第27話:黒い白鳥(ブラックスワン)

「名無しのK」からの提案を、私は独断で受け入れた。

凛火には、「次の配信は、少し趣向を変えるだけ」としか伝えていない。梶原には、「名無しのK」がスポンサーについたことを話し、彼の計画をまるで自分が考えたかのように説明した。梶原は金の匂いを嗅ぎつけ、二つ返事で了承した。


配信当日、廃工場のリングサイドには、これまでとは明らかに違う、異様な空気が漂っていた。

「名無しのK」が用意したのだろう、舞台セットは本物のフェンシングの試合会場(ピスト)を模したもので、照明も、まるでオペラ座のように荘厳で、残酷な光を放っている。


そして、対戦相手としてリングに現れた男の姿を見て、私は息を呑んだ。

男は、VERMILIONの朱里が着ていたものと酷似した、黒い騎士のような衣装を身につけていた。その手にはエペが握られ、顔は黒いフルフェイスのマスクで覆われている。


『――あれは、VERMILIONの…?』

『いや、違う。でも、あの衣装は…』

『まさか、朱里本人!?』


コメント欄が、憶測で揺れる。

違う。あれは朱里じゃない。

「名無しのK」が用意した、朱里を模した、ただの役者だ。

しかし、その演出は、この戦いが、私と朱里の代理戦争であることを、雄弁に物語っていた。


凛火は、私が用意した純白のフェンシングウェアを着て、リングの中央に立っている。

その手には、彼女が昨夜、折ろうとして折れなかった、あの歪んだエペが握らされていた。


「……詩凪」


インカムから、凛火の震える声が聞こえる。

「……これは、なんだ…?」

「大丈夫。台本通りよ」


私は、嘘をついた。

今日の配信に、台本はない。あるのは、「名無しのK」が作り上げた、悪意に満ちた筋書きだけだ。


ゴングが鳴る。

黒い騎士が、静かにエペを構えた。その動きは、素人のそれではない。

凛火の身体が、硬直する。


『クエスト承認:白き騎士の仮面を破壊せよ』


視聴者の欲望が、最初の引き金を引いた。

黒い騎士が、稲妻のような速さで踏み込み、その剣先が凛火の白いマスクを弾き飛ばす。

床に落ちたマスクが、乾いた音を立てた。

凛火の素顔が、絶望が、全世界に晒される。


『クエスト承認:あの日の再現を』


コメント欄の熱狂に呼応するように、黒い騎士が再び踏み込む。

凛火は、動けない。

身体が、過去の記憶に縛り付けられている。


黒い騎士のエペの先端が、凛火の右腕――あの古い傷跡がある、まさにその場所を、正確に捉えた。


「―――ッ!!」


悲鳴にならない悲鳴が、凛火の口から漏れる。

それは、肉体的な痛みではない。魂が、再び殺される痛みだ。


コメント欄が、歓喜の言葉で爆発する。

私は、ガラス張りのブースの中で、その光景をただ見つめていた。

私の脚本にはなかった、あまりに完璧で、残酷な悲劇。

私は、嫉妬していた。

この美しい地獄を演出した、「名無しのK」という、もう一人の神に。

そして、理解した。

私はもう、一人ではないのだと。

私たちの芸術は、信者の手によって、無限に増殖していくのだと。

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