8-4 あなたへと繋がる線
re:九月九日──
放課後の帰り道、気づけば彼と並んで歩くのが自然になっていた。
まるで最初から、そういう日常だったかのように。
「今日もさ……うち寄っていかない?」
「……ああ」
短い返事。けれど、それだけで胸の奥が温かくなる。
私は小さく笑みを浮かべて、並んで歩く彼の横顔を盗み見た。
家の門を開けた瞬間、ふわりと煮物の匂いが鼻をくすぐる。
秋の風に混じる出汁の香りに、懐かしさが胸を締めつける。
──そう、この場面も前にあった。でも少し違う。
似ているけど、まだ完全には重なっていない。世界線が少しずれている気がする。
「おかえり、美月。……そちらが一之瀬くんね?」
母が玄関に現れる。エプロン姿で手を拭きながら柔らかく微笑むその姿は、私が知っている母と同じで、でも声色がどこか違う気がして。
「はじめまして。一之瀬イオリです。お邪魔します」
「いらっしゃい。いつも娘がお世話になってます」
「ちょ、ちょっと、お母さん!」
私は慌てて制止するけど、母はくすっと笑うだけ。
このやり取りも既視感があるけれど、微妙にずれている。
そこへタケルが顔を出す。
「イオリにぃちゃん! 今日ゲームやろう!」
無邪気な声に、イオリがわずかに表情を緩めたのを、私は見逃さなかった。
リビングに入ると、夕陽が部屋を金色に染めていた。
壁の家族写真、木目の家具──変わらないはずなのに、前とは少し印象が違った。
それが、私がこの時間を「やり直している」証だった。
ふと、イオリの視線が止まる。
彼の目の先には、ガラス棚に飾られた古びた和紙。
「……あれ、気になる?」
「……なんだ?」
私は一歩近づき、棚の鍵を外して和紙を取り出した。
これは、彼に必ず見せなきゃいけないもの。
前の時間ではちゃんと見せれなかった家系図──今度こそ、しっかり。
「ひいおばあちゃんが書いた家系図なんだって。……見て」
和紙を丁寧に広げ、彼の前に差し出す。
墨で記された古い名前の数々。その中に、はっきりと記されていた。
──遠野ナギ。
イオリの目がわずかに揺れる。
私は、その変化を見逃さない。
「私の曽祖母。昔の人なんだけどね、ちゃんと残してくれてて」
明るく言うけど、内心は張りつめていた。
彼がこの名を知っていることを、私は知っているから。
だから、今度は隠さない。彼に届くように、しっかり差し出す。
沈黙のあと、彼は低く答えた。
「……遠野、ナギ……か」
「うん。ね、なんだか強そうな名前だよね」
私が笑うと、彼は小さく頷いた。
けれど、その指先はわずかに震えていた。
──やっぱり。
この名前が、彼にとって意味を持つことを私は知っている。
だから、見せた。
私は彼のために戻ってきたんだから。
和紙を棚に戻したあと、私はそっと問いかける。
「ねえ……イオリくん」
名前を呼ぶと、彼が少しだけ驚いたように目を向ける。
「……あ、そういえばまだちゃんと呼んでなかったよね。わたし、これから『イオリ君』って呼ぶね!」
少し照れながら言ったその瞬間──
――ジジジッ……ザザッ……。
頭の奥で、突然ノイズが走った。
鼓膜ではなく、脳に直接響くような声。
(警告:世界線同化率 89% → 83%に低下)
「……っ!?」
私は思わず胸を押さえ、息を詰めた。
何、今の……? 誰の声?
(感情干渉を検知。対象の接近は任務に支障をきたす恐れあり)
冷たい電子音のような声が、確かに私の意識に割り込んでいた。
──これが、未来で説明された“AIからの警告”……?
びっくりしながら、クロノコードを手のひらで抑える。
イオリは何も気づかない。
ただ静かに、私を見ている。
「……そうか」
小さな声でそう言った彼に、私は慌てて笑顔を作った。
大丈夫、何でもないよって誤魔化すみたいに。
「お母さん、イオリ君も晩御飯一緒にいいかな?」
振り返り、母に確認する。
「もちろんよ。お父さんが単身赴任で、女ばかりだから賑やかで嬉しいわ。遠慮なく食べてってね」
母の温かな声が、部屋に響く。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
イオリは静かに頷き、言葉に迷いを隠す。
その日の夕食は、イオリにとって初めての「家庭の食卓」だった。
母とタケルの笑い声、湯気を立てる煮物の香り。
彼が箸を持つ姿が、前よりも自然に見える。
「イオリ君、煮物どう? お母さんの得意料理なんだよ」
私はわざと軽い調子で訊ねる。
「……美味しい」
その短い言葉に、私は胸の奥でそっと息を吐いた。
違う世界線でも、彼の心に温かさが届いている──そう信じたかった。
けれど、さっきの声が頭から離れない。
あれはきっと……未来で説明された、あの“監視しているAI”からの警告。
私の気持ちが強くなればなるほど、世界線はずれてしまう。
それを知らせるための、冷たい声。
私は笑顔の裏で、そっと震える指を握りしめた。
彼の隣にいたいと願う気持ちを隠しながら。
【美月の日記 9月9日】
今日も一緒に帰った。
もう「当たり前」みたいに並んで歩いてる自分がいて、不思議。
最初は任務とか、偶然とか、そういう理由で隣にいるんだーって思ってたのに……
今は理由なんて要らない。ただ一緒にいるのが自然で、心地よくて。
でも、今日は……怖いことがあった。
「イオリくん」って呼んだ瞬間、頭の中に知らない声が響いた。
『警告』『世界線同化率の低下』……そんな言葉が突き刺さって。
これが未来で説明された“AIの警告”なの?
本当に……私の気持ちが、世界を壊してしまうの?
それでも、私は彼が好きなんだ。
何度世界を繰り返しても、変わらない気持ち。
でも、もしこの想いが彼を苦しめるなら……どうしたらいいんだろう。
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