの奇跡を当たり前にするなんて葵は天才だよ」
「それは大袈裟」
「天使が褒めてるんだ。素直に受け取ってほしいな」
「ごめん」
「ま、これで一安心。葵のその強さもボクを認識できる原因も、ぜーんぶわかったんだし」
「え」
どんよりした気持ちから一転、吉報が舞い込んだ。あまりに唐突な報告に思わず力任せにテーブルを叩いてしまった。まさかこんなに早く答えに辿り着くなんて考えもしなかった。
「一見関係ないと思える話も丁寧に繋げていけば真実が見えてくる。ありがちな教訓だね。あ、喉乾いたからこの水もらうよ」
なんてことを云いながら勝手に鞄の中を弄り、スナック菓子のついでに買ったペットボトルを取り出した。よほど喉が乾いていたのか人の断りもなくグビグビと飲み始める。まぁ、もう一本買ってあるからいいけどさ、それ、炭酸だけど大丈夫?
「ぶへぇ! の、喉がシュワシュワする」
ほら、いわんこっちゃない。早く結論を聞きたいのにアキハが吐き出したジュースの後始末と看病に追われる。人の話に耳を傾けないから痛い目に遭うんだ。次から反省しなさい、と忠告したそばからまたペットボトルに口をつけてる。
「ん、慣れればおいしい」
「感想はいいから早く教えて」
「まぁまぁ、これでも食べながら昔話を聞いてよ」
と、先ほどわたしが買ってきたスナック菓子を差し出してくる。
「は? 関係あるの」
「大アリも大アリさ。長話になるからのんびりしよう」
アキハがそういうなら構わないけどさ、この子、地上のあらゆるものを自分のものだと勘違いしてない?
◇
「むかーしむかし、あるところに」
「前置きはいらない。どうせ千年前とかそこらでしょう」
「ううん、もっと前。何年前って聞かれると困るけど……天地創造の前後」
「むかしにも程がある! ま、いいや、続けて」
「天地創造のあと、神は楽園の住民と契りを交わした。この世の幸福を詰め込んだ楽園に住まわせる代わりに『神に従順でなければならない』とね。すべては神の野望のため——だったんだけど、ぜーんぶ水の泡さ」
「創造神が失敗? そんなことあるわけ……あっ」
「そ、人間が禁断の果実を口にしてしまった。約束を反故にされた神は怒り、楽園から追放した。でもどんなに人間に責任があろうと産み落とした以上は終焉を見届ける義務がある。だから神は地上の監視役を設けた。それが天使。天使と人間の外見が似ているのはどちらも作り手の姿を模倣したから。天使にはあらかじめ自我と知恵を与えたから神が想定したとおりに働いてくれてる……って、話についてきてる?」
「う、うん、なんとか」
とんでもない話を聞いてしまった。少なくともベッドで寝転びながらスナック菓子を摘んで聞く話じゃない。何千年もの間、必死になって人類が探し求めた答えなのだろうけど、今のわたしには無価値である。
「ここで賢い葵に質問! 禁断の果実を口にしたらどうなる?」
「羞恥を自覚するようになった」
「せいかーい。禁断の果実を口にしたことで『感情』を手に入れたんだ」
なんか引っかかる言い回しだ。そんな言い方されるとまるで人間は感情を持っていなかったように聞こえる。
「せいかいした葵にもう一問。この世界を創造した神の野望ってなーんだ」
「そんなのわかるわけがない」
「ヒントをあげよう。神は独りぼっちで暇だ」
聞き馴染みのあるフレーズだ。
世界は孤独を否定しがちだけどわたしなら大手を広げて歓迎する。でもそれは例外。普通の人間なら孤独に耐えきれない。きっと神だって孤独は寂しいのかもしれない。
孤独になった人間はなにを欲するのだろう。わたしのような学生なら勉強とか、現代なら電脳の海を彷徨うか、鳥越葵なら目的もなくぶらぶらと混沌を散策する。一昔前なら『もんもん』に行ってゲームでも——え、もしかして。
「さすがボクの葵。気づいたみたいだね。よく地上では平和とか繁栄って思われがちだけど実のところは不正解。いくら地上が賑やかになろうと『好きな時に好きなだけ暇つぶしに付き合ってくれる相手』が不在なんだもの」
「じ、じゃあこの世界は……神の遊び相手を作るために創られたの?」
アキハは深く頷いた。その眼に濁りはない。
世界中の哲学者や神学者が知ったらどんな顔をするだろう。愛だとか、意味を探すことこそが人生だ、と、長年議論されてきた割には単純な理由だった。
「もともと神って遊戯好きだったの。でも一人でできる遊戯なんて限られるでしょう。だから遊び相手——盤上で敵意を剥き出しにして喉元を刈り取ってくる好敵手を求めた。そのためには感情という不安定不確定要素を排除しなければならなかった」
「どうだろう。むしろ気迫があった方が手強いと思うけど」
「ううん。感情を得た人間はスリルやミラクル、勝利以外を求めるようになってしまって神の遊び相手が務まらなくなった。これでは本来の役割を遂行できないと悟った神が遊び相手をクビにした。それが『楽園追放』の真実」
「今の人間じゃダメなの」
「残念ながらね」
最後の言葉が重く薄暗い。きっと神に従順な天使として役に立てない歯痒さがあるのだろう。
この世のからくりは理解した……とて、横道に逸れている。わたしの異変はどうなった?
しばらく無言で本題を聞き出すタイミングを窺う。でもわたしが渋い顔を浮かべていると気づいたアキハは徐に口を開いた。
「『楽園追放』と葵に天使が見えてしまう異変、それと盤上を支配するきみの才能。これらを総合してみると葵こそ神が長い間探していた理想の遊び相手。言い換えれば『禁断の果実』の影響下にない特別な人間。神秘の領域に踏み込んだ人間の進化系さ」
その推理を裏付ける知恵はない。だからといって肯定する気持ちにもなれない。
わたしが特別? 人間の進化系? ……どう考えたってバカげてる。
地上をもっと広く観察してみろ。感情を纏っている人間の方がずっとずっと輝いて生きているじゃないか。そりゃゲームでは奇跡をもたらすかもしれない。けど勝つ時はほとんど完勝で、観客を興奮させられるドラマティックな試合にはならない。実力に加えて華を求められるプロシーンでは落第点。ま、そもそもプロになるつもりなんてさらさらないけれど。
ただ確実に云えるのは、感情を操る人間は無限大の可能性を秘めている。それこそ近い将来、天界が避けている禁忌にだって届くかもしれない。普通の人間を差し置いてわたしが特別を名乗れるわけがない。
導き出した結論に不満はあれど、まさかたった一日足らずで原因を突き止めたアキハに感謝。褒美をやろうにも都合よく金銀財宝なんて持ち合わせてない。天使が喜ぶものってなんだろう。
天使と人間がそれほど掛け離れていないなら……
「アキハ、こっちきて」
見かけはそっくりだけど実際には天使の方が何倍も偉い。本来なら敬う相手なのだけどアキハだけは親近感が湧くというか、親戚の子供くらい身近な存在。
小さな子供には財産より愛情を注ぐ。それが我が家の家訓だった。不慣れだけど精一杯の愛情として空色の頭を撫でてあげた。
「わっ、へ、あ、葵?」
「ありがとね」
優しく撫でたつもりなのに「子供じゃないんだから」と抵抗されてしまう。けどその顔は満更でもなさそうだ。
とはいえ抵抗されると好意を無下にされたように感じる。自分は神秘を押し付けてきたくせに……こうなったら、えいやっ。
「わわっ、くすぐったいよぉ」
ちんまりアキハを捕獲するのは簡単だった。ギュッと抱き寄せれば次第に抵抗もなくなり、愛情の押し付けに成功した。数分後にはすっかり絆され、今ではわたしの太ももの上でリラックスしてる。これでは子供というより子猫だ。
頭をなでなで、ほっぺたをふにふに。これはちょっと癖になる。この世にこんな柔らかいものがあるなんて知らなかった。ご飯を与えたらもっと育つだろうか。天使が成長するなら試してみたい。財布の中と相談してアキハのほっぺた育成計画でも作ろうか。明日はなにを食べさせよう。
「なんだか呆気なく終わっちゃったね。これでボクもお役御免だ」
——あぁ、そうだった。異変があったから地上にいられたんだ。大義名分がなくなれば天界に戻らないといけない。きっと家出中とかで天界への連絡も怠っていただろうし、天界に戻れば山積みの後始末でてんてこ舞いになるだろう。となるといつ再開できるかもわからない。
そもそもアキハと会話できたのも世界のエラーなのだから、いずれか天界がわたしの力を没収してくる。どのみち二人きりでアキハと過ごすのはこれが最後だろう。あー、アキハがポンコツだったらよかったのになぁ。
わたしは意を決してアキハに訊いた。
「もう帰っちゃう?」
「うーん、もう少し暖かくなるまで地上にいようかな」
「あとで怒られない? ただでさえ喧嘩中でしょうに。クビになるよ?」
「そしたら葵のお世話になるんだー。それなら葵も寂しくないでしょう?」
あ、ずるい。勝手に感情を云い当てるなんて反則だ。アレキシサイミアなりに自分と向き合って答えを出そうとしたのに。
ま、いいさ。異変が片付いたならもうこれで心労はない。それよりこれからどうやって家族にバレないようにアキハを居候させるか考えなきゃ。家の中ではずっと天使姿……というわけにもいくまい。ったく、いろいろ面倒だけどしょうがないね。
緊張の糸が切れてやっと大きく背伸びができた。さぁて、これから部屋の片付けをして宿題に取り掛かろう。
「夏には全て片付くだろうしー」
と、不意にアキハの身体が飛び上がり、あたふたと両手で口を塞いだ。
……見るからに怪しい反応。これではまるで失言したと自白してるじゃないか。
や、待て待て、落ち着けわたし。まさか天使とあろうお方がコントのお手本のような誤魔化しをするものか。
アキハ——世界の神秘を詰め込んだ不可思議に相応しい名前。世界で唯一、わたしの秘密を共有する天使。短い間だけど真摯に接して信用を積み上げたつもりだ。それに約束もいくつかした。隠し事はしないとね。
「ね、アキハちゃん」
「な、なにかな」
声が震えてる。かわいそうに。怖いものでも見たのだろうか。
「ここでわたしからもアキハちゃんに質問。わたしが嫌いなものってなーんだ? 三つ答えよ」
「そんなの簡単さ。面倒ごとでしょう? それから盗撮」
「うんうん、二つとも正解。あともう一つは?」
「な、なんだろー、わかんない。お手上げだ」
「正解はー、嘘をつく子」
答えを教えてあげた途端にジタバタと足掻きだす。
でも残念。この世は弱肉強食なのだ。握力二十キロしかないわたしでも抑え込めてしまう己の非力さを痛感するといい。力で敵わないと悟ったアキハは人差し指をパチンと鳴らす。
はっ、しまった。ついうっかり天使だってこと忘れてた。天使姿になれば抜け出され……ることもなかった。だってわたしは天使姿だろうと触れられる。
「許してぇ……お願い」
敗北を悟ったようである。縦横無尽にバタバタと空を切っていた手足から力がなくなった。
「自滅したんだから観念しなさい。わたしだってそうしたんだから」
「で、でもぉ、ボクが口を割らなければいい話で——ひっ」
ついでに往生際の悪い子も嫌いだ。勝者が投了を促しているのだから素直に負けを認めたらいいのに。こうなったが最後、わたしも強行策に出なければ。
折り畳まれた指を優しくこじ開け、天使の手のひらに触れる。ちょうど真ん中を狙って……えいっ。
「——っ、いったぁあぁい!」
「ここはおへそのツボ。こっちは耳のツボ」
お次は中指。先端を刺激すると気持ちいいんだ。ツボ押しマッサージは授業中とか退屈な時間によくやっている。だからどのツボがどの部位なのかは大まかに記憶している。
優しくやれば痛気持ちいい。しかしこうやって力加減を間違えればあっという間にお仕置きに早変わり。誰かに触れられるのに弱いアキハなら効果覿面かと思っていたけれど、これは想像以上に痛がっている。
「天使に拷問なんて前代未聞だ! 今回は許す、から勘弁してぇ」
「ふむ、アキハちゃんは口が堅いね。白状するツボを押さないと」
「あの、葵——優しくしてね」
ほう、その根性だけは認めよう。それが得策とは思わないが。
他人にマッサージするなんて初めてだから力加減が難しい。ことが済んだアキハはベッドでぐったりと力尽きている。ふむ、強くやりすぎただろうか。
「もうちょっと練習させて」
「冗談じゃない!」
ちぇっ、ダメだったか。次はもっとうまくやってみせる。
「で、まだ黙る?」
「わかった。もう白状する、けど」
「けど?」
「最初に云っておく。これは天界の領分であって葵が知る必要のない話。それに確実な未来ともいえない。だから一週間、様子を見させて。その頃にはハッキリしてるだろうから。きみも聞くか聞かないか一週間で考えて」
「待つまでもない。今聞くよ」
そんなの即決だ。わたしのような面倒くさがりは面倒を避けて生きている。常に最善を選ぶには些細な情報も把握しておかねばならない。一週間の期限なんていらない。結果的に肩透かしだろうと杞憂でも構わない。それはそれで面倒を排除したと同義なのだから。
なのにアキハは一向に話そうとしない。
「きみが……」
声が小さくて聞き取れない。
「葵が襲ってきたから話す気分じゃなくなった! ボクはもう寝る!」
「え、ちょっと」
プリプリと不機嫌を振り撒きながら掛け布団で全身を覆い、これ以上は身体に触れさせまいと部屋の隅で固まってしまった。ちょっとでも近づけば「しゃー」と猫のような威嚇をしてくる。もはや天使の威厳なんて微塵もない。
しょうがない。今日のところは諦めよう。不機嫌なままだと困るからアイスでご機嫌を直してもらおう。財布を手にして部屋を出ようとすると部屋の隅からぽつりと聞こえた。
「ボクがただの天使なら話しただろうさ。でも今のボクはアキハ。葵を危険な目に合わせたくない」
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