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    「死にたい」 と積極的に思ったことはないけれども、「死ぬなら死んでもいいかな」とは常に思ってきました。尊厳死とか安楽死とかは可能ならぜひ行いたい派です。

    自殺だけはしないと意地を張ったのは 自分にいろんなことをしてきた連中に対して、死んで逃げてやるもんかという気持ちだけが最後の欠片みたいな 10代のころはそうでした。

    その気持ちが根底にありつつも、でもそれ以外なら? と考えると いつ死んでもいいかな というつもりで生きてきたのは確かなのです。なので 強い縁は紡がず、けれど恩を受けたらできるだけ早く返す。未練を残さないよう興味をもったら気のすむまでそのことをを(財産的にも時間的にも)ほどほどに追及する。完結してない物はあまり受け入れず、完結したものは多少負担でも一気に取り込む。
    そんな生活をしてきました。なので今は身が軽いのですが貧乏生活です。(人から見れば捨ててもよさそうに見えるものなら山ほど持ってますが)

    なので、生きることに未練はないのです。正直な話、チューブにつながれてだとか、寝たきりで反応もなくただ在るだけとか、自分のこともわからず人の世話にならねば過ごせないとか、(あくまで自分にとっては)そんな無様を晒すくらいなら、まだ自殺を選びたいと思うくらいなのです。

    占いや人を見る、ような皆様にはだいたい破滅願望ありますねと分析されます。
    SFとかで、一瞬で分解され原子の塵になりました…とかすごいあこがれるのです。日本以外に生まれていたら、いつかのために確実に銃を入手していたと思います。

    死に対して恐怖は感じないです。何もなくなるのラッキーくらいな感覚、毎日飲食せずにすむ、ああこれで無駄を減らせるみたいな。むしろ恐怖を感じるのはこのままいつまで己を生かし続けないといけないのかの方。生活環境が変わる(その結果これまで回っていたものが回らなくなるかもしれない)ことにこそすさまじく恐れを抱きます。その気持ちをもう手放せるんだ、という自由におそらく歓喜しながら命を手放すと思います。
    だから死後のもろもろはありそうとは自分では思っていても、きっちり自分は消滅してほしいなとは思うのです、そっからまだ続くのかと思うとうんざりするどころではないだろうから…

    ながながと自分語りばかりですみません。こちらを拝読してそんなことを思い出した次第です。

    作者からの返信

    たろささん
    コメントありがとうございます。

    今『安楽死を遂げた日本人』(宮下洋一)を読んでいます。
    色々考えさせられます。
    わたしは、チューブに繋がれていることを「生きている」とは思えません。
    認知症が進んで、自分が自分でなくなっていく。
    それは、「わたし」が「生きている」のでしょうか?
    わたしはそうは思えないのです。

    これほど医療が進まなかったのなら、もう死を迎えている状況でも、
    何らかの技術で「生かされて」しまう。
    それはわたしの望むところではありません。

    痛みもつらいし、日常生活がゆっくり出来なくなっていくこともつらいです。
    改善の余地もなく、ただ死に向かう。
    わたしはそこに、尊厳死という選択肢があってもいいと思うのです。
    変な話、人知れず死んで腐って迷惑をかけるのなら、
    自分で死ぬときを決めた方が、いろいろ迷惑をかけないで済むように思うます。

    わたしは自分が死に直面したとき、「生きたい」と思うのでしょうか。
    安心するような気がしてしまいます。
    頑張って、ここまで来たから、もう許されたのよね、とか思いそう。

    飲めば痛みもなく死ねる薬があれば、手元においておきたいです。
    そして、自分でそれを飲みたい。

    SFとかパニックものの映画を観るたびに、
    わたしは真っ先につぶれて死ぬ、とか思います。
    ああいう中で、必死になって生きようとは思わないと思います。
    わたしはただのモブだから、あの辺で最初に死んでいる、と言いながら観ています(笑)。

    どうしてこんなに生に執着心がないんだろう?
    実のところ、ほんとうはずっと死にたいのだと思います。
    何しろ、大変しんどいので。
    でも、笑っちゃうのは、たいていのひとには「悩みがなくていいね」とか
    「お気楽に生きているね」と、ほんとうにそう思われているのです。
    「いい暮らししているよね」とかも言われたことがあります。
    謎です。

    わたしはもういろいろ考えたりせずに、静かに泥の中に横たわって
    無になりたいのです。

    でも、いろんなしがらみがそうさせないだけで。
    で、どうせ生きていかなくちゃいけないのなら、楽しく生きよう!
    と思っているだけなんです。

    だけどきっと、死を宣告されても、死ぬことよりも
    治療費とか痛みとかの方が心配です。

    ほんとうにずっと、人は生きていたいと思うのが当たり前なんだって、知らなかったのです。

  • 過去に2回死にかけた事があります。
    1回目は火事に巻き込まれ
    2回目は信号無視の大型トラックに轢かれそうになりました。

    この経験で思うのは、人は儚いな、一瞬で消えてしまうものなんだと思いました。

    人は、必ず死ぬ、だからこそ"生"が輝くと私は思います。

    ちなみに火事で死にかけた時、

    最初に後悔したのは
    『節約してたけど、今死んだら意味ないじゃん!』です

    なので私はたまにハーゲンダッツのアイスを食べて、贅沢するようにしています笑






    作者からの返信

    タルトタタンさん
    コメントありがとうございます!!
    お返事遅くなってすみません!
    火事!
    トラック!!
    なんて怖いのでしょう(;゚Д゚)

    人は、必ず死ぬ、だからこそ「生」が輝く
    その通りですね。
    だから今を生きよう。生きているだけで自分を褒めようと思います。

    わたしは節約とか倹約が得意ではありません。
    おいしいものが大好きです!!

  • 「どうしてこの教科は4なの?」厳しいな……

    いつも死にたいと思うわけじゃないけど、喘息の発作が出た時とかに、楽になりたいと思うことはあるかな。
    何で日本は安楽死を認めてくれないのか(´ー`)

    作者からの返信

    碧絃さん
    ナチュラルに5が当たり前だったんですよ~
    怖いですよね。
    4とったら「ああ、悪かった」と思いました。

    喘息の発作!! 大変そうです(涙)。
    わたしは蕁麻疹が身体中に出ると、大変つらいです、が、
    喘息の方が大変です。

    安楽死あるといいのになあ。

  • 死にたいと思っている人っていると思います。
    私だって思います、たまにですが…
    なにもかもなくしてしまいたい時はありますね。
    でも、奥さんや娘ともっといっしょにいたいし、
    おいしい食事もお酒も好きだし。
    意外と人生、なんとかなってしまっているので…
    なんとかなってしまうのもどうかと思いますが…
    なんともならなかったら、きっともっと努力とかするのかな…
    などと思うのです。

    「頭がおかしい。信じられない」とはまったく思いません。
    そう返すほうが、僕にはわからないです。
    みんないろいろな思想で生きているのですからね。
    そうゆう考えがあってもいいと思います。

    「死を可能性として常に持っていると、逆にしぶとく生きられるのかも」
    いいですね、なんかすごくいいです。
    死を前提として持っていると楽かもしれませんね。

    私は今、あるアイドルが言った
    「死ぬこと以外はかすり傷」が気に入ってます。
    めんどくさいし、疲れるけれど、かすり傷ならまあいいかな…
    などと…あきらめているというか、なんというか…

    すいません、変なこコメント、失礼します。

    作者からの返信

    @J2130さん
    コメントありがとうございます!
    全然変じゃありません。とても嬉しいです。

    「死ぬこと以外かすり傷」っていいですね。
    かっこいいです。
    わたしもそんなふうに生きたいな。

    生きていると、大変なことがあります。
    ままならない。
    努力だけではどうしようもないことがたくさんある。

    わたしは、その置かれた環境の中で、よりよくより楽しく生きたいって思っています。
    いろいろ思うこともあるけれど、文句ばかり言っていても仕方がない。
    どうせなら、楽しもうと。
    だいたいのことは、たいしたことがないのだ! と。

    ただねえ。
    ときどき、疲れちゃうのです。
    ほんとうに一人になりたい。
    最近は、子育てに疲れ過ぎて、たぶん、山を超えたからよけいに
    もういいよね? とか思ってしまんじゃないかなあ。

    子どもたちのことは世界で一番大切です。
    彼ら以上に大切なものは存在しません。

    だけど、もう充分頑張ったから、ちょっと一人になりたいなって思う。
    自分のことだけ考えて生きてみたい。
    要するに、お世話とか家事に、一番疲れたのです。

    死は、生の対極にあるのではなくて、常にそこにあるもののように思います。
    でもだから、生きていけるんじゃないかなって思っています。


    わたしはもっと自由に思考を飛ばして、遠くまでいきたいなあ。


  • ずいぶん昔、「小学生の頃からずっと死にたい」と言っている人と話したことがありまして。
    その人に「死にたいってどんな感じ?」と尋ねたら「ダイエット中に強烈にからあげを食べたい衝動に襲われてる感じに似てる」と言われました。
    拷問かな、と思った覚えがあります。
    安楽死をするって、もしかしたら恋い焦がれたからあげにかぶりつく幸せな瞬間と似ているのかも。

    作者からの返信

    いぬのいびきさん
    コメントありがとうございます!
    わたしの場合は、消えたいに似ているかな。
    どこまでも暗いところに落ちていく感じで、それでも頑張って生きているわけだけど
    ときどき、ガス欠起こしちゃうんだよね。
    今でも生まれてこなきゃよかったなあって思うことがあります。
    生まれる前に戻りたい。

    昔はちょっと違ったけど、今は「もう充分だよね?」と思うのです。

    安楽死はね、今は「治らない病」でないと出来ないことを知っているので
    いつか不治の病にかかったときはそうしたいなって思うんです。
    延命治療も対処療法もなく、潔く去りたい。
    でも、痛いのは嫌だなあ、とか、「わたし」の意識を保てなくなるのも嫌だなあと。

    もしも、条件なしの安楽死があったら、それはからあげみたいな誘惑として、
    ずっとそこにあるような気がします。


  • 編集済

    コメント失礼します。
    親は悪人ではないけど、緩やかなダメージを与えてくる感じ、分かります。いっそのこと、分かりやすい悪人だったら、全力で抵抗できたかもしれないけど、普通の親なのでそのまま受け入れてしまう。そして、毒を植え付けられる。その感じが自分の経験と少し似ていると思いました。
    西しまこ様は、頑張ったら大概のことができてしまう能力があるので、普通の人の倍以上何か活動されているんだろうな、と思いました。それがオール5が普通に取れてしまうところにも表れてますね。でも、あまり頑張りすぎは禁物だと思います。たまには休まれて下さいね。
    いつも一方的に拝見させていただいているだけだったのですが、すごく私にとってタイムリーな話だったのでコメントさせていただきました。長文失礼しました。

    作者からの返信

    海乃マリーさん
    コメントありがとうございます! 嬉しいです。
    そうなんです。
    分かりやすい悪人ではないのです。むしろ「いい親」って思われていると思います。
    でも、わたしの気持ちを理解しようとしてくれたことは、結局人生の中で一度もない気がします。
    世代なのかもしれないけれど、わたしはずっとそういうことに傷ついてきたのだと思います。
    致死量でない毒をずっと吸い続けてきた感じ。

    「出来ない」がね、言えないのです、なかなか。
    頑張ると出来てしまうことが多いので、自分が頑張ればいいと思って生きてきました。
    だけど、そうすると、何かも自分にくるんですよね。
    PTAの役員をひきうけてしまっているところにも表れています。
    もしかして、わたし、すごく忙しいのに。
    (なんで、夕方から延々とLINEしている暇がみなさんにはあるのだろう?)

    大人になったので「出来ない」を言うことを覚えましたが、
    それでも「出来ない」というタイミングがぎりぎり超えてからになります。
    ずっと「我慢が足りない」と言われ続けたので、刷り込みはなかなか抜けません。

    あ!
    だから、子育てが大変だったとき「わたしはもうしんどい。誰もたすけてくれない」と夫に言ったのに、言葉では「たいへんだね」と言ってくれたけど、実際の行動(学校と対応するとかそういうこと)は結局やってくれなかったので、恨んでいるんだと思います。
    (内省中)
    あれは極限を超えていて、もうだめだって思って、夫にたすけて欲しかったんですよね。
    でも慰めるだけで、結局行動したのはわたしなんです。
    何しろ、子どものことだから、折れてしまうわけにはいかないから。

    そういうこともしこりになっているなあ、と思い返しました。
    は!
    全然関係ないこと、書いてしまいました。
    ごめんなさい~

  • いつもしまこさんのお話には感銘を受けます。

    「安楽死」という言葉の意味を知ったのは随分大人になってからだったのですが、私にもそれ、お願いしたい、と思ったことが有ります。
     生きている間だって色々痛いのとか辛いのとかしんどいのとか我慢してきたんだから、死ぬときくらい楽したいって思います。
     生きている楽しみがまだあるうちは生きていたいけれど(推しがいるとかね)、それもなくなって生きていることが苦痛しか無くなかったら、安楽に、終わりたいなーと思いますね。

     死について、誰でも考え込む時期ってありますよね?

    作者からの返信

    ちわみろくさん
    安楽死貯金をしようと思います。
    延命措置は希望していないし、もう充分生きたかなとも思うので。

    安楽死というより、尊厳死だと思います。
    どのように死ぬか、も、認めて欲しい。

    死については、わたしはしょっちゅう考えます。
    それはどのようなものだろう?
    もう頑張ったから、そっちにいっていいよね? とか。

    現実問題、もう数年は生きていた方がいいから、
    病気も困るけどね。

  • Σ(๑°ㅁ°๑)!?

    普通の人は死にたいって思わないの!?
    思わないまま一生を終えられるのっ?

    えええええ!?(衝撃)

    作者からの返信

    とうりちゃん
    20代のころ、複数人に「死にたいなんて、ふつうは思わない」とか
    「毎日楽しく過ごしていけばいい。死にたいなんて思ったことない」とか言われ、もう人に話すのはやめました。

    今でもそうなのかなあ?
    でもいると思う。

  • そだね。
    この人の親は普通な方なんだと思います。
    けれど、子供にもいろんなタイプの子供がいるから、きっと繊細な部分を親は理解しきれなかったのかもしれませんね。

    その穴は埋めるのってできるのかな?私も知りたいです。
    今、すごい不幸でも無いのに、、、。
    足りない何かをさがしてます。

    作者からの返信

    菜の花のおしたしさん
    あ、これ、エッセイなのですよ~

    親に理解は求めていません。
    理解しようとする気持ちもないしね。
    でもそんなもんかな、とも思っている。
    わたしの生きづらさは育った家にあるけど、すごく悪いわけでもないんだよ。
    贅沢なんだよね。

    穴はねえ、昔は恋愛していれば忘れられました。
    いまは思い出すかな。

  • 死にたい、という気持ちを否定しなくていいのだと思います。
    死にたい気持ちを抱きながら、今は生きてる選択をしている自分をたくさん褒めてあげて下さい。

    作者からの返信

    🌸春渡夏歩🐾さん
    コメントありがとうございます!
    そうなんです。
    死にたい、という気持ちを否定すると、身動きとれなくなるのです。
    いいのです、死にたいと思っても。

    そうして、生きているだけで素晴らしいのです!
    偉い!!

  • 生きたいのか死にたいのか、どちらかで言えばまだ生きたいなぁ。「もう」が来るまでそんな感じで曖昧に生きてく、それくらいが好き( ;∀;)

    作者からの返信

    福山典雅さん
    わたしの場合、生きているなら楽しもう! ってところです。
    でも積極的に生きたいかというと、なんか違って。

    生と死は、対極になくて、どちらもいっしょにそこにある気がします。

  • 例えば、勉強しろ、って言われるとやりたくないし、やらされた感がありますね。
    サボる選択肢があると、自己選択で勉強した気持ちになれて、少し気持ちいいのかな、と。(勉強しない場合もありますが!)

    一方で、生きろって言われると、それも絶対だっ、て言われると反抗したくなります。
    けれど、死を可能性として常に持っていると、逆にしぶとく生きられるのかも、とか考えました。
    消えたい、って思いを閉ざし続けるより、しまこさんのように、向き合う方が素敵だな、と思いました⭐️
    僕もよく、そんなことを想像します。

    作者からの返信

    浅里紘太さん
    息子たちは「勉強しろ」って言わなくても勉強しません(笑)。

    そう。
    そして「死を可能性として常に持っていると、逆にしぶとく生きられるのかも」が、わたしの今なのかもしれないです。
    いつだって、死が身近にある気がします。
    でもそれは、それでいいのです。
    死は、生の対極にあるのではない気がするから。
    むしろ、死とともに生きている気がするのです。

  • 死にたくはないなあ、もうちょっとぐらい娘の人生を眺めていたいし。生きていれば自分のどうしようもない好奇心を少しでも満たせるかもしれないから。積読してある本を読みたいし、DVDや YouTubeも見たいのがまだまだたくさんある。ついでにこの世界にもう少し、足跡と言わないまでも爪痕ぐらいは残してやりたい気がします。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん
    いつかねえ、土岐三郎さんにお会いしたいです。
    息子たちといっしょに!
    そして、無駄知識を語ってもらいたい!!!!!!
    そんな願望はあったりします(笑)。

    ときどきね、ほんとうに疲れてしまって、もういいかなあって思うんです。
    でもって、生きているのだから楽しもう!
    と思っているだけで、実際のところ「死にたくない」とは全く思わないまま今に至ります。