第四章 揺らぎの中で
彼と過ごす時間は、日常のなかに静かに溶けこんでいった。
それは、特別なことばかりではなかった。
一緒にキッチンに並んで夕食を作ったり、
映画を観て、感想を言い合ったり、
眠る前に、くだらない話で笑い合ったり。
だけど、そんなやさしい日々の中でも、
ふとした瞬間に、不安が顔を出すことがあった。
彼を知れば知るほど、どんどん好きになっていく。
そのことが、少しだけ怖かった。
好きになってしまったら、傷つくこともある。
もしこの気持ちが片道だったら——
そんな考えが、胸の奥に小さくとどまり続けていた。
ある夜、ベッドの中でぽつりと聞いた。
「…このまま、一緒にいたいって思ってくれてる?」
彼は驚いたようにわたしを見て、
「そんなの、もちろんだよ」と笑った。
そのとき、わたしも思わずこぼしてしまった。
「こんなふうに人を好きになったの、人生で初めてかもしれない」
彼は少し目を見開いて、それから優しく笑って、わたしの手を握ってくれた。
そのぬくもりに、わたしは少しずつ心をゆるしていった。
でも、それでもまだ、わたしの中には小さな影が残っていた。
この関係がいつまで続くのか、
彼の気持ちが本当に変わらないのか、
そして、自分がこの先どこへ向かうのか——
答えの出ない問いばかりが、心に浮かんでは消えていった。
そんなわたしの揺らぎに、彼はいつもまっすぐに向き合ってくれた。
気持ちを受け止めて、話し合おうとしてくれた。
わたしの不安を否定せず、ただ静かに包み込もうとしてくれた。
あるとき、わたしが言った。
「あなたのことをどんどん好きになるのが、ちょっと怖い」
彼は少し考えてから、こう答えた。
「僕も、好きになるのは怖いよ。でも、僕はこれからのことを真剣に考えてる」
その言葉が、心に静かに響いた。
“怖さ”を抱えたままでも、進もうとする気持ち。
それは、わたしにとって希望だった。
そして、付き合って2か月ほど経ったある夜のこと。
眠る前、ふたり並んで横になっていたとき、
彼はわたしの目をまっすぐ見つめて、少し照れくさそうに言った。
「I love you」
その瞬間、時間がふっと止まったような気がした。
驚いた。戸惑った。
うれしいはずなのに、わたしはその言葉の重さがよくわからなかった。
なぜなら、それまでの人生で、誰かにそう言われたことがなかったから。
「……わたしも」
そう答えるので精一杯だった。
あとになって知った。
アメリカでは“I love you”は、軽く口にする言葉ではなく、
相手への強い気持ちと覚悟をもって伝える、特別な言葉だということを。
あのときの彼のまなざしは、たしかにまっすぐで、
誠実で、覚悟を含んでいた。
その意味に気づいたとき、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
そんな彼が、ある日こんなことを言った。
「僕の愛情表現って激しいから、Akiは将来変わっちゃうんじゃないかって不安になるかもしれないけど、僕は変わらない。
それに、本気じゃなかったら家族に会わせたりしないよ。
クリスマスに親に会ってもらったのは、本当に特別な存在だからだよ」
その言葉を聞いたとき、心があたたかくなった。
「ありがとう」
そう言いながら、わたしは心の奥で、またひとつ何かがほどけていくのを感じていた。
わたしはまだ、自分に自信が持てずにいる。
人と比べてしまったり、先のことを考えて不安になったり、
時々、自分の価値すら見失いそうになる。
だけど、彼は何度でも言ってくれる。
「Akiの笑顔が大好きだよ。自信がなくなったら、いつでも言ってあげる」
「あなたは大切な人で、愛されるべき存在だって、毎日思っててほしい」
「I love your soul. I love your mind.」
わたしは、こんなにもまっすぐに想ってくれる人と出会えたことに、
ただただ、感謝しかなかった。
あのとき、さよならをくれたあなたへ @ast7536
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