2-2 開かれた家のぬくもり
九月五日──
「うそ、速っ! 今の見た?」
「やば、あれもう体育じゃなくて試合じゃん……!」
女子たちの黄色い声が、グラウンドに響いた。
秋の風が吹き抜ける中、サッカーの授業は白熱していた。足元から砂が舞い上がり、照りつける日差しに汗が滲む。ゲームは紅白戦。普段は盛り上がらない男子たちの中にも、今日は珍しく熱がこもっていた。
その中心にいたのは、一之瀬イオリ。
転校生でありながら、俊敏な動きと的確なパス回しで瞬く間に目立ち始めていた。周囲との連携も自然にこなしてみせ、ゴール前のプレイでは見事なシュートを決める。
「え、普通にかっこよくない……?」
「てか、あの顔で運動神経まで良いって何事……!」
女子たちがラインの外から盛り上がっている。その一角、美月は顔を伏せるようにして水を飲んでいた。気にしていないふりをしながらも、自然と目がイオリを追ってしまう。
「ふふ、顔赤いよ、美月?」
後ろからそっと耳元に声が届く。振り返れば、長いまつげを揺らした三好カレンが、いたずらっぽく笑っていた。
「えっ……べ、別に!」
「やだなぁ、あの顔であの運動神経、惚れちゃうでしょ〜?」
「ち、違うってば! ちょっと見てただけだし……!」
照れ隠しのように水筒を握りしめる美月に、カレンがニヤニヤと肩を揺らす。少し離れた場所では、生田ヒナが腕を組んで眺めていたが、こちらに視線を送るとわずかに笑った。
(……やっぱり、イオリくんって、ちょっと変わってるけど、すごいよね)
その思いが、ほんのりと胸に熱を残していた。
***
放課後のチャイムが鳴り、ざわめきの中でホームルームが終わったころ、イオリが自分の席で荷物をまとめていると、隣の席の高橋ユウヤがちらっと覗き込んできた。
「なぁ、一之瀬。LINEやってる?」
「……ライン?」
「え、まさかやってない系?」
ユウヤは口を半開きにして固まる。イオリが首を横に振ると、「マジか」とつぶやいてスマホを取り出した。
「ダメダメ。現代人としてそれは遅れてるぞ。ほら、今から入れて。設定、俺が手伝ってやるから」
「……わかった」
イオリは渋々とスマホ型擬似端末を取り出した。
だが、その瞬間──
【警告:本端末の通信環境におけるアプリ「LINE」の導入は、時空犯罪抑制法 第4条および第7条に抵触する恐れがあります】
誰にも聞こえない、ごく微かな声。脳内にだけ響くその声は、彼のサポートAIだった。
(……だが、必要な範囲内だ。観察の一環として)
イオリが思考で指示を出すと、AIは再び警告を発した。
【条件付き許可。対象アカウントとの接続は限定的観察範囲内とすること。機密漏洩を伴う接触は禁止】
(了解)
無言でスマホを操作するイオリの隣で、ユウヤが「よしよし」と頷く。
「よし、これでお前も現代人デビューだな! で、だ。グループ作ったから招待すんね」
ユウヤは画面をタップしながら、ニヤリと笑った。
「俺と、お前と、美月、カレン、それとヒナも。四人+お前で五人。まあ、仲良くやろうぜ?」
「……ああ」
そのグループチャットには、すぐに美月から「よろしくね!」のメッセージが飛んできた。
それを見たイオリの口元が、わずかに和らぐ。
さらに個人トークが一件、ユウヤから届く。
【高橋ユウヤ】
『ところでさ、俺さ……三好のこと好きなんだよね。なんか、どう思う?』
それを見て、イオリは一瞬固まった。
(これは、任務に……関係あるのか?)
しかし、「観察対象周辺の人間関係の把握も任務のうち」と判断し、簡潔な返答を返す。
『落ち着いて距離を縮めるのが良い。様子を見ながら』
それを読んだユウヤが、「お前、なんか大人っぽいな」と苦笑していた。
夕方の校門を出る頃には、すっかり空も赤く染まり始めていた。
「ねぇ、一之瀬くん。一緒に帰ろう?」
当たり前のように隣に立った美月が、屈託なく笑う。その流れで住宅街へ向かって歩き始めると、自然な流れで言葉が続いた。
「ね、寄ってかない? うち。お母さん、今日買いすぎちゃったって言ってたから、お菓子とか余ってるかも」
「……突然すぎないか?」
「いいのいいの。私がいいって言ってるんだから、問題なし!」
ぐいっと腕を引かれ、イオリは抵抗もできないまま彼女の家へと向かっていく。
白い塀に囲まれた、二階建ての小さな家。
玄関先に並んだ鉢植えから、どこか懐かしい土の匂いが漂う。靴を脱ぐと、奥の部屋から元気な声が響いた。
「みーちゃん! おかえり!」
現れたのは、小学三年生くらいの男の子だった。
「弟のタケル! ねえ、あいさつして」
「……こんにちは」
「お兄ちゃん誰ー? 知らない人?」
「違うよ。友達だよ。……一之瀬イオリくん」
「ふーん、イオリくん……お兄ちゃん、オセロ強い?」
いきなり勝負を挑まれ、イオリは戸惑いながらもリビングに通される。
しばらくして、タケルと向き合ってオセロを打つイオリ。その横では美月が飲み物を運びながら笑っていた。
「なんか、思ったより馴染んでるね。タケル、一之瀬くんのこと気に入ったみたい」
「……そうか」
オセロの盤面には、黒と白の石が静かに並んでいる。
その静けさの中で、美月の家の“ぬくもり”が、イオリの心のどこかに、そっと触れていた。
それが、どれほど大切な感覚だったかを──彼は、まだ知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます