11-3 プレゼントを渡すために

 re: 十二月二十二日


 今朝もまた、小さな地震で目が覚めた。ベッドの上の目覚まし時計がカタカタと震え、カーテンがかすかに揺れている。震度3。大きくはない。だけど胸の奥にざらついた不安が残る。

 これで何度目だろう。今月に入ってから、地震の回数が明らかに増えている。前なら「よくあること」と片付けられた。でも私はもう、知ってしまった。――この小さな揺れが、大きな運命の序章だということを。

 あと二日。あの日が迫っている。


 冬の通学路は、息を吐くだけで白い煙が立ち上る。手袋をはめた生徒たちが、友達と笑い合いながら歩いている。その光景は平和で、どこか切ない。こんな風景が、もうすぐ壊れてしまうなんて。

 通学路を歩く見慣れた背中。私は駆け足で近づいて、その背中に思わず手を伸ばした。

 トン、と軽い音を立てて叩く。ほんの少しの力加減に、伝えきれない気持ちを込める。もう会えなくなるかもしれない――そんな不安を隠しながら。


「イオリ君、おはよ!」


 彼がはっと振り返る。目が合った瞬間、胸の奥に熱が広がった。ああ、この瞬間。前にも経験した。

「ああ、おはよう」


 変わらない、低く落ち着いた声。寒さで赤くなった頬。肩に積もった霜を何気なく払う仕草。どれも懐かしくて、切なくて、そして愛おしい。


 私は前と同じようにわざと軽い調子で口を開いた。

「ね、今日も揺れたよね。弟がびっくりして布団に飛び込んできてさ、大きい地震くるかもーなんて。大げさだよね?」


 冗談っぽく言ったつもりなのに、イオリ君はやっぱり真剣な顔で私を見つめてきた。

「……注意した方がいい」


 その短い言葉に込められた重みが、胸の奥を鋭く突き刺す。私は小さく息をのみ、それでも静かに頷いた。

 教室に入ると、窓際の席にユウヤがいて、カレンもその横で雑談していた。二人とも、私とイオリ君を見てニヤリと笑う。

「おっ、一緒に登校? イッチーと美月、仲良しじゃん」

「ち、ちがうよ! たまたま会っただけ!」

 慌てて否定するけど、顔が熱くなる。視線が泳いでしまう。

 するとユウヤが唐突に、教科書をカバンにしまいながら口を開いた。

「なあ、そういやイッチーって誕生日いつ?」

 あ、来た。前にも聞いた、この質問。心臓が跳ねる。

「……今月の24日だ」

 やっぱり同じ答え。

「えー!!イブ!? クリスマスイブ!? なんか特別すぎだろ!」

 ユウヤが大げさに叫ぶと、周りのクラスメイトまでざわついた。

 カレンが机をぱんぱん叩いて笑う。

「なにそれドラマ!イブ生まれって漫画の主人公かよ!美月、聞いた?イブだって!運命感じるでしょ?」

「なっ、なに言ってるのカレン!やめてよもう!」

 耳まで真っ赤になりながら抗議する私を見て、二人はますます楽しそうに笑った。

 ちらりと横目でイオリ君を見ると、彼は眉をひそめて黙っていた。無表情に見えるけれど、机の下で拳を握りしめているのを私は見逃さなかった。

 ――どうしてそんなに隠そうとするの? 本当は、嬉しいって思ってくれてるんじゃないの?

 そんな淡い期待が胸の奥で弾けて、私は目を逸らした。


 放課後、私はカレンと一緒に街へ出た。

 駅前の大通りは、すっかりクリスマス一色。アーチ状の電飾が通りを彩り、ツリーのオーナメントがキラキラと光を反射している。焼き栗の屋台から甘い匂いが漂い、手をつなぐカップルが足早に通り過ぎていく。

「ほら見て、美月。あそこのショーウィンドウ、めっちゃ可愛い!」

 カレンが指さした先には、真っ白なマネキンに鮮やかな赤のワンピース。そして手にはリボン付きの小物が並んでいる。通りの空気ごと、浮かれたお祭りムードに包まれていた。

 私は胸を押さえながら歩いた。華やかな街が、どこか遠い世界のように見える。あと二日で、この光景が消えてしまう。誰にも信じてもらえない未来を知っているのは、私だけ。


 カレンが立ち止まって振り返った。

「で、買うんでしょ? イオリ君にプレゼント」

 その言葉に、私は少し迷ったあと頷いた。

「うん……渡したい」

「じゃあ、絶対使えるやつがいいよね。マフラーとか、手袋とか」

 二人で雑貨店や服飾店を巡り、いくつもの小物を手に取っては首をかしげ、戻していく。

 ふと、壁際にかかっていたシンプルな青いマフラーが目に留まった。派手じゃない。でもその控えめな色合いが、イオリ君の雰囲気にぴったり。前の世界では渡せなかったもの。

「これ……これがいいな」

 無意識に呟いた言葉に、カレンが笑顔で頷く。

「いいじゃん!イオリ君ってああ見えて、ちゃんと気持ち受け取るタイプだと思うし」

「そう……かな」

 不安と期待がないまぜになって、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

 レジで会計を済ませ、紙袋を両手で抱きしめた。暖かさよりも重さを感じる。それは私の勇気そのものだった。

 クロノコードからの警告は聞かないふりをした。


 夜。ベッドの上で、何度も袋を撫でながら考える。

 前回の私は、メッセージを送ってしまった。結果、冷たい拒絶を受けた。あの痛みはもう味わいたくない。

 だから今度は違う。直接、目を見て渡すんだ。彼が未来に帰る、その日に、あの廃ビルで。

 それが最後のチャンスになる。もう知っているからこそ、恐ろしくて、でも逃げられない。

 カレンが言っていた。「絶対伝わるよ」って。――信じてみたい。

 たとえ運命に逆らえなくても、ほんの少しでいい。私とイオリ君の間に、ぬくもりを残したい。

 あと二日。震災も、別れも、迫っている。


【美月の日記 12月22日】


 今日、カレンと一緒に街へ出て、イオリ君へのプレゼントを買った。

 渡せなかった青いマフラー。彼に渡さなきゃって思った瞬間、胸が熱くなった。レジで紙袋を抱きしめたとき、クロノコードがかすかに震えた。

【世界線同化率:79%】

 視界が一瞬揺れて、運命がまた少しずれたんだってわかった。このマフラーを渡す決意が、きっと数字を動かしてる。


 でも、怖い。

 あと二日で街が消える。私は直接は見てない。未来でみた震災の記録をみて、胸が張り裂けそうだったのを覚えてる。


 お母さんはどうなるんだろう。タケルは守れるのかな。単身赴任のお父さんは、ちゃんと避難できるかな。

 カレンやユウヤは、いつもみたいに笑っていられるだろうか。

 春樹君とヒナも無事でいてほしい。


 私は――何を守れるんだろう……いや私が守らなきゃ。


 そしてイオリ君を未来に送り返したら、私は記憶を消す。

 笑ったことも、泣いたことも、手をつないだ温度も。全部なかったことになる。


 それでもいい。

 せめて彼の心の中に、私が残っていてほしい。


 震災の日、廃ビルでこのマフラーを渡す。

 最後の最後に、私の気持ちを込めて。

 

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