第24話 逃げろ
エルヴィラが起こした白炎。
燃え上げる炎が、人々の心に引火する直前。
ルドミラは、隣にいたクラウスよりも前へと進んで、大きな声を出してしまった。
遠く離れているけど、手を伸ばして母を掴もうとしていた。
「お母様! お母様!!」
燃え盛る炎の中にいる母には、その声が聞こえるはずもないのに、大声で泣きながら叫び続けた。
「くそ。しまった。お嬢様の反応が思った以上に」
注意していたのに、彼女の動きが想像以上に速かった。
運動神経が良いと思っていたが、ここまでだとは想定外。
クラウスは周りを確認しながら、彼女の口を塞いだ。
「ぐ・・・んんんん。・・・・ぐう」
「お嬢様。まずいです。周りの兵が・・・」
兵士たちの目がこちらを向いた。
見つかってしまったと思った瞬間。
処刑会場に大きな音が鳴る。
『バン!』
どこかが破裂した音がした後、人々の悲鳴と雄叫びの双方が鳴り響く。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」
民が兵と乱戦状態に入ったのだ。
同時に戦わない民は逃げまどう。
「きゃああ」「逃げろ逃げろ」「中央が荒れてる」
「早く外に・・・広場の外に」
悪女が残した言葉で、どうやら民の一部の心に火が点いたらしい。
それで、立ち向かう民の指揮の高さで、兵士たちも混乱した状態になり、武器を構えるのに遅れる。
「ここだ。俺たちも紛れるしかない。お嬢様、いきますよ」
「お。お母様! あああ」
慌てて逃げる民に紛れて、クラウスはルドミラを連れて行った。
◇
「くそ。まだ来てる! 思った以上にしつこいぞ」
「はぁはぁ」
二人で走って移動をするから、追いかけてくる兵士を引き剥がせない。
紛れ込むための移動に民を使ったために、抱っこなどをして移動が出来ない。
だから思った以上の速度を出せず、兵士を引き剥がせなかった。
「お嬢様。ここは、一か八かでいきます」
「え。な、なにが・・・」
「信じてください」
「・・・な、何をですか。ど、どうする気で」
「いきます」
クラウスは、途中で路地に入った。
ルドミラの手を引いて、わき道に入った途端に、彼女をお姫様抱っこをする。
この意図はおんぶした形だと、後ろからの攻撃に当たってしまうからだ。
傷がつくことを恐れての行動であった。
「きゃあ・・・え・・・く、クラウス?」
「しっかり抱きついて下さい。それに頭も。俺の胸の中に。お願いします。この状況だと。おそらくあなた様の傷までは気にしていられません」
無事は保証するが、傷が保証できない。
大切な御身を傷つけたくないから、クラウスは叫ぶように指示を出した。
「は、はい」
クラウスの口調が、丁寧な部分と荒々しい部分に別れている。
だからよほど切羽詰った状況なのだと、ルドミラでも思ったのだ。
「数は、七か。でもどうやって巻くか。いや、このまま突っ切った方がいいのか。あの乱戦・・・民の暴れ具合から言って、即座に鎮圧される恐れがあるな」
兵士対民の戦いは、圧倒的に民が不利。
今は、あの時の偶発的な行動によって、民が一瞬の有利状態を得たが、時間が経てば、あの広場の混乱は収まり、鎮圧されるはずなのだ。
だから一瞬で混沌になった今の状況こそが、ここから脱出するに、兵士の追跡が少ないと見た。
「混乱しているからこそ。今だな・・・・・お嬢様。このまま出ます」
「で、出る?」
「はい。王都を脱出して、逃げますよ。いいですね」
「ど。どこにです。私が逃げる場所なんて・・・どこにも」
「一つだけあるんです。エルヴィラ様があなた様の為に用意した場所です」
「お。お母様が!? そんな場所を?」
「ええ。だから信じてもらえますか。なんとしてでもそちらへお連れします」
「・・・わ。わかりました。お母様とあなたを信じます」
「はい」
本当はまだ泣きたい。
そんな気持ちが残っている彼女から伝わって来たのは、小刻みに震えている振動だった。
涙も声も出さずに、肩を震わしている。
健気な少女に、クラウスはこの人だけは守らねばと、全身に力を込めていく。
「はあああああ。食らえ」
露店の樽を一つ蹴り、敵の動きを止めた直後。
クラウスは加速。
最高速度で走っていくクラウスは、王都の東の門に向かって行った。
◇
東門。
強行突破を試みようとしているクラウスは、門兵が少ない事に気付いた。
通常ならば、十名は兵士がいる門付近に、配置されていたのは最低限の四名だった。
四名であれば、出入りをチェックできるからギリギリの配置で済ませそうとしているのが分かる。
「そうか。中央の騒ぎに応援に行ったのか。やはりチャンスはこの瞬間ってことか。さすがだ。デジャン」
デジャンが言っていた。
騒ぎで抜け出せるはずだとした言葉は、こういう事も考えての作戦だった。
混乱に乗じて逃げ出すことが可能であったのだ。
「四ならいける。突破だ」
数が多かったら別な事を考えていたが、少ないなら東門からでいい。
本当は北の門から行きたかったが、背に腹は代えられぬ。
「お嬢様。俺にしがみついてください。多少揺れます」
「う。うん」
幼い子供のような返事が返ってきて、少し心配したが、クラウスは左手で彼女を抱きしめて、右手のみで、門兵との戦いに臨んだ。
クラウスから見て、一番手前の兵が叫び。
「止まれ! そこの黒髪」
「止まれたら、止まってるわ」
最初の一人にいきなりの前蹴り。
躊躇していた分、兵士の反応が遅れていたが、ここでずっと追いかけてきた兵士の声が届いた。
兵士の叫び声が指示となる。
「そいつが持っているのは、悪女の子だ。捕らえろ」
「「「なに!?」」」
三名の兵士が臨戦態勢を整えて、武器を構えた。
しかし、クラウスが止まる事はない。
「この方は悪女の子じゃない! 女神の子だ!!!」
腰にある剣を抜き、クラウスは兵士の横に体を置いた。
敵の利き腕は逆の左側からの横一閃の攻撃で相手を切った。
遠慮のない攻撃は深手となるだろう。
「ぐはっ・・・」
「あんたらは兵士なんだ。覚悟しておけ」
前に暴れた時の相手は、大貴族の警備たちだ。
あれは兵じゃない。あれは金で雇われた傭兵のような動きだった。
覚悟が足りない雰囲気があったのだ。
しかし、今回の門兵は、正規軍の兵士たちであるからにして、戦いの覚悟があるはずだ
斬って斬られる覚悟があるはず。
だから、クラウスは、完全な敵と見なして、容赦をしなかった。
「「バイナ」」
二人の兵士たちは仲間を気にしながらクラウスに向かってくる。
「まだ死んでない! 治療すれば治せるぞ」
「なに。本当か」
「馬鹿。敵の言う事を聞くな。エルス」
「あ。そうだった」
クラウスは、この会話でまだ未熟な兵だと判断。
襲い掛かる二人の兵士の武器を落とすことに決めた。
左の兵士は、右利き。右の兵士は、左利き。
クラウスから見ると中央に武器が集まっているように見える。
「何故逆の配置で来ないんだ。左右の外から、俺を攻撃すれば、惑わせるのに?!」
敵の未熟さは攻撃方法でも分かった。
重なり合う武器に対して、クラウスは剣一本で対抗。
二対一の武器の鍔迫り合いが起きるかと思いきや、二対一でもクラウスの方が腕力があった。
押し込みも一瞬で終わって、敵の兵士の武器を弾いた。
「仕事中、悪い! ここを通るぞ!」
二人の隙間を縫うようにして、走り抜けた。
「ま。待て」
「あ、しまった」
東の門は無事に突破できたクラウスだった。
◇
逃げる方向が意図せず東になってしまったクラウスが北の門を行きたかった理由。
それは、北にあるロコン森林地帯に一気に突入したかったからだ。
森の中を走っていければ、目立つことはあまりない。
木々が邪魔をして、身を守ってくれるだろうと考えていたのだ。
しかし、それは叶わず、脱出する事に重点を置いてしまった。
だから、クラウスは、判断ミスをしたわけじゃないが、危険に陥っていた。
王都の東側は、見通しの良い平地なのだ。
「くそ。騎兵かよ」
人対馬。
いくら足の速いクラウスでも勝てるわけがなく、あっさりと追い付かれた。
騎馬が五。
しかし、付近に来たのは三だった。
後ろの二つは、全体を追いかける形を続ける。
「ならまだ」
「止まれ。その女は、悪女の子だな」
「だったらなんだ。殺すとでもいうのか」
「当然だ。その女は邪魔だ」
身なりの良さそうな兵士は、殺すと言い切った。
ルドミラの体が少しだけ震える。
王女でも、殺される運命なんだと思うと、恐怖が体を支配した。
「そうか。じゃあ、あんたらは、クソジジイの部下か」
「クソジジイとはなんだ。貴様、ハイスディン様を侮辱するな」
「は! バカが。俺はクソジジイとして言ってねえ。ハイスディンとは言ってねえぞ」
兵士の顔が赤くなる。
「な!?」
「お前がそう思ってんだろ。あのジジイがクソだってな」
「貴様」
頭に血がのぼって、動作が大きくなる。
クラウスはその瞬間を逃さない。
「お嬢様。俺を抱きしめて、離れないでください」
「え・・・はい」
ルドミラはクラウスの首に手を両腕をかけて、自分を固定した。
「いくぞ。このバカ兵士」
馬が並走してくる瞬間に、クラウスは抱っこしているルドミラを支えながら真上に飛びあがった。
そこから体を回転させて、足蹴りで馬から突き落とす。
そしてさらに空中でバランスを整えて、その馬を奪取した。
「よし。来た!」
「ぐあああああ。な、なに・・・俺の馬が・・・」
馬に乗ったと同時に、クラウスは馬もルドミラも両方を落ち着かせて、見事な制御で前へと進んでいった。ただし、二人分の重さになったので、囲まれやすくなっていた。
両脇に敵が来た。
「くそ。まだ来るか。そうだ。お嬢様、馬に乗ってもらえます」
「は、はい」
ルドミラは抱っこの姿勢じゃなくて、馬にまたがる姿勢になる。
やはり彼女は運動神経が良いようで、いとも簡単に難しいことをやってのけた。
その動きの間に敵が息を合わせてきた。
左右の騎馬の兵士が、槍での攻撃のタイミングを合わせる。
「槍か。厄介だ」
さっきの敵は剣だったので、射程を気にせずに攻撃が出来たが、今度は槍。
制する距離が違うので、クラウスは後手に回る。
自分の首を後ろに傾けて、彼女の首を前へ押し込んだ。
二つの槍が目の前を交差して通り過ぎる。
「え。なに。なに!? 頭を押してるのは、クラウスなの??」
ルドミラの方は前しか見えていないために、自分の後頭部に槍がある事に気付いていない。
「はい。そうですけど、振り返らないでくださいね」
「・・・わ、わかりました」
素直でいい子だと思ったクラウスは、左右の敵を横目で見る。
「ちっ」
「器用な男め」
兵士が息を合わせた。もう一度同じ攻撃をするために槍を引いたのだ。
そこで、クラウスは自分の剣を抜いて、二度目の攻撃を捌く。
攻撃範囲の違いを理解しているクラウスは、そもそも攻撃する予定じゃない。
剣を構えた狙いはたったの一つ。
槍の穂だった。
穂を支える柄の部分を切り落として、それを剣で弾く。
相手の馬に直撃させた。
「うわ・・・ぐああああ」
「こっちもだと・・しまっ」
左右に来た騎兵から馬を脱落させる。それがクラウスの狙いだった。
作戦通りに行ったと安心したのもつかの間。
後ろの騎馬に注意を割いてなかった。彼らは弓騎兵だった。
「ん!? しまった。これは」
クラウスが手綱を握りながら、ルドミラを抱きしめる。
「ぐっ」
歯を食いしばってから、クラウスが急げと馬に合図した。
全速力のままで、森の中を走る。
「く、クラウス。木々が・・・」
「ええ。でも申し訳ないです。ここは全力で」
怖いだろうけど、ここは逃げ切らないと意味がない。
クラウスは可能な限り馬を走らせる。
二つの馬の足音が遠ざかっていく所で、自分たちの馬が木の根に足を滑らせて転んでしまった。
「きゃああああああ」
「ぐっ。お嬢様だけは」
クラウスは、放り出されてしまったルドミラを抱きしめて、転がっていった。
近くの木にぶつかって止まった二人。
クラウスのおかげでルドミラは無事だったが。
「いたたた。クラウス。クラウス? あれ」
「ええ。大丈夫ですか」
「血です。大丈夫ですか。それに汗が・・・」
口から流れる血に、汗が噴き出ている。
ルドミラが心配して、クラウスをよく見ると気付いた。
「クラウス。せ、背中に矢が!?」
「ええ。まあ。これくらいは大したことないですよ」
「そんなことはないです。だって、顔色が。クラウス。大丈夫ですか」
自分を守るために、常に背中を敵に見せていたから、自分のせいだとルドミラは取り乱していた。
「ちっ。ここはまずい。走ります。馬がもう」
倒れている馬を置いて走り出そうとした。
だが、敵の音は近づいていた。
「ゆっくり来てたのか。そうか。遅く来ても俺の怪我を見て・・・間に合うと思ったな」
矢が入ったことで、弱るはず。
敵の抜け目のなさは、ここに来て痛いものとなっていた。
「お嬢様、ここから走って逃げますよ。いきますよ」
「はい。でもクラウスは」
「大丈夫。俺も走りま・・・」
クラウスの足がふらつく。思った以上のダメージが入っていた。
「私が。私が支えます。一緒に走りましょう」
「駄目です。これだと俺が足手まといだ。お嬢様。北に行って、ニノの名前を使って逃げてください。赤いスカーフを持っている人たちは全員仲間です。それを目印に。お願いします」
「嫌です。それだとあなたが死ぬみたいでいやです。一緒に逃げましょう」
「ええ。大丈夫、俺は一人でも大丈夫です」
「そうじゃなくて、私はあなたと一緒に・・・だって、信じられるのはもうあなたしか・・・」
「大丈夫。まだ仲間がいますから。俺を捨てても、大丈夫です」
「嫌です。私は、もう誰とも離れたくない」
駄々をこねるなと、クラウスは𠮟りつける。
「我儘を言うな。ガキンチョの癖に、とっとと行け。俺を置いていけば、助かるんだ」
「嫌です!」
「駄目だ。あんたは生きなきゃならん。エルヴィラ様の意志を継がないと」
「嫌です! 逃げるなら一緒がいい。それに戦うなら私も!」
「何!? あ。待て」
「クラウスは死んだふりをお願いします」
「え?」
「お願いします」
クラウスの腰にある剣を抜いて、ルドミラは構えた。敵が来るのは向こう正面。
だったら木の影にいれば見つからないと、隠れて様子を窺った。
「いたぞ。奴だ」
「矢が二本当たってるからな。それで倒れないなんて人間じゃない」
「ああ。確認しよう」
二人が馬から降りて、クラウスに近づく。
それが、不用意な形であった。
死んだように倒れているから、彼らは木の棒でクラウスを突く。
反応がない。だから今度は息を確認して、微かにでもあるならば、ダガーで喉を割こうとした。
ゆっくりと顔を近づけて、呼吸音を確認しようとした瞬間。
「悪いな。死ぬには早いらしい」
「何。生きてる!?」
クラウスは敵のダガーよりも先に、手を動かして、敵を鷲掴みにした。
そこからひっくり返すように動かすのだが、そこにはもう一人の敵もいる。
伸ばし始めるダガーの攻撃がクラウスを捉える所で。
「ああああああああああ」
不格好な叫びと共に、おぼつかない剣が敵の背中を斬りつけた。
「が・・・な、なに。逃げたんじゃないのか・・・この悪女の子・・・め」
「誰が逃げてやるもんですか。なんで、あなたたちに私は! この! クラウスから離れろ」
怒りが彼女の動きを良くしていた。
斬りつける手はおぼつかなくても、剣筋が悪くても、剣閃は速かった。
ふらつくのに速い。不思議な一刀が、クラウスを攻撃しようとしていた敵の腹に入った。
「ぶはっ・・・こんな女に? こんな貴族の小娘なんかに」
「や、やった・・・うっぷ・・・ぐっ・・・おえええええ。ひ、人を斬っちゃった。感触が・・・ああああ」
訓練もした事のない。ただの女の子が、斬り合いをしたのだ。
実戦経験があればまだ耐えられるけど、今は難しいだろう。
「お嬢様。しっかりしてください。ここは忘れましょう。まだ窮地の中です。た、立ち止まってはいけない」
「・・わ・・・わかりました。き。気持ち悪い・・・・でもそうですよね」
「はい。これなら、血をばら撒いて、攪乱して」
行き先を分かりにくくして、クラウスはルドミラを連れて北へと向かった。
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