第三話 這い寄る混沌、千の貌の対抗策
『面白い。実に、面白い』
ナイアルラトホテップがその本性を現した瞬間、戦場の法則は、完全に書き換えられた。
這い寄る混沌の神が、その悪夢をそのまま具現化させた、プライベートな地獄。
地面は、脈打つ臓物のようにぬるつき、空からは、鋭利なガラスの雨が降り注ぐ。重力は気まぐれに反転し、屈強な戦士たちが、赤子のように宙を舞っては叩きつけられた。
「ぐっ……! 我が拳が、空間に呑まれる……!?」
酒呑童子が放った渾身の一撃は、敵に届くことなく、目の前に開いた歪んだ穴へと虚しく吸い込まれていった。
「風が……! あやつの前では、ただの吐息にも満たぬというのか……!」
大天狗が巻き起こした神風も、無意味な方向へとねじ曲げられ、霧散していく。
機械がしゃどくろは、その回路をめちゃくちゃにされ、ショートを起こしながら痙攣している。
神話連合軍は、赤子の手をひねるより容易く、無力化された。
それは、力の差ではない。次元の差。
三次元の理屈で戦う者たちが、四次元の悪意に、為す術もなかったのだ。
「……ククク、ハハハハ! そうじゃ、それでこそ混沌! 素晴らしい! 滅ぼせ、滅ぼせ! 全てを無に還すがよい!」
【混沌の門】の跡地で、ババ・ヤーガが、我がことのように歓喜の声を上げる。
このまま、全ての物語が、意味のない狂気に呑み込まれて終わるのか。
誰もが絶望に膝を屈しかけた、その時。
「——チッ。やってらんない。やっぱ、旧世代のインフラは、セキュリティがザルすぎるんだよね」
デジタルの幽霊・ポリィが、ただ一人、平然と宙に浮かびながら、高速で指を動かし、不可視のコンソールを操作していた。
「ねえ、おばあちゃん。プランBだよ。奴の
「……なんです、その無茶苦茶な理屈は」
玉藻前は、ポリの思念を受け取りながらも、そのあまりの突飛さに眉をひそめる。
「奴が世界のOSにルートキットを仕掛けるなら、こっちは、
その言葉に、玉藻前の九つの尾が、ピクリと反応した。
彼女は、このデジタルの小娘がやろうとしていることの、その本質を理解した。
——狂気に対抗しうるのは、もう一つの、強固な『虚構』だけである、と。
玉藻前は、戦意を失いかけている連合軍へと、その妖艶な声で檄を飛ばした。
「——いつまで、そうして膝を折っているのです! 力自慢の殿方!」
「この戦いは、もはや、破壊の力では勝てませぬ! 必要なのは、世界を『創る』力! この中に、自らの存在そのもので、『境界』を定め、『領域』を創り、『居場所』を祝福する者はおりませぬか!」
その呼びかけに、戦士ではない、別の妖怪たちが、ハッと顔を上げた。
「——俺だ……。俺は、壁だ。内と外を、隔てるのが、俺の理……!」
巨大な壁の妖怪、ぬりかべが、前へと進み出る。
「……家が、あれば……幸いを……もたらす……」
東北の古民家から、いつの間にか紛れ込んでいた、童子の姿をした座敷わらしが、おずおずと手を上げた。
「山ヲ……ツクリ……湖ヲ……ウメ……国ヲ……引イタ……」
闘技場の片隅で、その巨体を持て余していた、伝説の巨人、だいだらぼっちが、ゆっくりと身を起こす。
彼らは、戦闘には不向きな、しかし「世界を定義する」ことに特化した、創造の妖怪たちだった。
「よろしい。皆の者、わたくしに力を!」
玉藻前の号令一下、創造の妖怪たちの力が、一点へと集束する。
ぬりかべが、混沌の地獄の中に、不可侵の「壁」を定義する。
だいだらぼっちが、その壁の内側に、安定した「大地」を創造する。
座敷わらしが、その大地に、「ここは安全な我が家である」という、祝福の概念を付与する。
そして、その強固な土台の上に、玉藻前とポリィが、新たな「法則」を上書きしていく。
「奥義——【千の貌持つ、常世の楽園】!」
混沌の地獄の、その中心に。
ぽっかりと、一つの、穏やかな「舞台」が出現した。
そこだけは、重力も、空間も、時間さえもが正常に機能している、絶対安全な聖域。
混沌の法則を、一時的に無効化する、仮想現実の檻。
「さあ、殿方!」
玉藻前の声が響く。
「舞台は整えましたわ! あとは、主役のあなたたちが、思う存分、踊り狂うだけですわよ!」
その「舞台」の上で、酒呑童子が、大天狗が、アレスが、再び、その全身に力を漲らせる。
自分たちの力が、再び、世界に届く。その確信が、彼らの闘志を再燃させた。
『……ほう。我が混沌の中に、秩序の『巣』を創るとは』
ナイアルラトホテップが、明確な興味と、そして侮蔑ではない純粋な敵意を、はじめて、その小さな「舞台」へと向けた。
『——その矮小な理ごと、噛み砕いてくれるわ!』
無数の触手と、叫び声を上げる顔の奔流が、たった一つの、小さな聖域へと殺到する。
対する連合軍の英雄たちは、その限られた舞台の上で、全存在を賭けて、宇宙からの侵略者を迎え撃つ。
【神異大戦】第一回戦は、最終局面へと突入した。
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