祓い水
小鳥ユウ2世
第1話
会社から家に戻ると、玄関前にペットボトルが置かれていた。中には水とも言えない小汚い液体が入っていた。当然、自分で置いていたら覚えているはずだし、置くはずもない。猫避けで置くという意味もあるそうだが、それはセキュリティ付きのアパートには当てはまらない。
「なに、これ......」
そのペットボトルを触ろうとしたとき、ふと母と兄の記憶がよみがえった。 兄は、この町で失踪した。たしか4年ほど前。俺が20になったちょうど今のような夏頃だったはず。 兄のことはあまり得意じゃなかった。父に似て寡黙で自分のことを話さない人だった。この町に越したのも、両親への断りもなく自分で行方不明にでもなりたいかのように、消えていったのだ。
兄の捜索が打ち切りとなり、彼の家が引き払われることとなったとき、風呂場の前で少しだけ水の入ったペットボトル1本を母親が見つけたそうだ。母親はそれを見た時、気持ち悪いと思ったらしく捨てたという。それから数日後、母親が川で変死体で見つかった。なぜ母親が川に行ったのかわからない。父親によると、夜、人知れずどこかへ出かけていったという。夢遊病など診断されたことなど一度もない。父親は眠気眼ながら、母親に尋ねると覇気のない声でこう言ったという。
「お水さまが呼んでいる」と
”お水さま”という言葉が気になり、母が亡くなってからも色々と調べたがパソコンからの返答はなかった。それから、父と俺は母と兄の話はしなくなった。
それから、数年。俺は何の因果か、兄の失踪したこの清水町に住み始め、1人仕事に明け暮れていた。仕事の忙しさで、こんなことなど忘れていた。忘れたかったのかもしれない。
「思い出したくもなかったな......」
俺は兄や母の二の舞になりたくない一心で、このペットボトルを捨てる決心をした。ただ、自分で捨てるわけにはいかない。そうだ、管理人に頼んでみよう。
そう決心した俺は1階まで降り、管理室にある受付窓をコンコンと叩き、軽く管理人に会釈した。
「はい」
いつになくぶっきらぼうな返事に、委縮しながらもペットボトルを見せた。
「あの、303の雨宮ですけど......。これ、落ちてて」
管理人はゆっくりと首を曲げた。俺がおかしいのだろうか。それとも、そんなもの引き取れないということなのだろうか......。
「よくわからないんで、そちらで処理いただけないですか?」
「雨宮、さんか......。なら、それは祓い水だから大切に風呂場に置きなさい」
「祓い水? どういうことですか?」
「祓い水は大切にすること、そして深入りしてはならない。そうすれば祟りは降らない」
どうも噛み合わない。しかも、風呂場ときた。これは兄と同じだ。ここまで偶然が重なると気味悪さを感じる。これは、兄からのメッセージとでも言うのだろうか。自分の失踪や母の死の真相を解き明かしてほしいということだろうか?
「とはいえ、どうすれば......」
触りたくもないのに触ってしまっている不快感と、処理できないことへの不安感から吐き気が襲い始めた。ぜんぶ、この水のせいだ。行き場のない憤りを抱えて、自分の家に戻り、ペットボトルを風呂場の近くに置いた。置いても何も起きない。俺は、これ以上関わりたくないので、そのペットボトルをできるだけ無視して夜を過ごそうとした。
ポチャ......。ポチャ......。
酷い水の音で、夜中に目が覚めた。
俺は電気をつけるのも忘れ、当たりを見渡す。だが、水の音は唐突にやんだ。気のせいだろうか。明日も会社だ、今は休まないと......。
――――――――――――――――――――――――――――――
昨日夜中に目を覚ましたせいで、若干寝不足ながら仕事に打ち込んだ。その昼休み、気心のしれた同僚にこぼれるようにこのことを話した。話したくなかったけど、内心誰かに聞いてもらいたいと言う欲求が収まらなかった。同僚は、そのペットボトルの話を聞くと青ざめ始めうつむいた。
「そっか。お前、地元じゃないから気持ち悪いよな......」
「なんかあるのか? このへん」
「悪いことは言わない。詮索するな」
アパートの管理人と同様、俺には詮索するなという。
「なんでだよ、教えてくれよ その話......」
だが、同僚は申し訳なさそうに首を横に振った。俺は絶望した。何も方法が分からないんじゃ、このまま気味悪いまま過ごすのか。そう思っていたら、同僚は少し小声で話し始めた。
「どうしてもと言うなら、図書館に行くといい。多分、郷土資料の棚にあると思う......。言っておくが、俺は止めたからな......」
その顔は覚悟を決めたかのような顔だった。そんなに誰かに知られると困る伝承なのか? どれくらい根深いんだ......。そんなことが頭でいっぱいでこの日の仕事は、かなり遅れた。
「今日、図書館に行くのは無理かぁ」
残業終わりの帰り道、俺は奇妙な人を見た。なんと、ペットボトルを配っている。しかも無料でだ。身なりはいいとは言えない。どちらかというと、ホームレスに近い。その人は通り過ぎて行く人にペットボトルを収めようとする。だが、みんな彼の事を無視する。あんなんじゃ無理もないだろう。そう思いながら、俺は帰路についた。玄関にはなにも置かれていない。それだけで安心していた。だが、家に上がったとたんチャポ......。という音と、靴下からじんわりと伝わりはじめる生ぬるい水が足をむず痒くした。
「うわ、濡れてる......。なんで?」
ふと、俺はあのペットボトルの方を見た。すると、ペットボトルのふたが若干緩んでいて、そこから水が垂れていたことに気が付いた。俺は気持ち悪くなった靴下を脱ぎ捨て、びちゃびちゃと音を立てながらリビングで干していたタオルを引っ張って玄関周辺を拭いていった。サラサラとした感触ではなく、どことなくねっとりと粘性を帯びているその液体を搾り取り、乾かしていく。さらに、触りたくもないペットボトルのフタを閉めた。水のせいか、するすると空回りしてしまうが何とか確実に閉めることに成功した。
「一体なんなんだ......」
ネットで調べてもやはり出てこない、ペットボトルの怪現象。兄さんや母の時と同じだ。正直、このペットボトルなんてどこかへ捨ててしまいたいとも思っている。でも、捨てるのも怖い......。今日はもう眠りたい......。
「気色悪いけど、明日も仕事だしな......」
1人呟き、ペットボトルを眼中に納めないように、眠りにつこうとした。
眼を閉じて数分頃か......。
ポチャ、ポチャ......。
また水の音が聞こえ始めた。
「う、うーん......」
ポチャポチャ、ポチャポチャ......。
今度は、前より感覚が狭くなってきた。瞬間、誰かが俺を見た気がした。
さすがに俺は電気をつけて立ち上がり、すべての水回りをチェックした。だが、なにもない。しっかり栓は閉まってある。もちろん、ペットボトルのふたもだ。
「休ませてくれ!」
俺は腹を立たせながら、もう一度眠りについた。
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