ぼくは中学２年生まで小説も読んだことがなかったし、ましてやラノベなんてものが世の中にある事も知らなかった。

　ぼくの世界にあったのはネット番組と野球だけ。

　それがぼくの世界を支配していた。

　ラノベと出会うきっかけは宮崎いすずだった。

　中学２年生になって、初めていすずと同じクラスになった。

　それまで彼女とは喋ったこともなかった。

　噂では聞いていた。すごく可愛い女の子がいるって。

　だけど噂だけで姿をお目にかかることはなかった。

　６つの小学校が集まるマンモス中学校で、顔も知らない同級生が結構いた。

　初めて宮崎いすずを見た時、マジ天使、マジ神、こりゃあエラいもんと出会ってしまった、こんな可愛い女の子が世の中にはいるのかよ、と思ったものだ。

　その当時の彼女は墨汁のような真っ黒な髪をしていて、処女雪のように触ったら溶けてしまいそうな白い肌に無垢な瞳をしていた。

　誰も触れてはいけないモノのように神秘的だった。

　中学2年生のぼくは、彼女の性格も知らないから勝手にいすずの事を好きに妄想して好みの女性にしていた。

　今なら考えられないけど出会った当初は授業中も、休み時間も、ずっと彼女を目で追っていた。

　彼女と出会った全ての男子が宮崎いすずのことを好きになった。

　ぼくも彼等と同じように宮崎いすずが好きだった。

　そんなモテモテ女子の宮崎いすずが、休み時間に本を読んでいた。

　心臓を暴走族のバイクのように鳴らしながら、ぼくは彼女に近づいて行った。

「何を読んでいるの？」

　とぼくは思い切って尋ねた。

　彼女は聞き慣れない本のタイトルを言った。

「なにそれ？」

「ラノベ」

「ラノベ？」

　ぼくは首を傾げる。

「商品に付いているシールのこと？」

「それはラベルじゃないの？」

　河川敷に落ちている犬のウンコでも見るような目で、彼女がぼくを見る。

　自分が言ったことが間違っていることはわかった。

「ラノベを読んだことないの？」

　と彼女が尋ねた。

「小説も読んだことがない」

　とぼくが答えた。

　彼女がまじまじとぼくの顔を見る。

　見られているだけで口から心臓が飛び出しそうだった。

　彼女の目は、ぼくのことをバカにしている。

「しょーもない顔してるもんね」

「そんなことないよ」

　つーか本を読んだことが無いのと、しょーもない顔は関係ないだろう。

「でも小説も読んだことないクソ虫なんでしょ？」

　ぼくは焦る。

　読んだことはないだけで、これから読めばいいじゃん。ぼく、天才。

「これから読むんだよ。あとぼくはクソ虫じゃないよ」

「あっそう」

　と興味なさそうにいすずが言って、本に視線を戻した。

　ぼくは焦る。

　せっかく勇気を出して声をかけたのに、このままじゃモブのまま終わってしまう。

　彼女の気を引こうと、小説に関しての唯一の接点についてぼくは口にした。

「ぼくの父は作家だったんだ」

　死んだ父の話をしたら可哀想な子と思われると思っていたから、父の話を誰にもしたことがなかった。

　だけど、この時のぼくは彼女の気を引くために必死だった。

「ふ〜ん。誰？」

「アルプス・カーネーギ」

　彼女が本から顔を上げて、ぼくを見た。

「あのホラー作家の？」

　と宮崎いすずが尋ねた。

「お父さんのこと知ってるの？」

「大嫌いな作家」

　あっ、ミスった。

　ぼくは女の子の気を引こうと父親の名前を出した。めっちゃダサい行為をしたのに、……それすら裏目に出るなんて。

「ごめん。喋りかけた事は忘れて」

　とぼくが言う。

「君、名前は？」

　といすずが尋ねた。

　席に帰ろうとした足を止めて、彼女を見る。

　いすずは本から顔を上げてぼくを見ていた。

「金木ハイジ」

　ぷすっ〜、と彼女が、ぼくの名前を聞いただけで笑った。

「金木で、カーネーギか。ハイジ？　ハハ。超ダサいじゃん」と彼女が言って笑った。

　笑われているのに、世界で一番可愛い女の子が笑顔を見せているだけで嬉しかった。

「アルカネの息子なら、証拠持って来て」と彼女が言う。

「アルカネ？」

「クソ虫の小さな脳みそじゃあ、略してしまったら言語が伝わらないか？」

　アルプス・カーネーギーでアルカネか。

「キムタクみたいに略すなよ」とぼくが言う。

　父親がアルプス・カーネーギーである証拠なんかあったけ？　

　でもコレが彼女との繋がりになるような気がして、

「わかった。探しておく」

　とぼくは言った。

「その代わり」とぼくが言う。

　関係を強固にしようと思って脳みそを回転させた。

「なにか本を貸して」

「人に物を頼む時の言い方っていうのがあるでしょ」といすずが言った。

　たしかに人に物を頼む時の言い方っていうのがある。彼女の言う通りだった。

「貸してください」とぼくが言う。

「さっき読み終わったから」

　いすずが今読んでいた本と同じタイトルの１巻を差し出した。

　喋りかけてよかった。本も貸してくれたし、ぼくの名前も覚えてくれたし。

　ちょっと喋ってわかったことは、彼女にはSっ気があるということである。ちょっと喋っただけで親しくなれたような気がした。

　このまま2人は恋に落ちて、付き合ったりするのかなぁ？　とぼくは思った。

　いや、そんな事で簡単に付き合わねぇーだろう。だけどその当時のぼくはちょっと喋っただけで本気でそう思っていた。

　宮崎いすずと付き合って彼女が好きな本屋巡りとかするんだろう、って思っていた。

　だからぼくも本を沢山読もう。彼女と本の話をするために。

　世界で一番可愛い彼女が出来そう、とマジで思っていた。