龍勇譚
@chado
第1話 ―旅人、町に立つ―
【第一節】 導かれるままに
蒼穹を仰ぐ正午、日差しが降り注ぐ石畳の道を、ひとりの青年が歩いていた。
名は龍雅(りゅうが)。
無造作に流した茶色のショートヘア、引き締まった体つきに黒の道着と黄色の帯を身にまとい、
背筋を伸ばして歩くその姿には、どこか只者ではない雰囲気が漂っていた。
二十代前半ほどの若さで、日焼けした健康的な肌と、明るい目元。ひと目で、快活で豪胆な性格がにじみ出ている。
その顔が、ほんの一瞬だけ険しくなった。
(……この気配。近いな)
胸の奥をくすぐるような違和感。それは、彼にしか感じ取れない“異”の気配だった。
しかし、それも束の間。龍雅はぽん、と腹を叩く。
「ま、その前に腹ごしらえだな。宿、宿っと……」
気配のことはひとまず置いておき、龍雅は食と休息を求めて歩き出す。
活気のある商人たちの声、行き交う人々のざわめき――そこは、栄町(さかえちょう)と呼ばれる街だった。
そのとき。
「きゃっ!」
どしん、と何かがぶつかる衝撃。
「うおっと!」
龍雅の胸元に、小柄な人影がぶつかってきた。
よろけたその人物を慌てて支えると、買い物袋から勢いよく飛び出した食材たちが宙を舞った。
「おおっと! まてまて……こらっ!」
龍雅は素早く身をひねり、飛んでいく大根、ネギ、りんごにパンまで、次々と両手でキャッチしていく。
その様子は、まるで大道芸のようだった。
「す、すみません……!」
目をぱちくりとさせながら、謝る声。
見上げてきたのは、一人の若い女性だった。
二十歳前後だろうか。黒髪の長めの髪をきちんと整え、前髪が額に落ち着きよくかかっている。
気品ある和風の町娘姿をまとい、どこか育ちの良さを感じさせる、すらりとした体つきと、しっかりとした瞳。
「いえいえ、こちらこそ……っと、はい、食材返却〜」
龍雅は笑顔で手に持った食材を袋に戻していく。
「助かりました。私、葉月(はづき)と申します。町長の娘で……今日は買い出しに」
「俺は龍雅。ちょっとこの町に立ち寄った旅人さ」
お互いに軽く会釈を交わし、龍雅は手を振ってその場を後にした。
――が、その様子を陰から見ていた数人の男たちがいた。
「おいおい、今の女、町長の娘だぜ」
「旅人風情が、えらく馴れ馴れしかったな?」
にやにやと笑いながら、龍雅の行く手をふさぐように立ちはだかる。
「よう旅の兄ちゃん、ちょっと付き合ってもらおうか」
「んー? なんかご用ですかね?」
「でかいツラして歩いてるから、ちょいと鼻を折ってやろうって話さ」
そう言って殴りかかろうとした瞬間――
ごすっ! ばきっ! ぼふっ!
「ぬわぁっ!?」「がっ!?」「ひでぶっ!」
一瞬で三人が宙を舞い、地面に転がった。
龍雅はすでに拳を構え直し、まるで準備体操でもするかのように首を回す。
「ちょっと腹減ってるんで、時間かけたくないんだよね」
あまりの手際の良さに、周囲の人々もぽかんとしていた。
気づけば騒ぎに注目が集まり、衛兵が駆けつけようとする声も聞こえてくる。
「っと、ヤベ。さすがに目立ちすぎたか」
龍雅は笑いながら、そそくさとその場を離れていく。
少しして、彼は一軒の宿の前にたどり着いた。
木の温もりを感じさせる、小ぢんまりとした造り。
入り口には『こもれび庵』の看板が風に揺れていた。
「おっ、ここ、落ち着いてそうでいいじゃん」
そう呟くと、龍雅は暖簾をくぐって宿の中へと入っていった。
【第二節】 その男、大食漢につき
『こもれび庵』の受付で部屋の手続きを済ませた龍雅は、案内された部屋に荷物を置くと、その足で食堂へ向かった。
「ふぅ〜……ようやく飯にありつける!」
食堂に足を踏み入れるなり、龍雅は目を輝かせて掲げられた木札のメニューを眺める。
煮魚定食、焼き魚の味噌漬け、鯛の炊き込みご飯、干物の盛り合わせ、刺身盛り、魚介汁……
ずらりと並ぶ魚料理に、思わず喉が鳴る。
「よし、ここは――全部!」
注文を取りにきた若い店員が目を丸くする。
「ぜ、全部……ですか?」
「うん! 全部一通り、それとご飯は大盛りで。あと、おかわりもお願いね!」
「……し、承知しました……」
厨房がざわめく中、次々と料理が運ばれてくる。
「うおおおおおおっ! いただきまーーすっ!!」
両手を高々と上げ、龍雅は満面の笑顔で箸を手に取った。
まずは、鯛の炊き込みご飯。
ふっくらと炊きあがった米の中に、ほろほろと崩れる白身がぎっしり。
一口かき込んだ龍雅は、感極まったように目を閉じる。
「ん〜〜っ!! 染みるぅぅぅぅ……っ!」
続いて焼き魚を豪快にほぐし、白飯とともに口へ放り込む。
「魚! 米! 魚! 米! 最高っ!!」
次第に、周囲の客たちがちらちらと様子をうかがい始める。
「ちょ……あの人まだ食べてるわよ」
「なにあの量……人間? 鯨?」
ざわめきにも構わず、龍雅は次々と料理を平らげていく。
刺身を豪快にわさび醤油にくぐらせて一口でいき、魚介汁を啜りながらご飯を三杯おかわり。
干物も骨だけきれいに残し、最後に煮魚のあら汁まで飲み干した。
「……ふーーーっ! うまかったぁ……!」
満足げに腹をさすりながら、龍雅は手を合わせて大きく言った。
「ごちそうさまでしたっ!!」
店員が目を丸くしながらぺこりと頭を下げる。
「お、お粗末さまでした……」
食堂の空気に一拍の沈黙が流れた後、ぽつぽつと拍手が起こった。
「また来るねっ!」
豪快に手を振り、龍雅はのっしのっしと部屋へ戻っていった。
【第三節】 闘気、蒼白く燃ゆ
夕暮れ時、こもれび庵の部屋の窓から外を眺めていた龍雅は、空に赤みが差してきたのを見て、静かに呟いた。
「……そろそろだな」
腰を上げ、襟元を整えると、宿の扉を開けて街へと向かう。
同じ頃、栄町の中央広場。
夕陽に照らされた石畳に、突如として空間のひび割れが走る。
バキィン……という異音と共に空が裂け、黒い霧のような瘴気が滲み出した。
裂け目から這い出てきたのは、三本足の異形――硬質な甲殻に覆われた巨大な蜘蛛のような魔物だった。
眼は赤く鈍く光り、ねっとりとした唾液を滴らせながら、ギィ……ギィ……と軋むような音を立てる。
背中の棘状の突起が、禍々しく脈打ち、今にも爆ぜそうな脅威を放っていた。
一目見た瞬間、人々の悲鳴が響く。
「う、うわあああっ!」
「逃げろーっ!!」
商人が荷車をひっくり返し、荷物をばらまいたまま走り去る。
子供を抱えた母親が足をもつれさせながら路地裏へと逃げ、兵士たちが動揺しながらも人々を避難させようと走る。
混乱と恐慌が町を覆い尽くしていた。
そんな中、地面に尻餅をつき、立ち上がれずにいたのが――葉月だった。
「う……うごけない……っ……」
震える脚。立ち上がろうとするが、恐怖が全身を縛りつける。
眼前に、魔物の鋭い爪が振り下ろされようとしていた。
その瞬間――
「――間に合った!」
風を裂く音と共に、龍雅の声が響いた。
次の瞬間、葉月の身体は宙に舞い、しっかりとした腕に抱き上げられていた。
「……龍雅さん!?」
「よぉ、また会ったな」
龍雅は葉月を抱えたまま屋根の上へと跳び退き、安置な場所に下ろす。
にっと笑いながら、彼女の頭に手を置いた。
「ここは危ない。逃げろ」
「……っ、はい……! でも、龍雅さんは……!」
「俺は……やることがあるんだよ」
広場へと跳び戻る龍雅。その背に、葉月は祈るような目を向けていた。
「さあて……」
構えをとり、目を細める。
その瞬間、全身に蒼白い光が走り、闘気が噴き出す。
空気が震え、地面がうなりを上げる。
魔物が咆哮し、前足を振り下ろす。
その爪が迫るが、龍雅はひと息で踏み込み、拳を叩き込んだ。
「はあっ!」
魔物の腹に拳が沈み、甲殻を砕く音と共に巨体がのけぞる。
間髪入れず、肘、蹴り、さらなる拳の連撃。
鋭い爪での反撃も、紙一重でいなし、力強いカウンターを叩き込む。
「――終わりだッ!」
拳に蒼白の闘気を凝縮し、全身をひねり込む。
「ドラゴンインパクトッ!!」
圧縮された蒼白い闘気が魔物を撃ち抜いた。
爆風が広場を包み、吹き飛ぶ黒い塊と瘴気。
やがて風がそれらを拭い去り、静寂が戻る。
闘気の残滓が風に溶けていく中、龍雅はひとつ息を吐いた。
「ふぅ……」
呆然とした人々の中、駆け寄ってきたのは――葉月だった。
「龍雅さんっ……! 無事で、よかった……!」
「おお、葉月。無事だったか」
「……助けてくださって、ありがとうございました。
あの、もしよければ……明日、私の家にいらしてください。お礼を、ちゃんとしたくて……」
「お礼なんていいのに。でも……じゃあ、寄らせてもらうか」
「はい……今日は、きっとお疲れでしょうから……」
深く頭を下げる葉月の背に、夕暮れの光が差し込んでいた。
「さて……宿に戻って、風呂入って晩飯でも食うか……」
龍雅の歩みは、赤く染まった町の通りへと消えていった。
【第四節】 別れと旅立ち
朝陽が町の屋根を黄金色に染める頃――
『こもれび庵』の食堂では、龍雅が一人、朝食と真剣に向き合っていた。
「これと、これと……それも追加で」
焼き魚に味噌汁、卵焼き、漬物、ご飯。
すでに三杯目となるご飯を口に運び、龍雅は嬉々として箸を走らせる。
「うおおぉ……やっぱ朝はこれだよなァ……!」
満面の笑みで頬をほころばせながら、口いっぱいに米をかき込む。
店員が厨房から顔を出し、呆れたように笑った。
「……よく食うなぁ、あの人」
そのとき、宿の扉が開き、一人の男が姿を見せた。
「お、お客様……!」
店員が小声で伝えると、男は丁寧に頭を下げ、龍雅に声をかける。
「龍雅殿ですね? 町長様より、ぜひお礼を申し上げたいとのことで……お迎えに上がりました」
「え、わざわざ迎えに? 別に迎えなんていいのに……」
箸を持ったまま、龍雅は苦笑する。
「すぐ行きます、って言いたいとこだけど……ちょっと待ってくれ、あと三杯はいける」
男は一瞬呆れたような顔を見せるが、すぐに笑みを浮かべて一礼した。
──そして数十分後。
龍雅は満腹の腹をさすりながら、男と共に町長宅へ向かっていた。
◆ ◆ ◆
門構えの立派な屋敷の応接間。
そこには、黒髭を湛えた恰幅の良い男が待っていた。
「おぉ……君が龍雅くんか。娘から話は聞いておる」
「この町と、娘を救ってくれて……礼を言わせてもらう。ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
龍雅が頭を下げると、町長は分厚い封筒を差し出す。
「些少ではあるが……これは礼だ。受け取ってくれ」
「いやいや、こんなには……!」
「まぁまぁ、いいではないか。君のような若者が、気持ちよく旅を続けられるようにという、ささやかな気持ちだよ」
「……それじゃ、ありがたくいただきます!」
屋敷を後にしようとしたとき――
「龍雅さんっ!」
息を切らしながら、葉月が駆けてきた。
「おお、葉月」
「……どこへ行くんですか?」
龍雅は、少し遠くを指さした。
「あっちの方から、また妙な気配がしてるんだ。だから、あっちの方へ、かな」
葉月はその指先を見つめ、寂しげな顔を浮かべる。
だが、すぐに微笑んでうなずいた。
「……気をつけてくださいね」
「もちろん。またどっかで会えるさ」
龍雅は背を向け、片手を振って歩き出す。
「またな」
その背が小さくなっていくのを、葉月は静かに見つめていた。
「……行っちゃった……」
ぽつりと呟くと、そっと前髪を押さえた。
「……また、会えるといいな」
彼女の声は朝の風に溶け、空の彼方へと流れていった。
こうして、龍雅の旅は再び始まった。
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