第24話:演じる痛み
配信が始まる直前の廃工場は、異様な静寂と緊張感に満ちていた。
今日のステージは、これまでとは違う。ただの殴り合いの見世物じゃない。私が脚本を書き、演出する、完璧な悲劇の舞台だ。
「――これは、一人の天才が、その翼を折られ、光を奪われた物語」
ガラス張りのブースの中から、私はマイクに囁くように語りかける。配信の冒頭、スポットライトに照らされたリングには、まだ誰もいない。私の声だけが、荘厳なBGMと共に響き渡る。
「その名は、篠森凛火。かつて、銀盤の女王となるはずだった、孤高の剣士…」
私が紡ぐ、偽りの物語。
コメント欄は「なんだこれ…」「映画みたい…」と、戸惑いと期待が入り混じった言葉で埋まっていく。
ナレーションが終わると同時に、リングに凛火が姿を現した。
今日の彼女は、いつもの戦闘着ではない。私が用意した、純白のフェンシングウェアを模した衣装。その胸元には、深紅の薔薇のコサージュが飾られている。まるで、心臓から血が流れ出しているかのように。
対戦相手も、今日の台本に合わせて「嫉妬深いライバル」という役柄を演じるために雇われた役者だ。
ゴングが鳴る。
戦いが始まっても、凛火の動きは鈍い。詩凪の指示通り、わざと相手の攻撃を受け、苦悶の表情を浮かべる。
『――そう、凛火。もっと苦しんで。あなたの絶望が、物語を美しくする』
インカムから送られてくる私の声は、もはや演出家のそれだった。
凛火は、私の言葉通りに傷つき、倒れる。そのたびに、コメント欄は熱狂し、投げ銭が乱舞する。
『凛火様…!』
『なんて悲しい物語なんだ…』
『守ってあげたい…』
視聴者は、完全に私たちの作った悲劇に没入していた。
しかし、リングの上で演じられる痛みは、凛火が本当に感じている心の痛みとは、比べ物にならなかった。
過去を捏造され、偽りの悲劇を演じさせられる屈辱。信じていた詩凪に、魂を弄ばれる絶望。
『いいよ、凛火。すごくいい。苦しむあなたは、本当に美しい』
私の声は、もはや彼女を励ますものではなかった。
美しい芸術品を愛でるような、冷たく、官能的な響きを持っていた。
クライマックス。
台本通り、凛火は膝をつき、相手に見下ろされる。
『――ここで、私の歌が入る。それに合わせて、立ち上がって。そして、あの台詞を』
私が、この日のために用意した新曲を歌い始める。
凛火の悲劇を、その贖罪をテーマにした、壮大なバラード。
凛火は、歌に合わせてゆっくりと立ち上がり、震える声で、最後の台詞を口にした。
「……私は、負けない。私の剣は、あの子の歌を守るためにあるのだから…」
その瞬間、配信の熱狂は最高潮に達した。
しかし、凛火の瞳からは、光が完全に消えていた。
彼女は、完璧な「悲劇のヒロイン」を演じきった。
その代償として、自分自身の心を、殺したのだ。
配信後、放心状態の凛火に、私は駆け寄った。
「すごかったよ、凛火…! 完璧だった! これで、朱里にも…!」
私の興奮した言葉は、凛火の冷たい一言によって遮られた。
「……満足か、詩凪」
その声には、何の感情もこもっていなかった。
ただ、底なしの虚無だけが、広がっていた。
私は、その時初めて、自分が取り返しのつかないことをしたのかもしれないと、漠然とした恐怖を感じた。
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