第2話 中原図書館の閲覧席 争奪戦

ぼくが図書館の前に並ぶのは、これで何度目になるだろう。

土曜の朝、まだ8時前だというのに、すでに数人が廊下の窓沿いに立っていた。誰も言葉は発さない。ただ、それぞれがスマホを眺めたり、文庫本を開いたり、ぼんやり庭園の緑を眺めたりしている。ぼくもその中の一人だ。


開館は9時30分。でも土日祝は、1時間以上前からこの行列が始まる。それは、自習するための閲覧席を確保するため。

閲覧席は全部で約200あるけれど、使い勝手のいい席は限られている。


ぼくの狙い目は決まっている。上階─6階の、「高卒年齢以上専用席」のうち、窓側8席。2人掛けの机に、前と左右の端に仕切りがついていて、集中できる。個別電灯もある。椅子の座り心地もいい。ぼくは、そこを取れた日と取れなかった日とで、集中度が明らかに違うと思っている。


そのほかにも、5階には小中高校生専用席(32席)、6階には「誰でも使える閲覧席」(23席)や、「発券機で予約する時間管理席」(39席)もある。でも、そういう席は仕切りがなく、周囲から丸見えで落ち着かない。


並んでいるのは高校生、大学生、それから若い社会人と思しき人たち。服装は違っても、全員が何かしらの「目標」を抱えてこの列にいるのだと思う。ぼくもその一人だ。


図書館入口前は、幅8メートル、奥行き20メートルくらいの細長い廊下だ。左手にはガラス越しに、下階の商業フロアの屋上に庭園が広がっていて、その窓沿いに行列が作られる。40人ほどで壁際が埋まり、そこから折り返して、今度は逆向きに列が延びていく。やがて、美しいS字カーブができあがる。


9時になる頃には、120人くらいが集まる。皆が無言で、本とスマホを交互に見ていた。


警備員が3人。常に行列を監視し、通行の妨げにならないよう誘導している。ただ、注意される人はほとんどいない。皆、このルールをもう体に染み込ませている。




9時15分。警備員たちは時計をチェック。顔を見合わせ、いつものように共同で号令をかける。


「では順番に四列にお並びください!」「はい、左が先でー!」


廊下の中央に向かって、人が流れるように再整列していく。

ぼくは、いつもどおり反射的にその流れに乗る。もう、何の戸惑いもない。

今日は7番目だ。「高卒年齢以上専用席」の窓際席を取れるだろうか・・・ドキドキしてくる。


四列行列の目安は150人。廊下がいっぱいになったあとは、右側のスペースへと列が続いていく。今日もすでに190人を超えていた。




9時25分。図書館職員が数名出てくる。行列に向かってメガホンで注意事項を読み上げる。


「おはようございます。ご利用にあたっての注意事項を申し上げます」


要点はこうだ:


・開館直後、席取りのため走るな

・館内で飲食はできない。飴やガムもダメ。飲食は専用部屋で

・荷物を置いたまま長時間離席するな。場合により荷物を撤去する

・席で寝るな。場合により退席させる


そしていよいよ、9時30分。開館の音楽が流れる中、職員が入口を一人分の幅だけ開け、更にその両側に立ち中へ誘導する。


「はい順番で。一人ずつ入って。ゆっくりと、押さない。走らないでくださいね」


ぼくは入口を突破した。あとは、目的の席への最短ルートを競歩する。下階の入口から階段を駆け上がり上階へ。後ろからも階段を上る音、追手が迫る。職員が要所要所で待ち構えていて睨みをきかせる。見た目、走っているようで走らない。この境界線のスピードを維持して、いつもの、角から4番目「高卒年齢以上専用席」窓際席を確保することが出来た。


開館の音楽は5分間。まだ鳴りやんでいない。落ち着きのある旋律が繰り返される。鳴りやむまでの間は、席取り成功のご褒美として休憩だ。


瞬間的に全席が埋まった。ひとまずは、各自安堵のため息を漏らしつつ、作業に取り掛かろうとしている。静寂と集中に満ちた朝の図書館


──だが、それが一日続くほど、利用者たちは従順ではない。

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