ビブリオジャンキー
赤井朝顔
「夫婦とかカップルのイチャイチャだったり、良い雰囲気の2人がくっついたりする話」
「きりーつ、れい」
気だるげな声が教室内に響く。
日直の号令というのは面倒くさそうに言えば言うほど、格好いいみたいな風潮があるのだ。
今日の日直はクラスの中心にいる内の女子の一人だったため、その脱力感は見事なものだった。表情にも「なんて下らない事を言ってるんだ」みたいな無気力さがあった。私も面倒くさそうに努めて言うのだが、あまりにも露骨だと目を付けられそうで怖いので棒読みに言うことを徹底しているのだった。
2年3組のこの教室は2階に位置している。外からは夏の日差しが降り注いでいるのだが、エアコンが効いているため、室内は快適だった。帰りのホームルームが終わると教室内には喧騒が賑わい、帰り支度を始めたり、部活へと向かったりしながら友達とお喋りをする者たちばかりだ。私も隣の席の女子と喋りながら帰る準備をした。内容は特に無い。どの授業が眠かったとか、出された課題がだるいとかそういう話だ。喋りながらだから当然、帰り支度はだらだらと時間がかかってしまうのだが、このお喋りも学校生活を送る上で重要なことなのだ。
教科書や筆箱をカバンに放り込むのにたっぷり5分ほど使うと、私たちはそろって教室を出た。廊下には他クラスの子たちも多くいて、喧騒はますます大きくなった。中には体操服やユニフォームにすでに着替え終えている子もいて、学校での鬱憤を晴らすかのようにそれぞれの個性を爆発させているようだった。
「カノちゃんはこれから部活?」
人が多くなったため、声のボリュームを少し大きくして私に聞いてきた。
「そうだよ。と言っても喋ってるだけなんだけどね」
私ははにかみながら答えた。
「えー。休まず行ってるだけでもスゴイよー。私なんか吹部、2週間で辞めたんだよ」
「吹部なんて毎日走ってるから誰でも辞めちゃうよ。残ってる人は怪物だよ」
「やっぱりそうだよねー」
3日に一度はこんな会話をしている気がする。隣の席のアヤと同じクラスになるのは初めてなのだが、自然と仲良くなっていた。アヤから話しかけてきたのは確かなのだが、詳しくは覚えていない。ボンヤリとしているようでいて、割と行動力があるアヤは誰とでも話せるコミュニケーション能力を持っており、グループの垣根を超えて友人を作っていた。今では席が隣である私とよくつるんでいる。
話しながら歩いているとすぐに昇降口へと着いた。アヤは靴箱から取り出した靴を放り投げると、上履きを脱いだ。
「じゃあ、また明日」
「バイバイ」
私が手を振るとアヤも少し振り返してから、外へと出ていった。
1人となった私はB棟へと向かった。私が通う伊傘高校は生徒が授業を受けるA棟と、理科室や音楽室などの特別教室があるB棟に分かれている。B棟へと向かうためには外と直結している渡り廊下を歩かなければならない。上履きのままでいいのだが、外を歩いているのと変わらないため、ものすごく暑い。コンクリートから照り返す熱気と、自分の役割を果たすことに懸命な太陽に挟まれながらも何とか渡り切った。体温がぐっと上がるのを感じつつも次なる試練が立ち塞がる。
階段。
B棟は授業がある時以外は基本的に使われないため、エアコンも当然動いていない。冷風の残滓も全く感じられないというのに、この階段に挑まなくてはならない。撤退という選択肢は元より無いのだが、身体的にはキツイものがある。私は「よしっ!」と気合を入れて、一段目に足をかけた。
2階へと到着。トータルで24段昇ったのだが、それだけで息が少し上がっていた。前髪が額に張り付き、悲惨なことになっているのが想像できた。
私は一息吐き出すとトイレへと向かった。扉を開けてすぐに、手洗い場にある鏡を覗き込む。やはり前髪はそれぞれが明後日の方向へと伸びていた。私は汗を拭きながら前髪を整えて、ざっと服にもおかしな所はないか確認した。
問題なし。
私はトイレから出ると、すぐそこの目的地へと向かった。
目的地というのは図書室。ではなく、その隣にある図書準備室だ。
図書室の扉のすぐ横にある掲示板には賞を取った本のポスターや、イベントを紹介する図書委員会による手作りのチラシが貼り付けてあった。私はそれらを横目に見ながら、B棟の一番端にある部屋の前に立った。
扉の色は灰色でくすんでいて、昔から使われているような雰囲気がある。図書室の扉の方は木製の横開きなのだが、こちらは押し戸となっている。
私は背筋をぐっと伸ばすと、ドアノブに手をかけ扉を開いた。
室内はエアコンが効いていた。一歩足を踏み入れるとまるで別世界に来たかのような感覚になる。
部屋の中央には長机が二つ、向かい合わせで置かれている。それに合わせてパイプ椅子が四脚あり、机から少し離れた場所には一人掛け用のソファがあった。左側の壁には本棚が並んでおり、古くなった本や資料が納められていた。3人分のロッカーも置かれていて、ただでさえ広くはない部屋なのに、さらに小さく感じる。
そんな部屋にはすでに1人の先客がいた。
パイプ椅子に腰を下ろし、本を読んでいる。足を大股に開き膝の上に肘をのせているため前傾姿勢となっている。手に持っている文庫本は背表紙が地面と水平になっているため、本を読むために顔も下を向いているのだが、まるで足元にいる虫を観察しているような態勢になっていた。真剣に読んでいるのか無表情であり、正面から見れば中々迫力があるのではないかと思う。私が入ってきたことは分かったはずだが、こちらをチラリとも見ずに本を黙々と読み続けている。
まぁ、いつものことなんだけどね。
私は机に荷物を置くとそのままパイプ椅子に腰をおろした。静かな空間にギシリと音が響く。B棟の端にあるこの部屋はとてつもなく静かだ。校庭で練習しているはずのサッカー部や野球部の声は全く聞こえてこない。たまに吹奏楽部の練習曲が遠くの方で響いているのだが、途切れ途切れに聞こえるのみだ。絶えず聞こえてくるのは古いエアコンの駆動音と、自分の心音くらいのものだった。
さて、課題を片付けちゃおうかな。たしか英語と古典が明後日、提出だったはず。
私はカバンから英語の教科書と問題集、そして筆箱を取り出し課題を始めた。
それから1時間ほど経った。
私は課題をとっくに終わらせ、古典の教科書をパラパラとめくっていた。簡単な予習のようなものである。単語の意味や活用の種類を事前に確認しておくだけでも、覚えやすさというのは全然違う。もちろん、古典以外の予習もやるため、成績の心配をする必要はない。というよりも私は結構、成績は良い方なのだ。なんて内心でドヤ顔を作ってみたりする。
そんな中で私が少し顔を上げてみると、そこには同じ態勢のままで本を読み続ける姿があった。疲れないのかな?と思いながら、残りのページ数を遠目で確認する。
うん、残りわずかのようだ。
実は課題をやっている最中に「フッ」とか「ハッ」というような吐息みたいな笑い声が聞こえてきていたのだ。そういうリアクションがある本というのは大抵、面白いのだと相場が決まっていた。
読み終わったら貸してもらおうかなどと考えていたのだが急に、
パララララ
とページをすごい勢いでめくり始めた。
最初から最後までめくると、次は最後から最初まで戻す。
すると裏表紙、背表紙、表紙の順でじっくりと見ている。まるで不備が無いのか確認作業をしている業者のようだった。
本を顔の上まで持っていき見上げ、神に供物を捧げるかのように、注視していた。
そして満足したのか本を下ろすと肩を回し始め、「フーー」とか「アー」とか疲れ切ったような声を出した。次に立ち上がると腰をぐいぐいと回す。
さて、そろそろ来るぞ、来るぞ。
私は教科書を閉じるとこそっと机の端の方へと押し出す。
そして、、
「カノはこの本、読んだことある?」
何の前触れもなく、質問を浴びせられた。
その声は同級生にしては低くて、大人びているように感じる。黙って本を読んでいた時のような無表情ではないのだが、細くて切れ長の目はこちらを睨んでいるかのようにも見える。一言で言ってしまえば、人相が悪いのだ。
質問の主であるソーマは先程まで読んでいた文庫本の表紙を私に向けている。
私は表紙に目を近づけて、まじまじと見てみた。
赤い表紙の中央に『ラブコメ今昔』と書かれている。右上には和風の靴(草履なのか?正式名称がわからない)が描かれており、所々に紅葉が散りばめられているため、日本っぽいなんて印象を持った。タイトルのフォントと英語の文章が載っていることから、なんとなく一昔前の小説なのかと思った。昭和っぽい?という勝手な印象を持つ。
「『ラブコメこんじゃく』で読み方合ってる?読んだ事はまぁ、無いんだけど時代物なの?」
私は大抵、読んだ事はないと答える。
「こんじゃくで合ってるよ。意味はよくわからないけど。でも現代の話だよ。自衛隊のラブコメ」
「ふーん。自衛隊のラブコメね。面白いの?」
私は頬杖をつきながら言った。
「面白くない本なんてこの世には存在しないよ」
細い目を見開き、私の顔を正面から見据えるソーマの表情は、イタズラを叱る親のようだった。
私は地雷を踏んでしまったのかと一瞬身構えたのだが、ソーマは話続けた。
「これ面白いよ。僕は恋愛小説とか青春小説は読んだことはあるけど、ラブコメ小説は読んだことなかったからさ。小説でこんなにラブコメ!って感じで書けるんだね」
ソーマは手の中で本をいじりながら言う。
「?、ラブコメと恋愛は違うの?」
「僕の勝手な印象だけどね。ラブコメはラブアンドコメディだから、『キャー!ドキドキ』みたいな感じで恋愛は『しみじみ良いな』みたいな」
何を言ってるのかわからない。
「もっと詳しく」
「えー、うーん、、」
悩み始めた。ソーマはあれだけ本を読んでいるというのに、会話の中に擬音を入れたり、意味が曖昧な言葉を使うため、何を言いたいのかわからないことが結構あるのだ。
ソーマが悩んでいる内に補足しておくと、ソーマの成績は国語だけが良い。他の教科は並以下である。前に国語だけ勉強しているのかと聞いたら「なんか頭にスッと入ってくる」とか言っていた。
「ラブコメは主要人物が好き同士というのが前提なんだと思う」
考えがまとまったようだ。
「漫画だと特にわかりやすいと思うんだけど、そんな顔して見てたら絶対好きでしょ!とか、なんでそんなにドキドキしてて自覚ないんだ、とか明らかに意識してる描写が多いと思う。読む側はそこにヤキモキしたり、共感したりするわけだね。最初から好き同士じゃなくて、段々と好きになっていくパターンもある。というかそっちの方が多そうだけど、好き同士に向かっていくわけだ」
ふむふむ。
「じゃあ恋愛はと言うと、そこまであからさまな描写は無いイメージだね。だから、文章から登場人物の心情を読み取って、どう思ってるのか推察する。心情と言っても、実際に心の中として書かれることは、ほとんど無いと思う。なんらかの比喩が使われてたりとか、本心の代わりに風景描写があったりとか。作品と作家によるけどね」
「それじゃあ恋愛の方が読むのが難しいってこと?」
「いや、そういう訳じゃないよ。楽しみ方の違い程度に思ってくれると良いかな。例えば観覧車とジェットコースターじゃ楽しみ方が違うでしょ。でもどっちも高い所に行く。ゆっくり景色を見るか、猛スピードで流れる景色を見るかの違い」
ジェットコースターに乗って、景色を楽しむ余裕の無い私は一言物申したいのを堪えてつつも、ラブコメと恋愛の違いはなんとなくイメージできた気がする。
私が納得していると
「あくまでこれは僕の考えだから、あんまり当てにしないでね。考え方は人それぞれだし、全然違うって言う人もいるはずだから」
と言った。
「それで?『ラブコメ今昔』はどんな話なの?」
私は改めて聞いた。
こんな会話をしていれば恋愛モノを取り入れたくもなる。
ソーマは私が興味を示したことが余程嬉しかったのか、すぐ隣に椅子を置くとそこに座った。
近い。すぐそばにソーマの体温を感じ、私の体温も少し上がった気がする。
「これは短編集なんだよ。ジャンルはさっき言ったようにラブコメ。夫婦とかカップルのイチャイチャだったり、良い雰囲気の2人がくっついたりする話」
なるほど。先程のラブコメ論からして、最後はカップルが誕生して終わる感じだろうか。
「ネタバレしちゃうとそうだね。ほとんど、というか全部ハッピーエンドだよ。2人で苦難を乗り越えて、または問題を解決して〜みたいな。ちょっと特殊なのは登場人物が自衛官って所かな」
「自衛官って自衛隊のことでしょ。私、自衛隊ってよくわからないんだけど」
テレビの特集を何度か見たくらいだ。そういえば授業でも何かの映画を見た気がする。
「全然、平気だよ。僕も同じくらいしか知らないし」
ふーん。
「全部で6遍あるんだけどね。僕は『秘め事』が好きだなぁ」
『秘め事』。なんとなく妖しいタイトルだ。そういえば前にも似たような本を紹介されたような気がする。
「あ、谷崎潤一郎の『秘密』とは全然違うからね」
注釈が入った。
「これはねー、自衛官が上官の娘と内緒で付き合うって話なんだけどさ。もう無駄な所が無いんだよね。出会い、イチャイチャ、別れ、殴り合い、結婚の順で進んでいくんだけど」
「いや、殴り合いって何?」
思わずつっこんでしまった。
「殴り合いは殴り合いだよ。1人の女性をかけた男同士の殴り合い」
コイツは俺の女だ!的なやつだろうか。いきなり物騒なワードが出たものだから驚いてしまった。同時にどんな話なのか興味が湧く。
「もっと詳しく説明して」
ソーマはニヤッと笑うと詳しく話し始めた。
「主人公は手島っていう自衛官。パイロットをやってるし真面目なんだけど、女の子にはそんなにモテないタイプ。ヒロインは有希って女の子。手島の上官の水田三佐の娘。簡単に言っちゃうと、上司の娘と付き合っちゃったけどいつ打ち明けよう〜って話だね」
なるほど。だから『秘め事』。
「仲を深めていく2人なんだけど、結婚したばかりの同僚が訓練中の事故で死んじゃってさ。命を落とす危険がある自衛官が家族を持って良いのか?って手島は自信をなくしちゃうんだ。それで有希と別れようとしちゃう」
ソーマの話し方に熱が入ってくる。
「そしてここからがアツい!手島は悩み抜いた末に1人で父親に打ち明けることを決めるんだ。打ち明けた後は壮絶な殴り合いだよ!自衛官の上官と部下の殴り合い。僕はすごく胸が熱くなったよ」
しみじみと言うソーマ。
それにしても上官と部下が殴り合ったのか。恋敵とのケンカなら、よくありそうなパターンだけど、父と婚約者がケンカするという話は知らない。私は興味が湧いてきて段々と乗り気になってきた。
「それでどうなったの?」
「ここから先は読んでみて!」
満面の笑顔だった。
私はガクッと椅子から転げ落ちそうになるのを堪えながら抗議する。
「いや、そこまで言ったなら最後まで教えてよ。気になるじゃん」
「気になるなら読んでよ。貸すからさ。それにざっくりとしか話してないよ。初のお泊まりデートのシーンとか、読まないと良さが分からない所が盛り沢山だよ」
目をキラキラと輝かせながら本を私に押し付けてくる。私は不服そうな表情を作りながら本を受け取った。
『ラブコメ今昔』。
実際に手に取ってみるとビニール製の透明なブックカバーがかけられていた。シール等がどこにも貼られていないため、図書室のものでなく、ソーマの私物なのだろう。
「わかった。読んでみるよ」
私がそう言うとソーマは満足そうに頷いた。
そのタイミングで外からチャイムが鳴り響いた。私とソーマは同時に備え付けの時計に目を向ける。部活終了の時間だった。
「もうこんな時間か」
ソーマはそう言うと、エアコンのスイッチを切った。
私は出しっぱなしとなっていた教科書をカバンに入れてから、『ラブコメ今昔』が折れたりしないように、一番上の位置に入れた。
各々の帰り支度を済ませると図書準備室から出る。廊下は相変わらず暑かった。私の体は体温を下げるのに必死で汗を放出させるのだが、今だけはどうかやめてほしいといつも思う。
ソーマは暑そうな素ぶりも見せずに準備室の鍵をかける。
なんで全然平気そうなんだろう。
額に汗が浮かぶのを感じながら、恥ずかしい気持ちになる。ソーマの横顔をこっそりと見上げて観察するが、汗をかいている様子はない。
「ん、どうしたの?」
「なんでもない」
私はそう言うと顔を背けさっさと歩いていく。
ソーマは
「待ってよ」
と言って後から歩いてきた。
すぐにソーマは追いついたが、追いつく前に私はさっと額の汗を拭った。
鍵を職員室に返すと、そのまま昇降口へと向かった。部活を終えて帰宅する生徒が多くいて、ほとんどがジャージかユニフォーム姿だ。制服をしっかりと着ているのは私たち2人だけで、ペアルックみたいだと思った。
「じゃあ、また明日ね。『ラブコメ今昔』楽しんでね」
ソーマは手を振ると家に帰って行った。家が逆方向のため、私たちは正門で別れることになる。
生徒の大群の中、私はソーマの後ろ姿を見ていた。たった1人だけ制服を着ていて、見失うことはない。けれど、私はたとえソーマがジャージを着ていたとしても見失うことはないという自信があった。
ソーマが角を曲がり完全に姿が見えなくなってから、私は家路につく。
私はカバンの中の『ラブコメ今昔』に触れながら、私と貴女のラブコメはいつ始まるのだろうなんて思った。
・有川浩『ラブコメ今昔』角川書店2012.6
ビブリオジャンキー 赤井朝顔 @Rubi-Asagao0724
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