第3話:自分たちに出来ることを

 目には見えない。しかし、肌にまとわりつくような、嫌な重圧。


「……なんだ、これ……」


 朔が低く呟いた瞬間、加奈子が不思議そうに眉を寄せる。


「え?何かあるの?私には……」


 忍は即座に微笑を作り、加奈子の方を向いた。


「いえ、なんでもありません。アライグマが通って行ったので、ちょっと驚いただけです」


「……そう」


 加奈子の返事には、かすかな不安の色が滲んでいた。

 この反応を見るに加奈子はこのオーラが見えていないように感じる。


「にしても……酷いな」


 朔が忍にしか聞こえない声で呟く。忍も静かに頷いた。


「……だね。まだ家が見えてもいないのに、この“気”の重さ……」


 並の怪異が放つオーラとは、比べ物にならない。これほどの強さなら、人間一人を容易に殺せる怪異でも不思議ではなさそうに感じる。


 忍は道の先を睨みつけながら、低く呟いた。


「相当な化け物がいるね……」


 すると少し前方を歩いていた加奈子が振り返り、不思議そうに首を傾げる。


「えっと……何かあったのかしら?」


 忍は咄嗟に笑顔を作り、軽やかな足取りで駆け寄った。


「いえ、ほんとになんでもありません!それより、早く行きましょう!」


「ええ、あとはこの道をまっすぐ進むだけよ」


 忍は全く平然とした加奈子の様子に、本当に霊媒師なのかと一瞬疑った。

 だが、まずオーラどころかそこら辺にいる霊すら見えない人が大量にいる世の中だ。

 霊感があるだけでもすごいことなのかも知れない。


 それから五分ほど歩いた頃――木々の間から屋敷の輪郭がぼんやりと姿を現した。


 しかし不思議なことに、さきほどまで漂っていた異様な気配は、まるで嘘のように消えていた。

 目の前に広がるのは、古びた屋敷。ただの田舎の空き家にしか見えない。


「ここが、例の屋敷ですか?」


 忍が立ち止まり、見上げながら尋ねる。


「ええ……そうよ」


 加奈子の声はどこか弱々しい。そしてその表情は、屋敷を前にするたびに青ざめていく。


 その様子を見た忍が心配そうに声をかける。


「……大丈夫ですか?」


「ええ……私は平気。ただ……あの時のことを思い出してしまって……」


 そう言いつつも、加奈子の顔色は見るからに悪くなっていく。


 朔が忍にだけ聞こえる声でぼそりと呟く。


「全然大丈夫じゃねぇじゃん……」


 そう言って彼は加奈子のそばへ行き、優しく背中に手を添える。

 やはりトラウマになってしまっていたのか……。


「無理しなくていいですよ。屋敷内の詳細は、外で簡単に話していただくだけで十分ですから」


 そう言った後、朔は忍の方へと振り返った。


「いいよな、忍。一旦、引こう」


 うん。まあ、普通は引くだろう。動かない加奈子さんを背負って戦うなんてできないから。

 でも、それはこの家の中での戦闘が難しいだけだ。

 なら――。


「私はこのまま中に入る」


 その一言に、朔も加奈子も目を見開いた。


「は!?お前、何言ってんだよ!さっきお前も感じただろ?あの気味の悪い気配!やめとけって!」


「そうよ! 流石に一人で行くのは危険すぎるわ!」


 加奈子も焦りの色を隠せず、朔と同じように忍を止めようとする。

 だが、忍の考える作戦には加奈子が必要不可欠なのだ。

 あの異様な気配を、ここまで綺麗さっぱり消せる存在。そいつが主犯なのは一目瞭然。

 しかし――。


「多分ね……この屋敷にいる悪霊は、一体だけじゃないと思うの。主となる霊の他に、子分みたいな存在がいる」


 そう言いながら、忍はゆっくりと屋敷へと歩を進める。


「そして、その子分たちはおそらく、この屋敷の“外”にいる」


 先ほどから、他の視線がかなり気になっていた。

 しかも、そいつらもそこら辺にいる悪霊とは比較かならないほど強そうに感じる。

 なら、厄介な方を忍が倒して、まだ弱い方を加奈子さんを守りつつ朔に戦わせたほうが体力的にも、実力的にも妥当だろう。


 彼女の歩みは止まらない。


「だから、朔にはその子分たちの排除をお願いしたいの」


「だ、だけど……!」


 朔が言い返そうとするのを、忍が振り向いて遮った。


「大丈夫。私は負けない。だから――頼んだよ」


 忍は自分で言うのもなんだが、異能力込みで、自身が弱くないことを理解している。


 朔はしばし黙り込み、やがて一つ、深いため息をついた。


「はぁ……仕方ねぇな」


 朔は忍の瞳をまっすぐ見据え、決意を込めて頷く。


「分かった。頼んだぞ、忍。こっちは俺に任せとけ」


「うん!」


 忍が力強く頷くところを見届けると、加奈子の背中を押し、来た道を引き返し始めた。


「え、えぇ!? い、いいの……!? 本当に行かせてしまって大丈夫なの!?」


 加奈子が不安げに尋ねると、朔は少し苦笑しながら答える。


「俺も正直、心配です。でも――あいつなら、きっとやってくれます。絶対に。だから、信じてあげてください」


 その声に込められた確信は、どこか力強かった。


 そして朔は、視線を屋敷の外に向け、きりりと表情を引き締める。


「それよりも、俺たちは俺たちでやるべきことができました。だから……」


 一息つき、静かに言葉を続ける。


「さっさと終わらせてしまいましょう」


 忍は、朔が走り去るのを見届けると、深く息を吸い込んだ。


「なんか……私らしくないこと、しちゃったな〜」


 元々、自ら前に出るようなタイプではなかった忍。友人は多いものの、積極的に行動する性格ではなく、明るく振る舞うことで自然と人が集まる、そんな人物だった。


「でも、言ってしまったからには、期待に応えないとね!」


 「怖い」という自信の心に打ち勝ったことを自画自賛するように小さくガッツポーズをすると、意を決した忍は、屋敷の扉をそっと開けた。


「お邪魔しま〜す。お、意外と中は綺麗だ」


 ゆっくりと中に足を踏み入れると、昭和の雰囲気が色濃く残る玄関が忍を出迎えた。

 目立つ埃はなく、腐った木のにおいもしない、お手本のような綺麗さ。しかも、特に怪異や化け物がいる異変は感じられない。


 外観からは想像できないほど、内部は手入れが行き届いていた。


 忍は頭を下げ、土足のまま中に上がる。


「加奈子さん、ごめんなさい。土足で上がっちゃって……」


 これから戦う可能性があることを考えると、靴があったほうがいいだろう。

 心の中で詫びながら、奥へと進んでいく。


 渡り廊下は両側に襖が並び、狭い一本道となっている。


「いつでも出てこいよ〜。この日のためにたくさん能力練習したんだから!……最近はサボってたけど」


 ポスターを作成して3年間は、制御も、操作すらできていなかったことを見越して練習に励んでいた。

 だが、ある程度能力を習得した上でもう一年と半年も客が来ないとなると流石に練習する気が起きない。


 だからと言って、別にサボって良いわけではないのだが……。


 今日が、能力を使った初めての実戦ってことになる。


 忍は薄暗く静かな一本道を、木の軋む音が響く中、静かに奥へと歩いていく。

 すると、左側の襖の奥から、かすかな音が聞こえてきた。


「ん?」


 なんだろうか……この言葉では表現できないほどの小さな音。


 忍が左を気にしながら進んでいると、突然、上方から「ガザガザガザ」と無数の針が木に突き立てられているような音が響いてきた。


「うっ……。なにこの鳥肌が立つ音は……」


 反射的に耳を抑えると目の前に、いきなり上から何かが垂れてくる。それは、ベチャという嫌な音と共に廊下へと叩きつけられた。


「もしかして……?」


 ゆっくりと上を見上げると、そこには、屋根を覆い隠すほどの巨大なムカデが天井に張り付いていた。


「うわ!? きしょ!」


 忍が叫んだ瞬間、ムカデは鋭い歯を光らせると顔部分を天井から離し、首を振る。


「おい、ちょ、ちょっと待て!」


 そして、思いっきり忍を顔面で殴り、襖を突き破って吹っ飛ばした。

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