その19 魔法の焚き火と泳ぐ焼き魚

 にゃんごろーは、泣きながら夜の桜森を駆けていった。

 お腹も盛大に鳴いていた。

 脇目も降らず森を駆け抜け、森の入り口に停めた卵船に戻ると、カパリ殻を開け、「てい!」と飛び乗り、またパカンと殻を閉じ、椅子の上に蹲って泣きじゃくる。

 身も世もなく泣きじゃくる。

 お腹の虫も負けじと鳴きじゃくって、卵の中は、大変な大騒ぎだ。


「う、う、う……うえええええ! うええええええん! うわぁ――――ん! 大失敗! 大失敗だよぉー! にゃんごろー、大失敗しちゃっ……う、ううう、うわあああああん! こんなに、お腹が、すいちぇるのにぃ! 明日の朝も、ごはん、抜きかもしれにゃいにゃんてぇー! う・う・うぅぅぅぅ!」


 もふ毛がびしょびしょに濡れていく。

 泣いたら余計にお腹がすくと思うのだが、ショックがでかすぎてそんなことを思う余裕すらない。

 期待に胸を高鳴らせていただけに、おとうふ方面では、すべての方向で大失敗をしたことがショックだった。

 大打撃の大撃沈だった。

 卵の中で涙の大洪水が起こりそうな勢いで、にゃんごろーは泣き続ける。

 涙は止まりそうもなかった。


「…………ふぐぅっ、ううううう、うわあああん、ふえええええん…………ふ……………………は!? しょ、しょうだ!」


 小さな子ネコーのように泣きじゃくっていたにゃんごろーが、「はっ!」と顔を上げた。それから、椅子の後ろににょいんと身を乗り出し、ゴソゴソと後部を漁り、何かを取り出した。


「あ、あったぁー! 遭難した時用の、保存食ぅ――――!」


 大歓喜でもふ頭の上に掲げたのは、もしもの時の保存食として持ち込んでいたカロリーバーだった。災害対策用の保存食に比べると賞味期限が短いのだが、期限を迎える前の消費祭りは密かな楽しみだったので何も問題はない。ご馳走とはいいがたいが、意外と美味しいのだ。もしもの時の練習という名目で、人里離れた大自然の中で、危険な魔獣等々の対策をしたうえでの野営を行い、その辺で採って来た木の実などと一緒に保存食を楽しむのは、なかなか悪くないのだ。


「これは、フルーツ味か。…………よかった。本当によかった。やっぱり、保存食は必要だよね。ちゃんと用意しておいて、大正解! さすが、にゃんごろー! 一流のおとうふネコーにして、不思議ハンター!」


 フルーツ味のカロリーバーの箱を、もふっと胸に抱きしめて狂喜乱舞していると――――。


 グルルルルルウ! グルキュルルウウウウウン!


 と、お腹の虫が、「いいから早くそれを寄こせ!」と要求してきた。

 ピタリと動きを止めたにゃんごろーは、無言で箱を開け、個包装されたカロリーバーを取り出し、袋を開ける。

 甘い匂いが、ふよんと鼻孔をくすぐった。

 にゃんごろーは、ほよんともふ顔を緩ませる。

 春キノコの甘香ばしい匂いには騙されたが、この甘い匂いは、にゃんごろーを裏切ったりはしないと知っている。

 カロリーバーは二本、入っていた。箱の中には、もう一包残されているので、全部で四本だ。それと、椅子の後ろにまだ、チーズ味とチョコ味があるはずだった。明日の朝の分も残しておかなくてはならないので、満腹には物足りないかもしれないが、二食抜きを嘆き悲しんでいたことを思えば上出来だった。


「しょれでは、いただきまっしゅ! あむーん! むぐっ! んぐっ……ん! んぐううううう!」


 空腹の極みであっても「いただきます」の挨拶は欠かさないおとうふネコーであったが、その後は空腹のままに豪快に食らいつき、案の定、喉に詰まらせた。

 にゃんごろーは、紙の箱も、まだもう一本カロリーバーが入っている包も取り落とし、プルプル震えながら胸をドンドン叩く。


「…………んぐん! はーっ、はーっ、はー…………あ。ふいー。あぶないところだった。そうだった。これは落ち着いて食べないと、喉に詰まるんだった」


 その甲斐あって、喉に詰まっていたものは、ゴクンとお腹の中へ落ちていった。呼吸を整えると、にゃんごろーは反省しつつ、再び椅子の後ろへ身を乗り出してゴソゴソすると、今度は紙パックを取り出した。トマトジュースの紙パックだ。

 さっそくストローを装着し、パクンと口に食わると、魔法で中身を啜り上げる。


「ふいー。トマトは、そのままでも、ジュースにしても、スープにしても美味しいよねぇ。トマトがある世界は素晴らしい世界! にゃんごろー、この世界に生まれてきて、本当によかったぁん♪」


 トマトジュースを一気に半分ほど飲み干すと、にゃんごろーは満足そうな顔で「ぷはあ」と笑った。にゃんごろーは、ささやかな幸せを大事にできるネコーなのだ。

 さて、それでは改めて続きを……と床に落とした箱と包を拾い上げ、にゃんごろーは「ははっ!」とおとうふに閃いた。

 にゃんごろーは、包を箱の中に戻すと膝の上に載せ、飲みかけのトマトジューは片手に持ったまま、卵の船を発進させた。

 床には、カロリーバーの欠片が散らばっていたが、それは後で掃除するつもりだった。ちなみに、にゃんごろーの卵船掃除は、積み込んでいた荷物を全部外に出してから、蓋……ドアを開けた卵船を浮かせて逆さにし、上下左右に振るという雑にして乱暴なものだった。汚れがひどいときは、魔法で水を呼び出して水洗いにすることもある。なかなかに大胆な手法だが、これまでこの方法で卵船が不具合を起こしたことはなかった。


 何はともあれ。


 ふいんと浮き上がった卵船は、常春ドーナツ島の中島へ向かって、キュインと飛んで行った。中島に辿り着くと、卵船はスピードを落とし、湖と面した島の淵に沿うようにして、ふよふよと飛び進む。

 何かを探しているようだ。

 そして、ついに――――。


「あ! よかった! いたぁー!」


 湖岸に、ぽわんと明かりが灯っているのを発見した。

 魔法の灯だ。

 目標物を発見したネコーは、卵の殻の中で歓声を上げると、「いざ!」と卵を急がせる。

 明かりの傍の水場には桜模様のボートが停泊していた。

 魔法釣りネコーのボートだ。

 この間とは、少し違う場所のようだった。きっと、その日の気分で、釣り場を変えているのだろう。

 にゃんごろーは、ボートの傍の岸辺に卵を停め、飲みかけの紙パックと食べかけのカロリーバーの箱を両手に降り立った。

 明かりの傍には、ピンクグレーの毛並みのシュッとしたネコーが座っていた。

 魔法釣りネコーだ。


「やあ! また会ったね。でも、こんな時間にどうしたんだい?」

「ああー! お魚焼いてるぅー! にゃんごろーも、湖で捕まえてくるから、にゃんごろーにも、お魚焼いてぇー!」


 魔法釣りネコーは、笑顔でにゃんごろーを迎え入れてくれた。

 ちょうど、魔法で作った焚き火で、魚を焼こうとしているところのようだった。この魔法で作ったというのは、魔法で火起こしをした焚き火という意味ではない。本物の炎ではなく、魔法の炎なのだ。

 おそらく、うっかり森林火災を起こさないように配慮しているのだろう。

 魔法の炎は、魔法が途切れれば消えてしまう。魔法釣りネコーが、うっかり居眠りをしてしまっても、火が燃え広がる心配なない。魔法釣りネコーの意識が落ちると同時に、魔法の炎も消えてしまうからだ。


「ん? お腹が空いてるの? なんか、両手に持ってるみたいだけど……まあ、いいか。魚なら、明日の朝の分も釣ってあるから、分けてあげるよ。ちょうど、これから焼くところだったんだ」

「はわあああああ! ありがとーお! 明日の朝の分は、にゃんごろーもお手伝いします! あ! 待って! フルーツとチョコとチーズ、どれがいい? トマトジュースは、好き?」

「へ? えっと、チョコ、かな? トマトジュースは、嫌いではないよ?」

「分かった! ちょっと、待ってて! あ! お魚は、にゃんごろーの分も、よろしくお願いします!」

「はいはい。焼けるまで時間がかかるから、慌てなくていいよ」


 にゃんごろーは、両手に持っていた紙パックと紙箱を地面に置くと、卵船へと駆け戻り、パカリと蓋を開けて、頭を突っ込み、椅子の後ろを漁り出す。そうして、お目当ての物を見つけると、卵を閉じて、魔法の焚き火の元へと急いだ。


「おまたせー! はい! チョコ味のカロリーバーだよ! ご馳走じゃないけど、まあまあ美味しい! それと、トマトジュース! お魚が焼けるまで、これ食べて待ってよー!」

「わ。ありがとう。いっつも魚ばかりだから、違うものが食べられるのは、嬉しいよ」

「ほんと? よかった!」


 にゃんごろーは、魔法釣りネコーに紙パックと箱を渡すと、いそいそと焚き火の脇に腰を下ろした。ちょうど、魔法釣りネコーと向かい合う位置だ。もちろん、飲みかけ食べかけの紙パックと箱は回収済みだ。

 にゃんごろーはウキウキと包に残っていたカロリーバーを取り出して齧りついた。

 一時はどうなることかと思ったが、なかなか悪くない晩餐になった。

 カロリーバーをモグモグしながら、魔法釣りネコーの元へ行けば魚を分けてもらえるかもと閃いた自分を褒めたたえていた。

 そして、同時に感謝もしていた。

 魔法釣りネコーが、この間とさして変わらない場所にいてくれたことも幸いだったが、ちょうど夕ごはんの準備をするところだったことも、余分な魚を釣り上げていてくれたことも、とても幸運なことだった。


「結構、美味しいね、これ」

「ね! 悪くないよね! にゃふふ。そういえば、いつも練習で食べてるだけだったんだよね。大ピンチで、保存食を食べる本番は、これが初めてかも!」

「ふうん?」

「今夜は、保存食本番記念日ぃ♪ ちゃーんと日記に書いておかないとね!」

「そうだねぇ」


 魔法釣りネコーは、チョコ味カロリーバーを気に入ってくれてたようだ。

 嬉しくなって、にゃんごろーは饒舌になる。

 今日は保存食記念日だなどと言い出し、ひとりでご満悦だ。

 魔法釣りネコーは、「保存食の練習とは何ぞや?」と首を傾げはしたものの、深く追求することはせず、軽い相槌でサラサラと流していった。

 疑問には思ったが、質問するほどの興味はないのだ。

 こんな時間に、飲みかけ食べかけの物を両手に突然訪れて魚を強請ったことも、意味不明と言えば意味不明なのだが、その辺も、「まあ、いいか」という気分になっていた。きっと、何かあったのだろう……で、雑に解決させたのだ。

 その何かについて、好奇心が働いたりはしないようだ。

 いずれにせよ、話はそこで終わりになった。

 いよいよ空腹に火が付いてしまったにゃんごろーが、先ほどの失敗を踏まえて喉のつまりに考慮しつつも、無言ガツガツモードに突入してしまったからだ。

 もう少し、お喋りを楽しみたい気もしたけれど、魔法釣りネコーは無粋をせず、魚の焼き加減を気にしながら、ひとり静かにカロリーバーを齧る。

 パカンと登場してからずっと、にゃんごろーの腹の虫は鳴りっぱなしだったからだ。


 きゅるるるるん♪ きゅるん♪ きゅるん♪


 少しは腹が満たされてきたからか、可愛い催促を繰り返す虫の声に、パチッと魚の油が爆ぜる音が混じる。


 魔法の炎は、ぱっと見は普通の炎と変わらない。

 魔法の力を持たない者なら、本物の炎だと勘違いすることだろう。

 だが、本物の焚き火と間違えられることは、ないはずだ。

 なぜなら、焚き木がないからだ。

 炎は、地面の上に浮いていた。

 遠目なら本物の焚き火に見えないこともないが、近くで見ると大きな火の玉のようでもあった。

 その炎の中で、魚はプカプカと浮いている。

 炎の水槽の中で、ユラユラと泳いでいるようにも見える。

 串はなかった。

 魚は魔法の力で炎にくべられ、ユラユラ泳ぎながら焼かれているのだ。

 腹の根に混じって、またパチリと油が跳ねる。

 皮目が焦げる、いい匂いが漂ってきた。


 炎の中で泳ぐ生魚は、あともうすぐで、泳ぐ焼き魚になりそうだった。


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