8. 七つの大罪より重い罪
昼を告げるチャイムとともに、授業の後片付けもしないで教室を飛び出した。無論、向かう先は人の許可なく撮影して拡散した大バカがいる教室だ。
わたしとて本当ならもっと早く尋問したかった。けど休み時間になるたびに渦中の人間に話を聞こうとする野次馬に阻まれてしまった。その度に他所いきの笑顔で出迎えなければならなかったので、肉体的にも精神的にもへとへと。もう頬に力が入らない。もう笑えない。
「淀橋肇いる?」
ちょうど肇の教室から出てきた子に声をかける。うまく表情が作れなかったので無表情だったのは自覚してるが、なにも怖がらなくていいじゃないか。怯えながらも「あっちです」と教えてくれた彼女へのお礼に最後の力を振り絞って渾身の笑顔を放った。
いつもなら授業の余韻が残る他クラスに乗り込むには勇気がいる。しかし今のわたしは復讐者。平穏をぶち壊してくれた罪は七つの大罪より重い。
「ちょっといいか」
教室の後方にいた肇はなにやら一人で机を向かい合わせになるように動かしていた。
わたしたちを盗撮した張本人のことだ。きっとコイツもわたしに訊きたいことなんて山ほどあるだろう。なのにどうしてか、わたしの顔を見ても素っ気ない態度だった。
「わりぃけど後にしてくんねぇか?」
と、こちらを無視して鞄から長方形のプラスチックケースを取り出す。蓋を開ければどこにでも売っているバイスクルトランプが現れた。
「さぁ今日もやんぞ。今回は勝つからな、一ノ瀬」
意気揚々と手を叩いて教室の注目を集め、すぐ隣で読書中の男子生徒を指差した。なんてバカなことするんだ。学校の風紀を重んじてそうなタイプが不用物の代名詞で遊ぶわけないのに。
「懲りないねぇ、お前は勝てないよ」
一ノ瀬と呼ばれた彼は得意げに眼鏡の位置を直した。
失礼、訂正します。すっごく乗り気だ。この学校は大丈夫だろうか、入る学校間違えただろうか、と、今になって激しく後悔。進学校と聞いていたけど変わり者ばかりじゃないか。唯一まともなのが自分だけとは世知辛い世の中だ。
一ノ瀬の参加が決まると続々と参加者が集まった。気づけばゲームセンターのような空気に早変わりしている。
このクラスでは休み時間になるとトランプで遊ぶようだ。特にこの一ノ瀬は勉強の成績もさることながらゲームも上手いとのこと。ババ抜きでも神経衰弱でも常勝無敗。対して肇は連戦連敗。なのに勝手にライバル視して毎日勝負を挑んでいる——と、たまたま近くにいた元クラスメイトに教えてもらった。
そういえば肇はゲームのことになると子供みたいに意固地になるっけ。
あれは去年、文化祭委員に選ばれたわたしと肇は空き時間によくトランプで遊んでいた。彼はその、なんというか、頭が非常におバカさんなので勝負に弱い。運が絡む神経衰弱なら兎に角、じゃんけんでも必敗。いろいろと残念なのだ。
それでいて負けが込むと「もう一回」と強請ってくるし、しつこいのでわざと負けると「手を抜いたろ」と怒ってくる。非常に厄介で面倒な性格なのだ。
肇の弱さは十分に理解している。敗北は当然として、常勝無敗という一ノ瀬の実力が気になった。いくら肇が雑魚だろうとゲームには運がつきもの。勝ち続ける難しさを知るわたしだから一ノ瀬がどうやって勝つのか見たくなった。
今日のゲームは大富豪。一ノ瀬が一番得意とするゲームらしい。プレイヤーは全部で六人。わたしは傍観者に徹した。
「っと、失礼失礼」
相変わらず下手くそなシャッフル。山札が崩れてるじゃないか。最近のトランプはプラスチック製で頑丈だけど、油断していると簡単に折れるぞ。
トランプを配り終えた肇は伏せていた自分の手札と睨めっこ。後ろからチラッと見た限り、なかなか悪くない手札だ。長考の末、ようやく出すカードを決めたようだがその前に約束してもらわないといけない。
「それが終わったら事情聴取するから」
「わりぃな。今は男と男の真剣勝負。口出しすんなよ」
バカは聞く耳を持たず。仕方ない、これでもプレイヤー心理には理解ある方だ。ここは大人しく待つことにしよう。
……暇だ。
わたしが通っていた『もんもん』は強豪が集うコミュニティとして名が知られていた。かくいうわたしも世界の舞台に立った人間。世界最高峰のプレイヤーの手つきを見てきたせいか、眼前で流れる一巡が途方もなく長く感じる。あーでもない、こーでもない、やっぱりこっちじゃなくてコレ。出せるカードなんて限られているだろうに、なぜこうも迷うのか。肇は当然として他の五人も……や、一ノ瀬だけは澱みなく手を動かしている。自分の出番が回ってくるとすかさずカードを切るその動作だけで噂が事実なんだと悟った。
勝負は始まったばかりだけど結果は目に見えている。そんなゲームを観戦する趣味もなく、暇を潰せないかと周囲を見渡した。ただでさえ顔見知りが少ないのに愛想が悪いと誰も話しかけてこない。好奇の目を向けてくる人もちらほらいるが、遠目で観察するだけ。いささか居心地が悪かった。
ふと廊下に目を向ければちょうど、購買部のパンを手にした四谷日奈子が入ってきた。
考えてみれば彼女も共犯者。実行犯は極刑だとして共犯者にはどれほどの罰を与えよう。意を決して声をかけようとすると彼女の行動の方が早かった。
「葵さん! ちょうど今から伺おうとしてまして。あの綺麗な天使は誰ですか?」
あ、圧が強い。この子、こんなキャラだったっけ。
でも彼女が乗り気なら話が早い。早いとこバカを連れ出して三人で話し合わないと。
「いろいろ話したいんだけどコレが、さ」
コレ、に目を配ると四谷は大きなため息をついた。
「ったく、ごめんなさい。この人、ゲームの邪魔されると怒るの。終わるまで待っててもらえる?」
「ん、気にしないで。元々待つつもりだったし」
コイツが怒ってる姿は容易に想像できた。
盤上の行方を静観する中、その光景を真上から眺める存在が一人。そういえば教室に入ってからやけに静かだな。授業中は話しかけてくるわ、勝手に校舎を飛び回るわで迷惑してたのに。
「はい終わり。もっと練習したら?」
ゲームは波風立たず幕を下ろした。結果は一ノ瀬が大富豪、肇は大貧民。予想通りだった。意外だったのは一ノ瀬がしっかりポーカーフェイスを使いこなしていたこと。それに見る限りミスもなかった。わたしでも彼と同じ順番でカードを切っただろう。
「おっかしいな、どうして勝てない」
気持ちだけで勝てるなら苦労しない。単純な話、手札は悪くなかったけど切る順番が悪かった。思考が足りてないだけである。『もんもん』ならここで感想戦に突入していたけど、今のわたしは傍観者。あれこれと口を挟む資格はない。それより当初の目的を果たさなくては。
「ん、終わったね。ならコイツ連れてくよ」
周りの連中は引き止めなかった。どころか逆にどうぞどうぞと差し出してくる始末。首根っこをとっ捕まえようと手を伸ばした、その瞬間だった。
「……やだ」
「ん?」
「いやだぁ! 一ノ瀬に負けっぱなしなんて嫌! 一度でもいいからあの傲慢な鼻をへし折りたいぃ」
情けない声とともに机をバンバンと叩いて駄々をこねる肇。これでは動物園の猿の方が利口だ。無理やり引き摺りだそうと躍起になるも、女の子一人ではどうすることもできない。見かねた四谷も手を貸してくれたが教室を出ようとはしない。終いには暴れた拍子に足を机にぶつけて、トランプがバラバラと床に散らばった。
「あぁ、もう、暴れるから落ちちゃったよ……はい」
ババっと回収して束ねる。そのついでに裏表、上下もしっかり確認して……はい、終わり。
で、このバカをどうしようか。四谷が説得したって動く気配がない。考えあぐねていると思いがけない人物から予想外の言葉をもらった。
「きみ、トランプの扱いに慣れてるね。相当できるとみた。よかったら一戦やらない?」
「え、わたし?」
思いがない提案に思わずキョトンとしてしまった。
「その言葉を待っていた!」
追い討ちするが如く、先ほどまで赤ん坊のように暴れていた肇が急に正気を取り戻し、一ノ瀬を指差してさらに続ける。
「コイツは俺の相棒。このアキバオタクに勝ってこそ本当の勝利ってもんよ」
「おい、なにを云って」
「ことゲームにおいてコイツは天下無双。一ノ瀬程度、ちぎっては投げよ。それでも相手しようって?」
「……あなたはなにをおっしゃって?」
「おう、文句は一ノ瀬に勝ってから受け付けてやんよ」
もう言葉が通じる気がしない。もう肖像権がどうとか主張する場合ではなく、人権の危機だ。
「バカなこと云うな。一ノ瀬くんだって社交辞令で云っただけでさ」
「僕は別に構わないけど」
「……はい?」
「正直、他の連中だと相手にならないんだ。もしきみが勝てたら__今日の勝負は肇の勝ちってことにしてあげよう」
「いやいや、そんなお情けで肇が満足するわけ——」
「はっ、おいおい、生粋のアキバオタクを舐めるなよ。この勝負、受けてたとう」
コイツにはプライドがないのだろうか。呆れるわたしとは裏腹に歓声が湧き起こる。もはやわたしに決定権なんてない。唯一止めてくれそうな四谷に至っては目をキラキラと輝かせている。
はぁ、なんでこんなことに。わたし、悪いことしたかな?
こうなった以上は言葉で解決できる見込みがない。一度云った言葉は訂正しない肇だけど裏を返せば約束は破らない。一ノ瀬に勝てば全てが丸く収まる。勝利条件はわかりやすい。
「終わったら土下座してもらうから」
「あぁ、勝てたらな」
◇
プレイヤーとして盤面と向き合うと気持ちがキュッと引き締まる。
盤面の向こう側で絶好のカモがやってきたと目をギラつかせるハイエナのような視線も懐かしい。そんな輩に限って始まる前と終わった後の顔つきが真逆なのだ。
ただ一人、やっぱり一ノ瀬だけは違う。強者特有の余裕が板についている。カードが配られている間も気を抜くことなくポーカーフェイスを貫いている。
「先手を決めましょう」
「いや、さっきの続きだからお前は大貧民な」
「……勝たせる気あるの? なんで不利になることを云うのさ」
「まぁまぁ、その代わりに先手を貰おうぜ」
まさか肇には先手と大貧民が釣り合っているように見えるのか。
まぁ、いい。反論したって無意味だろうし時間ももったいない。それよりか盤面と向き合った方が勝ちに繋がる。
状況を整理してみる。ただでさえゲームを優位に進める権利を強敵一ノ瀬が所持している。
大貧民は大富豪に手札から強いカードを二枚差し出さなければならない。代用カードを受け取れるとはいえ、大抵の場合は二枚とも弱いカード。つまりゲームが始まる前からハンデを背負っている状況。一度貧民に落ちれば平民になることさえ困難なゲーム。でもこの理不尽こそ、このゲームの醍醐味なのだ。
誰がどう見ても絶対絶命の危機。だからこそ——今回だけは手を抜かない。
配られたカードから最も強いカードを二枚、伏せた状態で一ノ瀬に渡す。それを目にした一ノ瀬からわずかに笑みが溢れた。無理もない。無条件で「2」を二枚も受け取れば喜ぶに決まってる。
「先手どうぞ、アキバオタクさん」
肇がポロッとこぼした失言はきっちりと秀才の頭に刻み込まれていた。誠に遺憾である。絶対にアイツを土下座させて泣かせてやる。
「ほんとにいいの?」
「ルールだからね。それに手札を見た後にルールを変えるのは反則だろう」
「それもそっか。じゃ、早速、大富豪から頂いた『3』を出そうかな」
カードを切る前にわざわざ宣言したのは円滑に進行するためのマナーだと思っていた。だってその方が次のプレイヤーの思考時間に充てられるから。『もんもん』では当たり前の行動だったけど世間では奇妙に思われるようだ。中には嘲笑う輩もいる。笑ってもらって構わない。多分、一分後には笑っていないだろうし。
「『3』を————はい、四枚」
数字を四つ重ねれば革命を示す。このゲームの間、全てのカードの価値が逆転する。
教室が静まり返る。おや、一分もいらなかったみたいだ。
「か、かかか、革命?」
一ノ瀬のポーカーフェイスは完全に崩壊していた。
「それより誰か、出す人いる? なければ次に進めたい」
革命成功。思いがけないところから希望が舞い込んだ貧民から白い歯が見える。
けど残念。革命が通ればこのゲーム、わたしが支配した。
「なら次は『7』を三枚」
カードを切っても周りはうんともすんともしない。ならば勝手に進めよう。
「したら『8』で八切り、最後はエースでおしまいっと」
今回のゲームも呆気なく終わってしまった。ただ内容も勝敗も前回とは真逆だけど。
晴れてわたしは大富豪。都落ちした一ノ瀬は自動的に大貧民になる。勝負好きの一ノ瀬のことだから「もう一回」と懇願されるのも覚悟だった。けど彼は手札を盤上に投げ捨てて教室の外に出て行ってしまった。彼がゲームを放棄したことで他の人もやる気を失ったのか、同じように手札を捨てた。
「やったな! まさか一ノ瀬に勝てるとは!」
彼女がいる前だというのに諸悪の根源は勝利の喜びで抱きついてくる。
自分の感情を表現するのは喜ばしい、が、勝てるとは思わなかったとは聞き捨てならない。
「じゃ約束どおり土下座ね」
勝利の余韻を堪能する肇の扱いほど容易なものはない。軽く腕を引っ張れば風船のようについてくる。その様はまるで——や、そういえばもう一人のふわふわを忘れてた。放置して機嫌を損ねてないかな。
その天使はひと足先に廊下にいた。
「見事だね」
別に褒められることはしてない。でも天使に褒められると悪い気はしなかった。
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