第10話「夏空のむこうに」

夏祭りの花火が終わってから、数日が経った。

 清水屋の前に並んでいた荷車も、大きなトランクも、もうどこにもない。

 あの賑やかだった一座の声も、すっかり消えてしまっていた。


 玄関脇に立ちながら、僕は空を見上げた。

 八月の陽射しはまだ強いはずなのに、どこか色が淡くなっているように見える。

 夏休み明けの教室…瑠璃の席はぽっかりと空いたままだ。

 そこに視線をやるたび、胸の奥にひゅっと風が吹き込むようだった。


 ――あの夜、河原で並んで見た花火の光。

 あの言葉。

 「来年も……この町で舞ってるかな、私」


 彼女の声が、今も耳の奥に残っている。


 数日後、清水屋に一通の封筒が届いた。

 差出人の欄に「風見瑠璃」とあるのを見て、胸が大きく鳴った。


 封を切ると、白い便箋に細やかな文字が並んでいた。


――圭人くんへ。

この夏、ありがとう。

短い時間だったけれど、忘れられない日々になりました。

あの夜、神楽を見ていたときの横顔、きっとずっと覚えてる。

また舞台で会えるように、私は風を追っていくね。

来年の花火、約束だよ。

          風見瑠璃


 便箋の隅に、小さな花の絵が描かれていた。

 夜市で彼女が手にしていた、あの淡い色の花と同じだった。


 指先で紙をなぞる。

 胸の奥に残っていた火が、今度は迷いなく燃えはじめる。


(……もう逃げない。僕も、また舞おう。誰かのために。――君のために)


 夕暮れ。

 町を抜ける坂の上に立ち、息を吸い込む。

 空はまだ夏の色を残しながら、少しずつ秋の匂いを帯びていた。

 西の雲間から吹き抜ける風が、頬を撫でていく。


「……また、会おう。必ず」


 小さな声は風に乗り、どこか遠くへ消えていった。

 けれど、その言葉は確かに自分の胸に残っていた。


 夏の名残を溶かすように、空はゆっくりと暮れていく。

 あの夜の花火の残像と、彼女の笑顔を胸に抱えたまま――

 僕は新しい季節へ、一歩を踏み出した。

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