​第六話 土塊の真理、蜘蛛の怨念

 ​ズウン……!


 先に動いたのは、ゴーレムだった。


 その歩みは遅いが、一歩一歩が闘技場の地面を揺らし、絶対的な質量が持つ暴力を周囲に撒き散らす。感情のない瞳は、ただ目の前の敵を「破壊する」という命令だけを映していた。


​「行ったァ! ゴーレム、沈黙の進軍! あの巨体、まともにぶつかれば木っ端微塵だぞ!」


 ​対する土蜘蛛は、その場から動かない。


 ただ、その身に宿る幾千幾万の怨念が、ザワザワと不協和音を奏でている。


 ゴーレムが拳を振りかぶり、山を砕く一撃を放とうとした、その瞬間。


​「——愚直なる土塊よ」


 ​土蜘蛛の口から、地の底から響くような、重い声が発せられた。


「千年の恨み、その身で味わうがいい」


 ​パァン!と。土蜘蛛の背中から、無数の子蜘蛛が一斉に弾け飛んだ。それはまるで、黒い津波。子蜘蛛の群れはアリーナを瞬く間に覆い尽くし、進軍するゴーレムの全身へと殺到する。


 客席からは、空気が張り裂けるような悲鳴が上がり、恐怖が伝搬する。


 ​ガジガジガジ!


 チリチリチリ!


 子蜘蛛たちは、ゴーレムの岩石の体に張り付き、その硬い装甲を牙で削り、酸性の糸で溶かそうと試みる。


​「おおっと! これは数の暴力! 土蜘蛛、子蜘蛛の軍勢を展開してゴーレムの動きを封じる作戦か!?」


 ​しかし、ゴーレムは足を止めない。


 その身を覆う子蜘蛛たちを気にも留めず、ただ前へ、前へと進む。その額に刻まれた「emeth真理」の文字が、淡い光を放っている。


​「無駄だ」


 ババ・ヤーガが、吐き捨てるように言った。


「ゴーレムは痛みを感じぬ。傷つけば、その場の土を取り込んで自己修復する。そして、その額の文字が輝く限り、主の命令を遂行し続ける、ただの『真理』の化身。小細工は通じぬと言ったはずじゃ」


 ​その言葉通り、子蜘蛛たちの攻撃は、ゴーレムの分厚い装甲を突破できずにいた。それどころか、ゴーレムは振り上げた拳を、自らの体に群がる子蜘蛛ごと、地面へと叩きつけた。


 ​ドゴォォォン!!


 ​凄まじい衝撃が走り、アリーナが大きく陥没する。

 叩き潰された子蜘蛛たちは、怨念の霧となって消滅した。


​「グ……ヌゥ……!」


 子蜘蛛たちの死は、土蜘蛛本体にもダメージを与える。その巨体が、苦痛にわずかに震えた。


 ​「……やはり、力押しでは分が悪いか」


 日本妖怪サイドの観客席後方。


 フードを目深に被った一人の青年が、冷静に戦況を分析していた。彼は、土蜘蛛と契約を交わした巫、在野の歴史研究家・つかさだった。


 彼の瞳は、他の観客のように戦いの熱気に浮かされることなく、ただひたすらに、敵であるゴーレムの動き、構造、そしてその弱点を観察していた。


​『神懸かみがかり


 司の思考が、契約を通じて土蜘蛛へと流れ込む。


 それは、桜子のような感情の爆発ではない。蓄積された知識と、冷静な分析に基づく、純粋な「情報」の奔流。


​(土蜘蛛よ、聞こえるか。ゴーレムの伝承によれば、その力の源は額の『emeth真理』の文字。だが、そのかしらの一文字を削り取り、『meth』に変えれば、活動を停止するはずだ)


(……小僧。我とて、それくらいの伝承は知っておるわ。だが、あの巨体の額まで、どうやって近づくというのだ)


 土蜘蛛の苛立った思念が返ってくる。


​(近づく必要はない。あなたの糸で、削り取ればいい)


 ​司の言葉に、土蜘蛛は一瞬、動きを止めた。


 己の糸は、敵を絡め取り、動きを封じるためのもの。それで岩を削るなど、考えたこともなかった。


​(……正気か? 我が糸は、そこまで硬質ではない)


​(いや、できるはずだ。あなたの怨念は、ただの感情ではない。歴史から抹消され、虐げられた者たちの『無念』という名の、凝縮されたエネルギーだ。それを、一本の針へと収束させろ。あなたの無念の全てを、一点に集中させるんだ!)


 ​司の魂からの叫びが、土蜘蛛の心の奥底に眠っていた、ある種の誇りを呼び覚ました。


 我は、ただの化け物ではない。


 民を愛し、土地を守り、そして理不尽な「正義」に滅ぼされた、大和の王。


 その無念、誇り、その全てを、この一撃に——。


​「オオオオオオオオオッ!!」


 ​土蜘蛛が、天に向かって咆哮した。


 その口から、一本の、禍々しいまでに黒く、そして、星の光さえも吸い込むかのように鋭利な糸が、射出される。


​「秘術——【建御名方タケミナカタノ《》怨嗟えんさ】ッ!!」


 ​その名は、かつて大和の神々に敗れ、国を追われた古の神の名。


 土蜘蛛が放った怨念の糸は、もはや糸ではなかった。それは、空間そのものを切り裂きながら飛翔する、呪いの槍。


 ​ゴーレムは、その脅威を認識できない。


 主の命令は「敵を破壊せよ」。ただ、それだけ。

 無防備に前進するゴーレムの額へと、黒い凶星が迫る。


​「いけぇぇぇぇぇぇっ!!」


 司が、初めて感情を爆発させた。


 空気を切り裂く、小さな音が鳴る。怨念の糸は、ゴーレムの額に刻まれた「emeth」の最初の「e」の一文字だけを、寸分違わず正確に削り取った。


 ​ピタリ、と。ゴーレムの動きが、完全に停止した。


 振り上げられたままの拳。踏み出しかけた足。全てが、まるで映画を一時停止したかのように、その場で固まる。


 額の文字は、今や「meth」へと変わっていた。


​「な……なんだ……? 何が起こったんだァッ!?」


 一つ目小僧が混乱する中、白澤が静かに告げる。


「……真理は、死んだのです」


 ​次の瞬間、ゴーレムの巨体は、その形を保てなくなり、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、ただの土塊の山へと還っていった。


​「勝者、土蜘蛛ィィィィッ!! これで日本妖怪、怒涛の三連勝だァッ!」


 ​歓声の中、土蜘蛛は静かに傷ついた体を引きずり、ゲートへと戻っていく。


 司は、誰にも見せることなく、そっと胸を撫で下ろした。彼の瞳は、すでに次の戦いを見据えていた。この勝利は、始まりに過ぎないのだと知っていたから。 

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