その優しい幻はあなた

満月 花

第1話


愛する人を亡くした。


大好きだった、大切だった。

ずっと未来を一緒に歩んで行けると思ったのに。

なのに無残にも、運命は永遠に私から彼を連れ去った。

時が悲しみを癒すというけれど、それを感じる事が出来ない。

時間が経てば経つにつれ痛みは増す。

夢で幸せを再生し、起きると絶望する毎日。

それでも生きていかねばならない。


辛く悲しく寂しい日々。


全てを放り出して悲しみの奥に沈みたい……。


でも、そういうわけにいかない。

泣いてばかりなんていられない、

生きていくためには生活を整えていく努力がいるのだから。


……心を殺しながら毎日玄関の扉を開ける。


日々を機械的にやり過ごしていた。


そうして日々が少しづつ少しづつ温度を取り戻す。

張り付いたままの笑みから柔らかく笑える事ができるようになった。


周りの人もそれを敏感に察し、優しく外に目を向けてくれようとする。

そんな思いやりが嬉しかった。


その中に躊躇いつつも寄り添ってくれようとしてくれる人がいた。


言葉や態度の端々で思いやりを持って元気づけようとしてくれる。

でも好意を感じてしまうと引いてしまう自分がいる。

その静かな優しさに引き寄せられそうでも、自分を戒める。


ダメ、あの人が悲しむ。


まだ伏せることの出来ない写真立て、捨てられない歯ブラシが

もういないあの人の存在感なのだから。


そんな私に妙な噂が立っていた。


私の側に居るらしい、視えるらしい、あの人が。


私は見える方でもない。感じるほうでもない。

けど日々の違和感があった。

よく怪我をしそうになる、危ない目に遭いそうになる。


彼が私を恨んでいるの……?

私を連れて行こうとしているの……?


別の人に惹かれそうになったから、忘れそうになったから。


彼の名前が刻まれた墓石の前で手を合わせる。


私に言いたいことがあるなら

現れて、あなたに会いたい。


あぁ……これは彼の気配だ。


振り返ると陽炎のようなあの人の姿

その陽炎が私を包み込んでいく。

意識が奪われる……やっぱりあの人は……私を……。


ねぇ、君がそんなに悲しむから

僕は悪しきものになって君を連れて行こうとしたんだよ?


ふと力が緩む。


私は泣いていた。


嬉し涙じゃない、絶望と恐怖だ。

生きたいと思う、まだ将来を捨てたくないという心の奥底の本心だ。


でも、寂しくないの?

私があなたを忘れて別の幸せを求めたら、と問うと

彼は少し眉を下げた、懐かしい仕草。


正直言って、少し寂しいよ。

でもそれ以上にーー君が泣いてる顔を見る方が、ずっと嫌なんだ。


笑って幸せでいて欲しい。


そして泣き笑いの顔、私は泣きながら頷くしかなかった。


忘れないよ、ずっと、ずっと、一緒だから、

でも私も幸せになる!


彼が、笑った……。


あぁもう消えていく。

体がサラサラと大気に溶け込んでいく。


大丈夫、生きていくよ。


忘れるんじゃない。


想いを抱えたまま生きてく。

苦しむためじゃない悲しむためじゃない、出逢えて良かったのだと


その一つを宝物として抱えていく。





風がふわりと体を撫でて通り過ぎた。

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その優しい幻はあなた 満月 花 @aoihanastory

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