第13話『ネイビーブルーの花束』
次の講義の日、わたしは心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。千早との約束通り、今日こそは先生の研究室に行くと決めていたからだ。でも、講義が始まっても、教壇に現れたのは高槻先生ではなかった。
「高槻先生は本日、急な学外での会議のため休講とします」
代わりに来た職員の言葉に、教室中が「えー」という残念そうな声に包まれる。わたしは、安堵と落胆が入り混じった複雑な気持ちで、大きくため息をついた。
「なによー、せっかくあんたが決心したっていうのに!」
隣で千早がぷりぷりと怒っている。
講義がなくなり、ぽっかりと空いてしまった時間。わたしと千早は、仕方なく大学のロビーにあるソファに腰を下ろした。
「でも、どうしたんだろう。急な会議なんて…」
「さあねえ」
わたしがぼんやりと窓の外を眺めていると、千早のスマホが軽快な音を立てて震えた。
「ん?…え、高槻先生からLINE!?」
千早の叫び声に、わたしはガバッと身を乗り出す。どうやら二人は、いつの間にか連絡先を交換していたらしい。
「な、なんて!?」
「『倉石だけど、高槻のスマホから連絡してる。ちょっと頼みたいことがあるんだけど、今どこにいる?』だって。倉石先生って、あの心理学の…」
話しているうちに、その倉石先生らしき人物が、大きな紙袋を持ってわたしたちの方へ早足でやってくるのが見えた。
「君が千早さんで、君が白石さんだね?」
「は、はい!」
倉石先生は、にこやかに笑うと、持っていた大きな紙袋をどさりとわたしに手渡した。
「高槻から。頼まれたんだ、『どうしても今日中に渡してくれ』って」
そう言うと、倉石先生は「じゃ、よろしく!」と嵐のように去っていった。
残されたわたしたちは、顔を見合わせる。紙袋の中からは、甘く爽やかな花の香りが漂っていた。
わたしが恐る恐る中を覗き込むと、そこには。
「うそ…」
息を呑むほど美しい、大きな花束が入っていた。
デルフィニウム、リンドウ、紫陽花…。大小さまざまな青い花々が束ねられ、その中心で、ひときわ深いネイビーブルーの花が咲き誇っている。
そして、その花束に添えられていたのは、一枚の小さなメッセージカードだった。
「な、なんで…花束…?」
「いいから、はやく! はやく、手紙を読め!」
千早がわたしの背中をバンバン叩く。
わたしは震える指で、その小さな封筒を開けた。中から出てきたカードには、先生の物だとすぐにわかる、丁寧で美しい文字が並んでいた。
白石さんへ
突然、驚かせてしまったらすまない。
本当は、直接会って伝えたかったんだけど、急な会議で今日、君に会えなくなってしまった。
でも、どうしても伝えておきたいことがある。
君と初めて会ったあの夏の日から、ずっと君のことが頭から離れません。
君が「妹みたいだ」なんて思っていないか、不安にさせてしまったかもしれない。
ごめんなさい。あれは、僕のただの照れ隠しです。
僕は、君のことを「妹」だなんて、一度も思ったことはない。
いつも君のことを見ています。一人の、とても魅力的な女性として。
この気持ちは、教師が生徒に向けるものではなくて、一人の男が、一人の女性に向けるものです。
この花は、僕の今の気持ちです。
信じてもらえないかもしれないけど、これは僕からの、答えです。
もし、君も同じ気持ちでいてくれるなら、次の講義の後、研究室で待っています。
今度こそ、僕の口から、ちゃんと伝えさせてください。
高槻
手紙を読み終えた時、わたしの頬には、涙が伝っていた。
嬉しくて、温かくて、止まらない涙だった。
「…どうだったのよ」
千早が心配そうに覗き込む。
わたしは言葉にならず、ただ、涙で濡れたカードを千早に見せた。すべてを読んだ千早は、「うっそ…」と呟くと、わたしの肩を抱きしめて、自分のことのように泣き始めた。
「よかった…! よかったじゃない…!」
ネイビーブルーの花束を抱きしめる。
花の香りと、先生の想いが、わたしの心を優しく満たしていく。
もう、迷わない。
わたしは、先生の『妹』なんかじゃない。
答えは、とっくに決まっている。
わたしは、涙を拭うと、決意に満ちた顔で千早を見た。
「わたし、行く。次の講義の後、先生の研究室に」
わたしの魔法は、最高の形で、先生に届いていた。
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