第2話 井戸の記憶へ
台所シリーズ 第3部 「台所がせかいをかえる」
――妙蓮寺―― 第2話「井戸の記憶へ」
「新年会しよう。」
札幌の地下道、通称チカホのベンチで、ふたりだけの新年会は静かに始まっていた。
そして、
「四間通?」
と響香がたずねると、伸子は名古屋の四間通(しけみち)についてゆっくりと説明をしてくれた。
ふたりはランチをとることも忘れて、江戸時代の文化について話し合った。
伸子が「井戸を見たことある?」と聞くと、響香は、駅の帰り道で目にしていた井戸の話を思い出して語った。
「どこ?」と伸子が重ねて聞き、「妙蓮寺」と響香が答えた。
「妙蓮寺? 」
「駅名よ。『きくな(菊名)』って駅があって、その次が妙蓮寺。駅名がそのままお寺の名前って、そう言われてみれば、ちょっと不思議ね。」
高台と感じさせない高台にあった、懐かしい小学校の校歌を――響香は誰に聴かせるでもなく、そっと口ずさんだ。
「♬近くに見えるは横浜みなと~ ♬遠くに見えるは、真っ白い富士山~。」
その旋律が導くように、駅前の風景は、いつしか懐かしい教室の記憶へとつながっていった。
お腹が空いたふたりは、コンビニでパンを買った。偶然にも、どちらも細かいお金がなく、同時に一万円札を出した。どちらの札にも、新しい渋沢栄一の顔が描かれていた。
やがて響香は、「みょうれんじ」と口に出してから、ぽつりぽつりと、記憶の中からその名にまつわる語りを掘り出しはじめた。
それは、伸子の長い旅の物語が滝のように流れ落ち、深い滝壺に沈み、やがて静かに地下を伝ってゆく水となり、
どこか遠い下流で、新たな源流を生み出すような時間だった。
それはまた、過去という海へと注ぐ、最初のしずくのようでもあった。
響香の記憶の中に静かに佇む、妙蓮寺の井戸。
彼女は、自分と井戸を戦前の焼け野原に置き、想像の中で百年の時間をゆっくりとさかのぼった。
響香の語りのひとしずくは、静かに滴り落ち、小さな輪を描いて泉に溶けていく。
「渋沢栄一って、小学四年の社会で、“地元の鉄道を先導した人”って習ったの。
だから、日本のお札になるって、ちょっと実感わかなかったけど……」
「でも、横浜が日本の水道インフラの起点だったことは、間違いないわ」
と、伸子が静かに言う。
そして渋沢栄一は、「人・物・情報の流れ」が全国で活性化されることで、国全体が豊かになる――そう、信じていた。
『論語』の道徳と、『算盤(そろばん)』の経済。
その両者を調和させてこそ、ほんとうの繁栄がある――。
一滴の水が静かに消えたかと思えば、また二滴、時をおいてぽつりぽつりと落ちる。
チカホのベンチで、響香の語りは静かに、つづいていった。
――横浜初の近代水道。
――関東大震災の焼け野原。
――戦後の焼け野原。
二度の荒廃を越えて人々が集った場所。
それは、小学生のころ、響香が見た、妙蓮寺の井戸に違いなかった。
水道のない時代、井戸は暮らしの中心であり、語り合いの場でもあった。
「井戸端会議」という言葉があるくらいだ。
「こんなところに水道があったら……」
そう誰かがつぶやき、みんなで夢を語り合ったのだろう。
「東京は遠すぎるし、いろんな利権も絡んでる。
ならば、まずは横浜に」
そうして、日本の近代水道が静かに動き出した。
もちろん、もっと昔から水の仕組みはあった。
名古屋城の四間道に見られるように、火災対策や防災のための水利が。
きっと、あれもまた、始まりの一滴だったのだ。
渋沢栄一と寺の住職が、妙蓮寺の井戸の前で「どこでも水が飲める社会を」と語り合ったのかもしれない――そんな情景がふと頭に浮かんだ。
妙蓮寺と横浜・関内は、意外なほど近かった。
距離にして、わずか約6キロ――馬車なら、1時間もかからないほどの道のりだ。
横浜・関内。関所の内側に築かれたその地は、かつて――いわば「外国」だった。
そして、そこには確かに、「当時の未来」があった。
電気が灯り、舗道が整い、水道管がとおっていた。
異国から届いた鼓動が、地中を伝って、静かに息づいていた。
そんな時代の底流で、
だれからともなく、関内と妙蓮寺をつなげたいという想いが芽吹いていたのかもしれない。
――栄一「住職、この井戸の水は、いいですね」
――住職「この土地、活かしてくれませんか?」
――栄一「かなえますよ」
――住職「お願いしますよ」
1926年、妙蓮寺駅の完成。
宗派をこえた偉人ふたりの会話は、響香と伸子の創作。
もしかしたら――
最初にその駅を思い描いたのは、渋沢栄一だったのかもしれない。
この土地を提供した住職とともに、晩年の栄一氏が完成式に立ち会っていた……そんな想像すらできる。
関東大震災の爪痕が、まだ街のあちこちに色濃く残っていた頃。
関内は、横浜近代の中心地として、一歩先の歩みを進めていた。
井戸の前の「井戸端会議」から始まった小さな水への願いは、
やがて横浜全域へ、そして江戸から変わる東京へ、名古屋へ――
もしかしたら、蝦夷と呼ばれた北海道にさえも届いたのかもしれない。
そうして、その願いは、日本全体のインフラの礎となっていったのだろう。
「そんなこと、これまで考えたこともなかった。でも、響香さんと話していると――ほんとうに、そう思えてくるの。」
そう言った伸子に、響香は微笑んだ。
響香の語る妙蓮寺の過去に惹かれながら、伸子は静かにかばんを開け、iPadを取り出した。
地図アプリを開き、「妙蓮寺」と指先で検索を始めた。
一滴の過去の幻想と、語られなかった旅の報告が、
ふたりの日常の中で、そっと未来の音を奏ではじめていた。
*注釈
※四間道(しけみち)
名古屋市の旧市街に位置する歴史的街並み。江戸時代、火除けのために道幅を「四間(約7.2メートル)」に広げたことが名前の由来。防火と物流のための井戸や蔵が残る。
※渋沢栄一(しぶさわ えいいち/1840年〜1931年)
日本の実業家・思想家・官僚。「日本資本主義の父」と称される。
生涯で約500の企業、600の社会事業・教育機関の創設に関わり、その理念は『論語』に代表される道徳思想と、現実的な経済活動(算盤)との調和にあった。
たとえば、東京横浜電鉄(現・東急東横線)などの鉄道事業においても、単なる交通インフラではなく、「人・物・情報の流れ」を生む社会の血流として重視した。
彼の信念は、「道徳なくして経済なし。経済なき道徳もまた空虚なり」という言葉に集約される。
2024年夏、渋沢栄一が日本の新一万円札紙幣の肖像になった。
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