第5章「都市の中の都市」Part C:意志の臨界
ミラの案内で進んだ先は、都市構造の更なる深部だった。
情報層の末端——通称〈静域〉。
そこは通信網の旧設計区域が放棄されたことで、現行ネットワークの監視網からも外れた領域だった。
不規則に点滅する制御灯と、廃棄されたノード群。すべてが死んでいるように見えて、かすかに動いていた。
通路の床は古い鋼鉄板で敷き詰められており、ところどころに亀裂が走っていた。亀裂から覗く下層の空間には、青白い光を放つ未認識の機器が沈黙しており、かすかなノイズが周期的に響いていた。
壁面には数十年前のセキュリティパネルがひび割れた状態で埋め込まれ、誰も開けたことのないメンテナンスハッチが無数に連なっている。
天井にはケーブルが幾重にも這い、湿気を帯びた滴がぽつり、ぽつりと落ちてくる。
この領域全体が、都市の意識から切り離されたまま、深い夢を見ているような空気をまとっていた。
「本来なら、誰もここに入れないはず。でも最近、妙な反応がある。おそらく“あの連中”が嗅ぎつけた」
ミラの声が、わずかに緊張を含む。
その予感は、正しかった。
警告音が空間を切り裂いた。
視界の右端、黒い塵を伴って動く複数の影。赤い光のスリットが一瞬、網膜を焦がす。
「ドローン——いや、殲滅仕様……!」
ヴィクトルが即座に壁際に身を滑らせ、隠し持っていたマグランチャーを構える。
ミラも身を伏せ、端末で遮蔽シグナルを展開した。
ハルは動けなかった。
震える脚。心臓の鼓動だけが、鼓膜を内側から叩いている。
(あれを使えば……でも)
記録を思い出す。暴走しかけた力。意思とは別に反応した何か。
それが再び起きれば、ミラもヴィクトルも巻き込んでしまうかもしれない。
だが、迫る敵影は迷わなかった。
天井の換気孔から放たれた光弾が床を抉り、火花が走る。
コンクリ片が飛び、壁のパネルが焼き切られる。
「——下がって!」
ミラの叫びと同時に、何かがはじけた。
ハルの視界にだけ、世界の層がめくれたように見えた。
色、光、音、重力。そのすべてが歪み、粒子のように分解されていく。
時間が遅れたのではない。世界の“仕組み”そのものに干渉する感覚。
(これが……俺の)
意識を研ぎ澄ます。
次の瞬間、ハルの周囲を光の縁取りが覆った。
地面から浮かび上がるように、波打つ光紋。
敵ドローンが反応し、武器を向けた。
四脚型の機体は金属音を立てて姿勢を変え、その胴体に組み込まれたレーザーポートが赤熱する。標的を定めた視線のようなスリットが、ハルに狙いを定めていた。
だが、間に合わなかった。
ハルの手が、一閃した。
手のひらから放たれた光は、粒子化した刃のように滑るような軌道で走り、空間そのものを断ち切るように敵機を裂いた。
炸裂音とともに、装甲がめくれ、内部機構がむき出しになる。その直後、ドローンは火花を撒き散らしながら膝を折り、崩れ落ちた。
次の一機が側面から回り込んでくる。関節駆動部が回転し、展開型の銃口が伸びる。
ハルは即座に反応した。足元の床材を踏み込み、体勢を低くしながら左腕をかざす。
そこに浮かぶのは、無数の光子が編まれたような防壁。
銃口から放たれた光束は、防壁に接触した瞬間に散乱し、周囲の壁面へと飛び散った。爆発音。高熱による焼け焦げた金属臭が空間に広がる。
「くそ、追撃が早すぎる!」ヴィクトルが叫ぶ。
彼の砲撃が一機を掠め、片脚を吹き飛ばしたものの、即時再調整された機体は跳ねるように再起動していた。
ミラは端末を操作しながら空間の地形データをハルのHUDに送信する。「右の壁面、冷却管の裏に抜け道がある! 誘導できれば、囲める!」
「了解!」
ハルは応じながら、足元を滑らせるように前進。敵の照準を自身に引きつけるよう、あえて開けた場所へと出る。
誘導された敵の一機が通路に飛び込む。
その瞬間——ヴィクトルのマグランチャーが放たれ、天井を支える構造材を撃ち抜いた。
崩落する鉄骨と配線が敵機を押し潰す。
「三機撃破、残り二!」ミラの声が跳ねた。
しかし残る一機は他と明らかに挙動が違った。人型に近い構造。高機動仕様。
その機体は壁を蹴り、天井を這い、音を断つように移動していた。
(あいつは……前のよりも、早い)
追いつけない。
そう思った瞬間、ハルの目が、ふと別の動きを捉えた。
視界の端で、粒子の流れがねじれたように見えたのだ。
——読める。
思考ではなく、反射神経に近い何か。
ハルは視線を逸らさず、呼吸をひとつ置き、そして跳んだ。
ドローンが放った斬撃の軌跡をすり抜け、その腹部へと掌を突き出す。
瞬間、爆ぜた光とともに、敵機の動きが硬直。
内部から起動中の演算機構に干渉する何かが、敵の“時間”を凍結させたようだった。
「今だ!」ヴィクトルの叫びが重なる。
マグランチャーの一撃が、敵機の頭部を粉砕した。
残る一機は、崩落と混線に巻き込まれて行動不能となっていた。
——戦闘、終了。
しばし、空間に静寂が戻る。
焦げた配線の匂いと、残光のように漂う粒子の気配が空中を満たす中、ミラはようやく立ち上がった。
彼女は端末を閉じ、ハルをじっと見つめる。その目は驚きと、わずかな安堵、そして……評価の光を含んでいた。
「……あんた、やっぱりただの漂流者じゃないわね」
言葉の調子は冷静を装っていたが、声の奥には震えがあった。
ヴィクトルは肩で息をしながらも、にやりと口元をゆがめた。
「おいおい……あの出力、マジかよ。初見であれを使いこなすなんて……」
ハルは返す言葉がなかった。
両手はまだ微かに熱を帯び、心臓は喉元で鳴っていた。
だが、不思議と恐怖はなかった。
代わりに胸に広がっていたのは、確かな実感だった。
(俺は……やれた。自分の意思で)
恐れていた力。
拒絶し、逃げようとした存在。
それを今、自分の手で選び、制御した。
ただの偶然ではない。衝動でもない。
自分で“引き金を引いた”という感覚。
その確かさが、今は何よりも心を落ち着かせていた。
ミラはゆっくりと歩み寄り、ハルの肩に手を置いた。
「でも……ありがとう。助かった」
それは、彼女にしてはめずらしく、率直な言葉だった。
意図せず生まれたあの力とは違う。
自分の意志で、自分のために起動した行使。
空間に走る光線は、直線ではなかった。
ひび割れた鏡のように屈折しながら、ドローンのコアを貫いた。
「一機……いや、二機目も落ちた!」
ヴィクトルの驚き混じりの声が響く。
ミラの端末が状況を計算し、残敵の動きを表示する。
残り四機。
——いける。
恐怖はまだある。けれど、踏み出さなければ何も守れない。
「こっちに引きつける!」
ハルは叫び、通路の一角へと駆けた。
その背後を追うように、敵影が滑る。
反撃はまだ続く。
だがそれはもう、逃げるための戦いではなかった。
それは、選んだ意思を証明するための最初の一歩だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます