11-5 re 君を未来へ
re:十二月二十四日 放課後
pm16:35 教室
冬の午後の教室は、いつもより静かだった。窓際の光は淡く、灰色の空が広がっている。
カラス達が群れをなしてどこかへ飛び去り、エアコンの温風だけがむなしく空間を撫でる。上半身は寒く、指先は紙よりも冷たい。机の上のプリントの文字は霞んで、頭はもうここにいなかった。
「じゃあ、後でモール集合で!」
春樹君の声が弾む。その瞬間だけ、教室の空気がぱっと明るく跳ねた。カレンとヒナ、ユウヤも楽しそうに手を振る。
私は机の端を握ったまま動けなかった。爪が手のひらに食い込む。
(今日が終わったら、もうイオリ君はいない。今日が終わったら、私の記憶も……)
その思いだけが、頭の中を何度も巡る。
「みーつき」
カレンとヒナがのぞき込む。
「美月も今日モール来るんでしょ?」
「……うん、家族と行くつもり」
「じゃあ合流できたら写真撮ろうよ。せっかくだし!」
カレンの明るさに救われるように、小さく頷いた。
私は昇降口へ向かい、二人と別れる。冷たい風が髪を揺らし、遠くで猫の白玉が鳴いた気がした。
pm17:03 帰宅
玄関を開けると、暖房と夕飯の匂いが一気に押し寄せた。
母はコートのボタンを留め、弟のタケルはスニーカーを履いたままドアの外をうずうずと覗いている。
「早くー!イルミ点灯に間に合わないよ!」
「ほんと元気ね」母が笑い、マフラーを首に巻く。
その光景をしばらく黙って見つめた。
(この平凡な時間が、どれだけ貴重か。みんな、知らない……)
タケルが振り返り「みーちゃんも早く!」と手を振る。
我に返り、コートのポケットをぎゅっと握りしめた。
そこには――前の世界線で渡せなかった青いマフラーと、反対側には小さな日記帳。
柔らかい毛糸の感触が、指先に冷たく残った。
pm18:01 モール屋上
大きなモールの屋上は、人であふれていた。吐く息が白く、空気がきらきらと揺れている。
18時と同時にイルミネーションが一斉に点灯し、夜空全体が星になったみたいに輝いた。
青、赤、金、白……光が波のように広がり、人々の歓声が冬空を染める。
母とタケルは「きれいー!」と夢中で写真を撮る。
私は二人の後ろで両手をポケットに押し込み、胸の奥は重く沈んでいた。
「おーい、美月!」
振り向くと、カレン、ヒナ、春樹君、ユウヤ君が笑顔で手を振る。
みんなで肩を寄せ合い、スマホのフラッシュを浴びながら写真を撮る。
カレンの腕が私の背中に回る、その一瞬だけ温かかった。
でも笑顔は長く持たなかった。
「ちょっと……トイレ行ってくるね」
写真を撮り終えると、私はそう言ってみんなの元を離れた。心臓が早鐘を打ち、足が勝手に動く。
(今、行かなくちゃ。今日が最後だから……)
pm18:45 街中
モールを出ると、街はクリスマス一色だった。ケーキの箱を抱える人、サンタ帽の子どもたち、恋人たちの笑い声。
光が交差し、音楽が流れ、あらゆるものが輝く。スマホはずっと着信を知らせていたが、もう見なかった。
その全てを横目に、私はただ早足で歩いた。
街の喧騒が遠くの波の音のようにぼやけていく。
ポケットの中の青いマフラーを握りしめ、指先が痛いほど力を込める。
(前の世界線で渡せなかったもの……今度こそ)
胸の奥に立っている“覚悟”が、冷たい刃のように鋭くなる。
pm19:37 廃ビルの前
胸の奥で心臓が暴れ、呼吸が浅くなる。
錆びついた鉄扉の前で立ち止まり、左腕に巻かれた冷たい金属を強く握りしめた。
クロノコード。
前の世界線で、何度も見て、何度も恐れて、それでもイオリ君と繋がっていた唯一のもの。
軋む音と共に扉を押し、暗い内部に足を踏み入れる。
薄暗い階段を上った空間の奥、壊れかけた窓際に立つ背中。
凜として、誰よりも強く見える背中。
「……イオリ君」
声が零れた。
彼が振り返る。驚いた目を見開き、すぐ険しい表情に変わる。
「美月……どうしてここに」
逃げちゃいけないと、自分を叱咤する。
ゆっくり歩み寄り、腕を突き出した。
「クロノコード、保護モード解除」
擬態を解き、青白い光を放つ傷だらけのクロノコードが現れた。
「これ……私が持ってる理由は言えない。でも、これが何かは知ってるの」
イオリ君の目が揺れる。
「まさか……お前も……」
「うん……ごめんね。本当は知らないままでいるはずだったのに」
胸が張り裂けそうだった。それでも言った。
「だから、私は来たの。イオリ君に……お別れを言いに」
沈黙。イオリ君はただじっと見つめる。
私はポケットから青いマフラーを取り出した。
前の世界線で渡せなかったもの。
握ると編み目のひとつひとつが、過去の想いを蘇らせた。
「本当は、前の世界で渡したかったの。ずっと渡せなくて……」
涙に滲みながら笑い、差し出す。
「イオリ君。これ、受け取って。私の気持ちだから」
pm19:42:37
轟音と大きな揺れが床を襲った。
コンクリートが軋み、鉄骨が頭上から崩れ落ちる。
「危ない!」
イオリ君が私に飛びついた。強く抱き込まれ、床に倒れ込む。直後に鉄骨が背後に叩きつけられる。粉塵が白く濁り、息が詰まるほど近い距離で彼の心臓の鼓動が重なった。
「……大丈夫か?」
「……うん、イオリ君が守ってくれたから」
涙で滲む視界の中、彼の顔が浮かぶ。
「イオリ君……私ね、ずっと……渡したかったの」
マフラーを差し出しながら、震える声で続けた。
「このマフラーと一緒に……ずっと、ずっと好きだった気持ちも」
涙が頬を伝って流れる。
イオリ君は一瞬驚いたように私を見つめ、それから小さく笑った。
「……俺も……好きだったよ、美月」
その言葉がすべてを満たした。
引き寄せられるように、唇が重なる。
粉塵の中、世界が音を失い、ただ温かさと涙の味だけが広がった。
──最初で最後のキスだった。
クロノコードの光が背後で輝きを増す。
イオリ君はそっと立ち上がり、静かにコードを操作する。ゲートが開き、青白い光がゆっくりと広がる。
「美月……俺、戻らなきゃいけない」
「うん……わかってる」
マフラーを首に巻き、私の手を強く握る。
「美月……俺、絶対に忘れないから」
「……うん、じゃあね……イオリ君」
指が名残惜しそうにゆっくり離れ、光が彼を包む。
その姿が消えると同時に、大粒の涙が床に落ちて広がった。
pm19:59
残された静寂の中で、私はクロノコードを胸に抱いた。
最後の任務を思い出す。
〈記憶抹消プログラムを実行しますか?〉
脳内にAIの声が響く。
「……はい」
クロノコードは眩い光を放ちながら砕け散る。
視界が白く染まり、力が抜けていく。
最後に浮かんだのは、彼の優しい笑顔だった。
私はそっと瞼を閉じ、暗闇に沈んでいった。
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